「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――眞子さまの結婚問題のほとぼりが冷めたと思ったら、今度は悠仁親王のご進学問題が勃発。秋篠宮家に対する世間の風当たりはさらに強まってしまったような……。てっきり、学習院に進学するのが皇室の伝統かと思っていました。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 「伝統」とは本来、何を指すのか実に曖昧な言葉ではあります。しかし、21世紀になっても、日本の人々は皇室の方々には「伝統的であってほしい」と願っていますよね。ところが、それとは逆に昨今の秋篠宮家は前例のないことばかりを繰り返してしまっています。
将来の天皇と目される悠仁親王の“実家”がそういうことでいいのか……と、国民の不安は掻き立てられているのでしょう。まぁ、秋篠宮家からすれば、先例に従わなかっただけで、他人が口を挟むのは止めてほしいというのが本音だとは思うのですが……。
――悠仁親王が入学なさる筑波大学附属高校は、一説に偏差値78の超進学校です(ちなみに学習院高は偏差値68)。ほかの学生が2~3倍の倍率でしのぎを削りあい、入学資格を勝ち取ろうとしているのに、学習院“にも”席を用意されている“はず”の悠仁親王が、そんな“特権”を持たない他学生たちを出し抜いてわざわざ入学することに、世間は疑問を感じるのでしょう。私もやはり理解しにくいです。
堀江 世間では「学習院=皇族の学校」となっているようですね。ただ学習院側も皇族方を受け入れてきたと誇らしげに語る一方、皇族の席をいつでも用意してお待ちしている、などとは一言もいってはいません。
多くの教職員は、この問題に沈黙していますが、昭和のテレビ番組『クイズダービー』(TBS系)で有名になった学習院大学フランス文学科の名物教授、故・篠沢秀夫さんは「裏口入学など皇族でもありえない」と断言していますね。
2011年2月の「文藝春秋」(文藝春秋)に掲載された篠沢さん(当時・学習院大学名誉教授)の手記「誰よりも深く愛子さまの教育を憂う」によると、皇族に関して「入学についての特別扱いや裏口入学はない(略)。入試の結果だけで判断を下す(略)」と明言しています。「多分皇族児童が今まで皆受かっているのは、成績がいいからだ」という表現まで出てきますね。
――「多分」というのがちょっと引っかかりますね(笑)。
堀江 本当に(笑)。学習院大は皇族の子弟が継続的に入学している歴史を持ち、他大とは異なる高いブランド性を獲得できています。なにより高級感が出ますし、入学希望者を順調に確保できるところもあるでしょうから、より熱心に皇族に勧誘をかけた歴史は明らかだと思うんですよ。
堀江 戦前の学習院は国立もしくは公立に相当する”官立学校”でしたが、戦後は一介の私立の学校組織となりましたので、入学者が減ればやっていけません。そんなところに「ウチにくれば、皇族の御学友になれるかも」と受験生にアピールできるのは大きな強みですよね。
大学のブランドイメージ向上の鍵である皇族方に「ご入学ください」と勧誘を行い、試験を受けた皇族の子弟に「やっぱり実力が足りないので不合格です」と拒絶できるかな、という疑問はありますよね。
――篠沢氏によると、皇族児童が学習院に全員合格しているのには、特別扱い云々とは違う理由があるそうですね?
堀江 はい。「(学習院付属の)幼稚園の試験は皇族児童には、やりやすいのだ。まず、親の手を離れる。ここで嫌がって泣いたら、それだけでもう、落第(=不合格)。皇族児童は平気だ。別室で、教員の指示で色々な動作をするだろう。皇族児童は、教員を別の女官くらいに思って平然と言う通りに動作するだろうから、丸が沢山付くのではないか?」などと篠沢さんは分析なさっています。
――なるほど、学力以前の部分ですね(笑)。ところで、内部でエスカレーター進学するより、外部から学習院に入学することのほうが困難だと聞きます。
堀江 はい。ちなみに学習院の幼稚園、初等科、中等科、高等科を篠沢さんの子どもさんは3人とも受けていますが、幼稚園から入れたのは長女の方だけ。あとは長男の方は中学受験、高校受験とチャレンジするものの、一度もご縁がなかったとのことです。OB・OGどころか大学の教職員の子どもまで、学習院は入学希望者を実力が足りなければ容赦なく落とすところなんだよ、とおっしゃりたいのだと思います。
また、「完全な『エスカレーター式』ではない」とも篠沢さんは明言していますね。とくに大学に入る時は「各学科の定員の一定割合(略)推薦を受け入れるが、それを越えると選定をする」。つまり、試験を受けさせられ、その結果次第で「進学に当たって、(ハシゴを)外される者があるのだ」などとも書いています。
――学習院高校から大学へエスカレーター式に上がれるのは「三分の一だったか」という、これまた曖昧な書き方と捉えられる表現をしているのが、またもや少々気になりますが……(笑)。
堀江 そうなんですよ(笑)。まぁ……なんらかの忖度はあっても当然かと思います。学習院という教育機関の「特別」なイメージは、皇族方が通われている学校という事実から生まれているのは否定できませんから。
