こんにちは、保安員の澄江です。
ここのところ、ごく限られた私の周囲だけでも新型コロナウイルスに感染する方が急増しており、外出するたびに不安を覚えます。仕事以外は人と会うことなく自粛に努めた生活を送っているので、濃厚接触者に該当することはありませんでしたが、話を聞けば感染した人たちも同じような生活をしている方ばかり。幸いなことに、知り合いに今のところ死亡者は出ていないものの、いつ自分が感染してもおかしくないことを改めて痛感させられました。
親友の孫夫婦などは、出産予定日間近である奥さんの感染が判明してしまい、帝王切開による出産を余儀なくされたとのこと。自然分娩だと長時間にわたって激しくいきむことになるため飛沫が飛散しやすく、医療スタッフに対する感染防止が難しいとして、帝王切開による出産の同意を求められたそうです。
望んでいた夫の立ち合いはおろか、面会すら許されない環境の中、防護服に身を包んだ看護師に取り囲まれて出産に臨んだそうで、無事に生まれたと聞いた時には胸をなで下ろす思いがしたと話していました。自分の息子や孫を憂う彼女の気持ちに触れ、孤独な自分の環境が寂しく、いたく身に染みた次第です。
今回は、それとは逆に、万引きをして捕まり、息子に身柄を引き受けさせた老夫婦について、お話ししていきたいと思います。
当日の現場は、関東近県のベッドタウンに位置する総合スーパーY。食料品をはじめ、日用品やコスメドラッグまでも扱う広大な売場に、いくつかのテナントとフードコートまで擁する郊外型の大型店です。長期にわたりご指名いただいているため、店長との関係も良好で、私にとっては居心地のいい現場の代表格にあるといえるでしょう。
この日の勤務は、午前9時より午後5時まで。開店待ちのお客さんを入口で出迎え、アルコール消毒を促しながらカゴを差し出す店長に、目だけで挨拶をすませて店内に潜入します。
勤務開始から、およそ2時間。昼のピークを迎えつつある店内で、70代と思しき女性が目に留まりました。カゴやバッグを持たずに、手ぶらの状態でポケットに手を突っ込んで歩く姿に、どこか違和感を覚えたのです。
(なんだかガラの悪い女ね……)
眼光鋭く、周囲を睨むようにして歩く女性の顔は、後妻業で話題になった筧千佐子死刑囚に似ていました。黒の革ジャンに、真っ赤なニット帽という派手な服装もうるさく、それを目印にして行動を見守ります。
するとまもなく、ガムやミントなどを主に陳列する小物菓子のコーナーで足を止めた女性は、複数の「ミンティア」を手に取りました。続けて、袋物のせんべいを手にして、外周の通路に戻ったところで、たくさんの商品を詰めたカゴを載せたカートを押す旦那さんらしき人と合流します。
(なんだ、旦那さんと来ていたのね)
そう安心したのも、束の間。カートに近付き、袋物のせんべいをカゴに入れた女性は、手に「ミンティア」を持ったまま歩き始めました。隠し持つように握っているので、目が離せなくなって追尾を継続すると、この店一番の死角である日用品売場に入っていきます。
この上ない早足で近づき、棚のエンド(端)に身を潜めながら見守ると、ふたりの会話が聞こえてきました。
「これ入れちゃおうかな」
「馬鹿、なに言ってんだ。やめとけよ」
「大丈夫よ、これくらい」
「ったく、しょうがねえなあ」
革ジャンのポケットに吸い込まれる「ミンティア」を見届けた旦那さんは、自分には関係ないといわんばかりに、その場から離れていきました。その一方、振り返って後方を確認した女は、革ジャンのポケットに手を突っ込んだまま、肩で風を切るようにして旦那さんの後を辿って歩いていきます。
しばらく買い回りを続けて、「ミンティア」以外の精算を済ませた2人が外に出たところで、そっと声をかけました。
「こんにちは、お店の保安です。ポケットに入れたもの、お支払いいただきたいんですけど」
「え? ああ、これね。そうだそうだ、忘れてた」
「全部見ていましたけど、それは違うと思いますよ。お父さんも、ちょっと待って!」
気付いていないフリをしているのか、奥さんから呼び止められているにもかかわらず足を止めない旦那さんは、呼びかけを無視して車に乗り込もうとしました。目を離すわけにもいかないので、慌てて女の手を取って一緒に駆け寄り、商品を車に積もうとする腕を掴んで制止します。
