• 月. 12月 23rd, 2024

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韓国人との「区別」、詐欺・セクハラ被害……映画『ファイター、北からの挑戦者』に映る “脱北者”の現実

 近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。

『ファイター、北からの挑戦者』

 このコラムではこれまで、朝鮮民族受難の歴史を物語る「コリアン・ディアスポラ」についてたびたび言及してきた。日本による植民地統治とそこからの解放、直後の南北分断から朝鮮戦争へと続く激動の歴史の中で、自発的であれ強制的であれ、朝鮮半島から日本へ、中国へ、旧ソ連へと散らばっていき、それぞれの国で在日コリアン、中国朝鮮族、カレイスキー(高麗人)と呼ばれながらマイノリティーとして共同体を形成していった多くの人々を指す言葉である。(『ミッドナイト・ランナー』や『焼肉ドラゴン』を取り上げたコラムを参照)だがその中には、忘れてはならないもう一つの、現在進行形のディアスポラがある。今この瞬間にも命を懸けて中国との国境を越えているかもしれない「脱北者」だ。

 彼らは、政治的な弾圧や経済的な貧困、閉鎖的な社会体制への不満など、さまざまな理由で北朝鮮から脱出する。北朝鮮と韓国の軍事境界線は、多くの映画やドラマでも描かれている通り、対峙の緊張感が張り詰めていて越えることはほぼ不可能なため、脱北者は必然的に、まず中国へ渡ることになる。だが中国政府は彼らを亡命者や難民ではなく「違法入国者」と見なしており、捕まったら強制送還されてしまう(国際社会は、このような中国政府の態度を人権侵害だと批判している)ため、逮捕の不安と強制送還の恐怖にさいなまれながら、身を隠し、逃亡し続けなければならない。違法入国者である脱北者は、助けを求めるどころか、犯罪の被害に遭っても訴えることすらできないのだ。

 韓国では身の安全が保障されるものの、外交上韓国政府が直接介入することはあり得ないので、それまでは、いつ、どうなるかもわからないまま、自力で韓国を目指さなければならない。韓国の民間支援団体の助けを待つこともあれば、衝撃的な映像で世界に衝撃を与える「外国の大使館への駆け込み」のような命懸けの行動に出る者もいる。韓国入りできないまま、中国の国内を密かに逃げ回っている脱北者がどれほど多いか、数千人とも数万人ともいわれているが、その実態は明らかにされていない。労働搾取や女性への強制売春、虐待や餓死といった悲惨な目に遭っている人も多いという(映画『クロッシング』<キム・テギュン監督、08>は、こうした脱北の過程の苦難をリアルに描いて韓国社会を震撼させた)。

 限りなく険しく困難な道のりを経て、やっとの思いで韓国にたどり着いた脱北者たちを待ち受けているものとは何だろうか? 彼らが命の危険も顧みずに求めた自由や豊かさを、韓国で手に入れることはできるのだろうか? 今回のコラムでは、韓国でボクサーを目指す女性脱北者を描いた現在公開中の『ファイター、北からの挑戦者』(ユン・ジェホ監督、20)を取り上げ、北朝鮮とはまったく違う環境の中で必死に生きようとしている脱北者の現実について考えてみたい。

<物語> 
 脱北者の支援施設を出て、ソウルで一人暮らしを始めたジナ(イム・ソンミ)。食堂で働き始めるが、脱北して中国で身を隠している父を韓国に呼び寄せる資金を稼ぐため、さらにボクシングジムの清掃の仕事を掛け持つことに。ジムでのトレーニングの様子を目にしたジナは、少しずつボクシングに魅了されていく。やがてトレーナーのテス(ペク・ソビン)や館長(オ・グァンノク)に勧められ、戸惑いながらもジナはリングに立つことを決心する。

 一方ジナには幼い頃、家族を捨てて脱北し韓国で再婚して暮らす母(イ・スンヨン)がいた。母と再会するも心を開くことができないジナだが、ボクシング練習に励み、ついにデビュー戦を迎える。果たしてジナは、ボクサーとして韓国での新たな人生に挑むことができるだろうか?

 「脱北者」といえば、ややもすれば重くなりがちなテーマであるが、ユン・ジェホ監督は単に「脱北者」としてだけではなく、韓国という不慣れな土地でボクシングを通して再出発しようとする一人の「女性」に焦点を合わせ、温かいまなざしで描いている。監督はジナと母を通して、朝鮮戦争がもたらした家族の離散と再会、その後に起こる問題は決して過ぎ去ったことではなく、脱北によっていつでも起こり得る韓国社会の現在的な問題であることを提示している。脱北という特殊な状況ではあるものの、家族という普遍的な存在を通して描くことで、彼らが抱えている問題や絆がごく自然に観客に受け入れられるのだろう。

 こうした現実の問題とドラマの絶妙なバランスは、家族を脱北させるために「脱北ブローカー」になった女性を収めたドキュメンタリー『マダム・ベー ある脱北ブローカーの告白』(16)や、脱北女性と息子の再会を描いた『ビューティフルデイズ』(18)、そして本作と、連続して脱北者をテーマに取り上げてきたユン・ジェホ監督だからこそ、深い知識と理解の上に実現できたといえるかもしれない。

 さらに1カ月半ものトレーニングを受けてジナ役に挑んだというイム・ソンミの演技も評価され、釜山国際映画祭では主演女優賞とNETPAC賞を同時に受賞した。彼女は大ヒットドラマ『愛の不時着』(Netflix)にも出演し、日本でも注目を集めている。

