こんにちは、保安員の澄江です。
昨今、メインの仕事場であるスーパーマーケットが年末年始に休業するようになったため、今年の年始は巨大ディスカウントストアにおける勤務から始まりました。生鮮食品やお弁当、酒にコスメドラッグ、カー用品や洋服などまで扱う広いお店で、日が合えば一日に数件の摘発がある現場です。
こうした店の多くは、比較的地価の安い、交通の便が悪いところにあるのが特徴で、私のような低所得者層が主たる客といえるでしょう。その客層は悪く、多くの常習者を抱えているため、年末年始の繁忙期には、多くの警備員を投入して警戒を強めています。
この日の勤務は、午前9時から午後17時まで。開店15分前にもかかわらず、すでに100人以上の人が列をなして、扉が開くのを待ち受けています。
店長が多忙なため、出勤のあいさつは電話で済ませるよう指示されていたので、初売りの福袋目当てに並ぶ人たちの列を眺めながら連絡を入れました。
「正月だから、高額品をメインに見てくれる? 酒1本とか、小さいのはいいから」
「お気持ちはわかりますけど……」
よほど忙しいのでしょう。高額もしくは大量の被害以外は、相手にしたくないと言われます。裏を返せば、少しならば盗まれてもかまわないと言っているに等しく、耳を疑う思いがしました。そのような姿勢こそが常習者をはびこらせ、商品ロスを蓄積させる要因になるのです。しかしながら、末端の保安員である私が、クライアントの意向に逆らえるわけもありません。
ひとこと言ってやりたい気持ちを堪えて、気持ちを落ち着かせるべく行列を見渡せる位置にある喫煙所で一服しながら開店を待っていると、色褪せたグリーンのブルゾンを着た70代と思しき老女が目に留まりました。
「ねえ、お兄さん。タバコ1本、あたしに恵んでくれない? ここの灰皿、水が張ってあるから、拾えないのよ」
おそらくは、ホームレスの人でしょうか。寒い中、足先の開いたサンダルを素足のまま履いているため、足全体が乾燥して粉を吹いたように白濁しています。1本のタバコを差し出して、吸っていた自分のタバコを消した男性は、関わりたくない様子で列に戻っていきました。
(この人と一緒に入ろう)
開店まもなく、タバコを吸い終えて店に入る老女の後に続くと、多くの人が集まる福袋の特設売場で足を止めました。人混みをかきわけ、手提げの福袋(5,000円)をふたつ手にした老女は、食品売場に向かって歩いていきます。
歩きながら開口部を留めたホチキスを外したので、犯行に至ることを確信して注視すれば、柵に入った本マグロとカズノコ、それに箱詰めのいくらを手にした老女は、それらを堂々と福袋の中に隠して売り場を離れました。人混みを上手に利用して、なんらの挙動も出さずに素早く隠す手口は、かなり鮮やかで熟練した技術のようなものが感じられます。
(払うつもり、まるでないわね)
店内が混雑しているので、見失わないよう慎重に追尾すると、次は年賀状の陳列スタンド前で足を止めました。商品を選ぶことなく複数のハガキをつまみ取って、それも迷うことなく袋の中に隠した老女が、レジに立ち寄らないまま店の外に出たところで声をかけます。
「お店の保安です。それ、持っていったらダメですよ。お金払ってもらえますか?」
「え? お金は、ないよ」
「それは、困りましたね。ちょっと事務所まで来てもらっていいですか?」
「はい、はい。ごめん、ごめん」
すべての言葉が不明瞭なので発言を読み取るべく口元に目をやると、ほとんどの歯が欠損しており、その顔を見てかつてテレビに出ていた“クシャおじさん”のことを思い出しました。
事務所に向かう道中、代金を立て替えてくれる人がいるか尋ねると、妙に人懐こい顔で答えます。
「妹と一緒に暮らしているんだけど、精神病なの。こないだなんかさ、裸で買い物に行っちゃって、あたしが警察まで迎えに行ったのよ」
事務所に連れて行き、テーブルの上に福袋を置かせて、さきほど隠した商品を取り出させます。念のため、ほかにないか尋ねてみると、いつの間に隠していたのか、上衣のポケットからラッピングされた毛ガニが出てきました。被害は計13点、合計で2万5,000円ほど。
お金はもちろん身分を証明するものも持っていないので、チラシの裏紙に人定事項を書いてもらうことにして、その間に店長を呼び出します。
「え? もう捕まえたの?」
声をかけた時間は、9時11分。驚いた様子で事務所に現れた店長に、これまでの経緯を伝えると、最後まで話を聞くことなく警察に通報しました。何かあったら呼んでくれと、事務所を出ていく店長の背中を見送り、警察が到着するまでのあいだ雑談をして場を繋ぎます。
「今までに、同じことで捕まったことありますか?」
「うん。5回目くらいかな」
「年賀状、足りなかったの?」
「ううん、郵便局に持っていくとお金になるから」
その後、駆け付けた警察官に老女を引き渡すと、途端に嫌な顔をした警察官が言いました。
「おばあちゃん、もうしないって、年末に約束したばかりだよね。なんで、またやったの?」
「ああ、またあんたか。お正月だから、妹とおいしいものを食べたくてね」
「またあんたかって、こっちのセリフだよ。こんなに盗って、全然反省してないじゃない?」
「もうしないよお」
担当の警察官によれば、前回の扱い時に簡易の精神鑑定をしているらしく、その時の診断(詳細は不明)があるからと被害届は受理されませんでした。
被害回復の見込みはないので、生鮮食品は廃棄処分となり、その分が実害になります。一方、警察官に連行された老女は、居住確認のみで帰宅を許されることになりました。結果だけを見れば、泥棒をして捕まったのに、パトカーで自宅まで送ってもらって済まされた様相です。
「こいつらは、娑婆のほうがツライから」
その後、夕方になってカップ酒を盗んだホームレス男性の捕捉もありましたが、店長と警察に煙たがられるだけで終わり、新年早々から嫌な思いをすることになりました。いくら結果を出しても、捕まえた被疑者によっては、評価されないこともあるのです。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)
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