「お父さんも、一緒に来てくださいよ。奥さんが万引きしたの、わかっているでしょう?」
「俺は、やめろって止めたよ。だから関係ない」
「関係ないって、ご夫婦ですよね? 止めていたことも知っているけど、共犯になっちゃうかもしれないから、一緒に来てくださいよ。ね、お願いします」
「もう、言わんこっちゃねえよな。お前は、ホントに……」
ほかにも盗品が紛れ込んでいる可能性が捨てきれないため、カートの先を廻して方向転換した後、それを押しながら3人で事務所に向かいます。空いている椅子に座らせ、デスクの上に盗んだ「ミンティア」を出してもらい、ほかに盗んだものがないか確認すると、それ以外に未精算のものは見つかりませんでした。被害は、「ミンティア」3点、合計300円ほど。
身分確認を進めたところ、ふたりともに74歳で、この店から車で10分ほどの場所に住んでいることがわかりました。ふたり合わせて10万円以上の現金を所持しており、きちんと精算した分のレシートには、5,000ポイント以上のポイント残高も記されています。
「お金でもポイントでも払えるのに、どうしてこれだけ入れちゃったんですか?」
「たくさん買うし、このくらいなら、いいかなと思って」
「ご主人に、止められていましたよね。なのに、どうして?」
「いやあ、絶対にわかんないだろうと……」
まるで反省の見えない口調で、不貞腐れたように話した女は、頬杖を突きながら言いました。こんな謝罪は、長いキャリアの中でも珍しく、言い知れぬ怒りが込み上げてきます。
「あなた、自分が悪いことしたって、わかっていますか?」
「そんなの、わかっているわよ。どうもすみませんでした! お金払うから、いいでしょ。このくらいのことで、そんなに大騒ぎしないで。もう、わかったから」
もはや逆切れの状態で、私に背を向けてデスクに寄りかかった女は、とても万引きをして捕まった人とは思えぬ態度で居直っています。その場にいるみんなの口が、開いたまま塞がらない状況になると、その重苦しい空気に耐えかねたらしい旦那さんが言いました。
「おい、なんだその態度は! 本当に申し訳ありません。もっと強く止めていればよかった。ほら、お前も、ちゃんと謝れ」
「もう何度も謝ったわよ」
「なんで、そうなんだ。お前は!」
馬耳東風。旦那さんの言葉すら響かず、不遜な態度を取り続けた女は、警察に引き渡されても態度を変えません。あり得ない対応に苦慮した若い警察官は、共犯関係を理由に、逮捕も辞さないと脅してみせました。
しかしながら上役の係長は、明らかに面倒くさそうな顔で、人員不足を理由に消極的な姿勢を貫きます。
「前はないし、商品を買い取れるし、息子さんも迎えに来てくれるっていうからさ。今日は、厳重注意で済ませます。余計な時間とらせないし、それでいいでしょ?」
高齢者万引きの再犯率は、優に5割を超えています。たかが万引きだといわんばかりの警察対応では、現状を変えることにはならないでしょう。捕捉時の説諭は、再犯防止において非常に重要なことなのです。
結局、警察署には行くことなく、店の事務所まで息子さんを呼び出し、彼に身柄を引き渡すことで事態は終結。
「いい年こいて、こんな安いもの盗んで、なに考えてんだよ? こんな場に、俺を迎えに来させて、どんな気持ちか言ってみろ!」
「ほんと、このくらいのことでさ、大騒ぎしすぎよね?」
「はあ? もう帰ろうかな、俺……」
息子に責められても、なお、デスクに寄りかかって対応する女に反省の色は皆無で、再犯に至る可能性が十分に感じられます。この先のことを悪く思えば、妻を置き去りに立ち去ろうとした親族の気持ちも理解でき、彼女の余生が心配になりました。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)
本コラムを監修している伊東ゆうさんが新連載を開始しました。ぜひご覧ください。
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