堀江 ただ、学習院=皇族の学校と言い切れるわけでは名実ともにないんですね。歴史的な情報を補足しておくと、先ほどお話したとおり、第二次世界大戦後、学習院はGHQからのテコ入れを受け、戦前のように公立の教育機関ではなくなりました。
戦前は、確かに「皇族・華族の学校」のカラーが強かったのですが、戦後はそういうわけでもない、というのが正しい理解です。戦前でさえ、実家の身分が平民……つまり皇族・華族の出身ではない三島由紀夫(1925
−70、本名・平岡公威)が高等科を卒業するまで学習院で過ごしています。その後、三島は東大に学力試験を受けて入っていますが。
――学習院は、戦前でさえ皇族・華族「だけ」の学校であったことは一度もないんですね。
堀江 そうです。皇族の方々が学習院に行く理由は、「それが家風だから」というしかない気がするのです。みなさんのお知り合いにも、「うちはおじいさんの代から慶応の幼稚舎へ……」みたいな家風のご一家がいらっしゃいませんか? それと同質ではないか、と。
明治時代の東京に学習院という、最上流階級の子弟のための教育施設が開かれて以来、現代にいたるまで皇族方の多くがそういう学習院の“伝統”に惹かれ、お子様がたを受験させてきたという「だけ」のようですね。
――学習院を避け続ける秋篠宮家に我々が感じる違和感のようなものは、代々同じ学校を卒業してきたのに、「うちは違うところに通わせるよ」とか言いだした親戚に感じる疑問と、同じような感じでしょうか。しかし、学校側としては皇族を迎えるための警備や待遇といったノウハウがないところに入学してきてもらっても荷が重いのでは?
堀江 先述の篠沢さんいわく、「皇族生徒についての学校の対応を、自分勝手に決定できるとは、皇族の親は考えていない。それは正しい。勝手にはできない」ともあります。皇族だからといって、特別な優遇を入学後も受けられるわけではないという意味です。これに関しては、どんなに学習院側や、皇族がたが否定しようと「いや、そんなハズはない!」と世間には言われつづけるとは思うのですが。
その一方で、現・天皇陛下こと「浩宮さま(当時)」の幼稚園進学時期に合わせて、学習院付属幼稚園が“復活”したのはミエミエでした。
1947年(昭和22年)に廃止となっていた同幼稚園ですが、63年(昭和38年)4月、浩宮さまの入園とともに復活。ただしこれは皇族からの要請ではなく、学習院側の自発的な企画で、それに浩宮さまが(というより、そのご両親が空気を読んで)「乗っかってくれた」というあたりが正しい見方のようです。
――学習院ってずっと幼稚園があったわけではないのですね?
堀江 戦後になって一時期、途絶していたようです。45年(昭和20年)に戦災に遭ったことと、47年(昭和22年)に学習院が一介の私立学校である「財団法人学習院」となったことをきっかけに、幼稚園は廃止されてしまっていました。
しかし、学習院側は浩宮さまが「(小学校に行く前に)幼稚園に通うらしい」という情報を聞きつけ、ちょうど幼稚園を復活させるよい機会になると考えたようで、浩宮さまにご入園いただきたいというラブコールを、さかんに送りまくったようです。こういう時に学習院関係者の口から出るのが、「ウチは皇室の学校」というような言葉ではないか、と分析します。
――「日本」という雑誌の63年(昭和38年)1月号には、学習院付属幼稚園の再開について知らせる記事が掲載されています。いわく世間で「浩宮幼稚園」などとあだ名がつき、全国から宮さまの御学友にウチの子をしたいと熱望する親御さんからの問い合わせが殺到していたそうですよ。
堀江 幼稚園の理事の小山氏は「宮さまをお迎えするために作るわけではなかったが、こちらに幼稚園が出来る以上、ウチにお入りになるのが自然だと思います」と明言していますね。
また、当時の学習院大の安倍院長が理事会に提出した内容として「学習院は長い間、皇室のご恩をこうむってきたが、浩宮さまをお迎えすることは、日頃のご恩に報いるまたとない機会である」という「趣旨」が紹介されています。
――大変な意気込みと鼻息がこちらにまで感じられます(笑)。しかし、秋篠宮家だけはそうした「空気」を読まなかったんですね。
堀江 世間が秋篠宮家に対して、大丈夫かなと感じている不安はまさにそこなんですね。国民の多くは、学習院や、皇族方の進学について深い知識があるわけでもない。しかし彼らは「古き良き伝統とともにあっていただきたい」という夢や願いを皇族方に見つづけているのです。それなのに、国民より秋篠宮家のほうがむしろ斬新というか革命的なんですね。これはある意味、ものすごくシュールなことです。
結婚や進学という人生の大事なイベントにおいて、まったく先例を重視しない秋篠宮家のあり方、そこに国民の不安が募っている。また、斬新なことをすると、その選択をした理由について説明を求められてしまいます。皇族方の持つ強いオーラは、その神秘性にあります。言葉を尽くして自分のあり方を説明すると、神秘性は失われてしまうものですから……。
――続きは3月26日公開