 では、「脱北者」はいつから現れたのだろうか? 北朝鮮から韓国への脱北(亡命)は、朝鮮戦争が勃発する直前から存在していたが、その様相が大きく変化するきっかけは、1994年の金日成(キム・イルソン)主席の死去であった。94年以前は、亡命者の数そのものが少なく、また軍人や外交官、留学生など北朝鮮の支配層やエリートたちの「政治的亡命」がほとんどだった。韓国にとってもこの時期の亡命者は「帰順勇士」と呼び、韓国の優越性を宣伝し北朝鮮を動揺させる格好の「反共材料」であった。

 それが金主席の死後、深刻な経済危機と、数十万(それ以上ともいわれる)もの餓死者が出たとされる食糧不足によって北朝鮮を脱出する一般市民が急増、韓国を目指す脱北者も増え続けた。

 ちなみに私の記憶には、一家5人で脱北を試み、中国朝鮮族を介して韓国政府関係者とつながり韓国入国を果たしたと大々的に報じられた、94年の「ヨ・マンチョル一家」の印象がなぜか強く残っている。反共教育で作り上げられた北朝鮮家族のイメージとは異なる、私たちと何ら変わらない「平凡さ」を感じて意外だったからかもしれない。

 こうして94年以降、それまでの政治的亡命とは明らかに異なる様相を呈したことで、「帰順勇士」という戦略的な呼び名も使えなくなり、代わりに「脱北者」という言葉が広まっていった。なお、否定的なイメージを与えるとの理由から2005年、当時の廬武鉉(ノ・ムヒョン)政権が「脱北者」から「새터민」(セトミン、新しい地に定着した住民)に呼び名を変えたのだが、これもまた差別的だと反発を受け、結局、公式名称は「북한이탈주민(北韓離脱住民)」に落ち着いた。世間では今も相変わらず「脱北者」と呼ばれている。

 脱北者が増えるにつれて、韓国社会への適応と定着が新たな問題として浮上した。そこで設立されたのが「하나원(ハナウォン)」という支援施設である。映画では具体的に描かれていないが、ジナもこの支援施設での教育を経て自立した設定になっている。韓国入りした脱北者は必ず、社会に出る前に3カ月間このハナウォンで「資本主義韓国の仕組み」と日常生活の基本を教え込まれるのだ。もちろん、国家情報院や警察による脱北の動機に対する取り調べを含めて「共産主義思想の払拭」も行われる。だがこの一方的な教育だけで、脱北者が韓国社会に適応し、定着できるわけはない。ハナウォンを出た脱北者たちは、教育の中とはまったく異なる韓国と出会うことになる。

 現実の韓国では、社会の至るところに脱北者に対する「差別」が潜んでいる。しかも、意図したわけではないだろうが、国の制度自体が差別を助長する一つの原因になった事実もある。韓国には、日本のマイナンバーのような「住民登録制度」があり、役所に出生届を提出すると一人ひとりに13桁の固有の番号が振り当てられる仕組みになっている。番号には誕生日や性別、出生地を表す地域コードが含まれるのだが、脱北者は共通してハナウォンの所在地のコードが含まれ、住民登録番号だけでその人が脱北者であることが瞬時にわかるようになっていた。

 この制度によってどれほどの「就職差別」が生まれたかは言うまでもない。資本主義社会で自立するために就職は欠かせないにもかかわらず、番号によって最初から差別され、脱北者の自立を阻む事態となってしまった。実際に就職差別を受けた脱北者が、生活に困って自殺するケースも報告されている。問題の深刻さに気づいた韓国政府は09年、ようやく住民登録番号での区別を廃止したが、だからといって差別がなくなったわけではない。制度上の「区別」は、差別を最もわかりやすく可視化した例にすぎないのだ。

 またもう一つの大きな問題は「詐欺」だ。脱北者にはそれぞれの事情に合わせて「定着支援金」が政府から支給されるのだが、それを狙った脱北ブローカーによる悪質な犯罪が後を絶たない。本作でもジナが中国の父を呼び寄せようとブローカーに頼むシーンがあるが、残した家族を呼び寄せるために戦々恐々とする脱北者の焦りを利用して「韓国に連れてくる」からとお金だけをだまし取る詐欺は非常に多く、命懸けで韓国にたどり着いた脱北者の中には、差別や詐欺に遭って中国、あるいは北朝鮮に逆戻りする「脱南」をせざるを得なくなる人もいる。

 最近は、映画でジナが不動産屋からセクハラを受けたように、弱い立場の女性脱北者に対する性的暴行事件も発生するなど、多くの深刻な問題が露呈し続けている。本来は「同じ民族」なのに、である。

 問題は根深く複雑で、解決への道のりは遠い。だが、目の前の壁にひるまず立ち向かおうとするジナを、差別のないまなざしで見守るテスの存在は、本作に込められた答えであり、願いであろう。そして日本においても、かつて北朝鮮への帰国事業が盛んだった時分に、朝鮮人の夫と共に北朝鮮に渡り、その後脱北した日本人妻という存在がいることを忘れてはいけない。拉致問題などで日本と北朝鮮が対立する中で、沈黙を強いられている彼女たちの存在は、脱北者の問題が決してひとごとではないことを、日本にも訴えかけているはずである。

崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。 

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