こんにちは、元金融屋事務員、自称「元闇金おばさん」のるり子です。
勤務初日。先輩社員の愛子さんから、朝礼前に済ませておかなければいけない掃除箇所や開店準備の仕方を教わっていると、社長が出勤するなり、共に清掃中であった営業社員を集めて言いました。
「M自動車がバックレた。債権は150万。各自役割分担して、早急に保全を図れ」
一体何が起こったのかと困惑していると、先輩が「借りたお金を返せなくなったM自動車が逃げたってこと。これから僕たちは貸した分を回収しに行くんだよ」とこっそり教えてくれました。社長の手には「不渡速報」と書かれたピンクの小冊子が握られており、そこで得た情報をもとに話を進めているようです。
するとまもなく、営業部長の伊東さんが席を立ち、重要確認事項というタイトルをホワイトボードに書き込み始めました。債務者(M自動車)の会社概要をはじめ、社長と連帯保証人の個人情報や所有不動産、売掛先の一覧、車両などの資産状況が詳細に書き出されると、その脇に「担当」と「結果」という枠を設けて表を完成させます。
どうやら連帯保証人は、別所帯で暮らす息子のようで、取引には関係ないだろう子どもが通う学校名、嫁の実家住所までもが確認事項とされており、少し不穏な気分になりました。
「担当の小田は、伊東と会社。佐藤と藤原は社長の自宅、鈴川と田代は保証人関係を洗え。社長本人の身柄を押さえたら、すぐに連れて来い。俺は事務所で登記書類と債権譲渡の段取りをしておくから、弁護士や他業者に介入されたら、すぐに連絡するように」
まだガラケー初期の時代であったため、社員たちは現場までの道程を赤ペンで記入した地図を用意します。また、M自動車から150万円を回収できない場合に備えて、借用証のコピーを用意し、いつでも担保や連帯保証人を取り込めるようにと、まっさらの契約書類と朱肉のセットもあわせてバッグに入れて出動します。手早く準備を済ました社員たちが、あっという間に事務所を出ていくと、ここで初めて社長から声をかけられました。
「初日から不渡が出て、少し驚かせてしまったかな。これが毎日ってわけじゃないから、そんなに怖がらないで大丈夫だよ。みんな揃ったときに、きちんと紹介するから、それまでは先輩の愛子さんに日常業務を教えてもらうように」
私の担当は、営業事務と経理補助。掃除やお茶出しなどの日常業務はもちろん、不動産謄本や信用情報の定期閲覧、印鑑証明の期日管理などが主たる仕事です。見たことのないものばかりで、初めこそ少し不安に思っていましたが、慣れてしまえば簡単なことでした。
いい機会だからと、愛子さんに情報端末の操作方法を教わりながら、M自動車の社長の名前と生年月日を入力して、信用情報を取得してみます。排出されたレシートの上部には、住所、氏名、生年月日、電話番号、勤務先、勤務先電話番号などの情報が明記されており、その下には多くの数字が羅列されていました。
レシートの長さは、与信審査の回数や借入件数の多さに比例し、短いほど信用のある人だと判断されるそうですが、M自動車の社長の信用情報は、素人の私が見ても多重債務者とわかるほど長いレシートで提供されます。
「やっぱりたくさん申し込んでいるわね。ここ数日の信用照会(新規申込や追貸の問い合わせ)を見ると、7件もの業者に新規で申込みして、そのうち1件が実際に貸し付けしてる。これによると保証人も同じ人をつけているようね」
「そんなことまでわかるんですか?」
「これ、全部番号で書いてあるから、何がなんだかわからないでしょ? でもね、見方を覚えてしまえば、いろいろと見えてくるものなのよ」
愛子さんによると、M自動車の社長は返済の遅延などはしてないものの、商工ローン業者やサラ金など、複数の業者から限度額一杯まで借り入れをしているとのこと。大手自動車ディーラーに籍を置く息子も、同様に複数の借り入れがあり、その日付から、父親の資金繰りに巻き込まれている様子が見て取れました。取得した信用情報のレシートを、書類作成に勤しむ社長に見せると、あからさまに顔をしかめながらも、どこか楽しそうにつぶやきます。
「最後に摘まみ(金融業者から借入すること)やがって。これは飛んでいるな」
「飛んでいる?」
「もう夜逃げしてるってこと。不渡を出した翌日にサラ金から借りているから、最後に摘まんだ金を持って、どこかに潜伏しているんだろう」
「夜逃げする人、本当にいるんですね……」
「ああ、たくさんいる……」
昼前になると、現場に向かった社員からの報告が相次ぎ、大体の状況がわかってきました。どうやら借主の社長と連帯保証人である息子は、事後を弁護士に一任して身を隠しているらしく、会社や自宅などの玄関には、担当弁護士の介入通知が貼られ封印されているようです。社長の読み通り、すでに夜逃げしている状態といえ、ホワイトボードに書かれた情報の意味合いが理解できました。
「建物の中に誰もいないのなら、破って入れ」
この時はわからなかったのですが、「破って入れ」という言葉の意味は、弁護士の封印を破って物件を占有しろという意味でした。占有とは、実際に居座って物件を支配することで、賃借権の実力行使というべき強硬手段です。こうなってしまうと、所有者本人はもちろん、第三者の立ち入りは許されません。このようにして手に入れた賃借権を売却、または転貸することで150万円の回収を図っていたのです。
いまこんなことをすれば世間を騒がせるくらいの大事件になるでしょうが、平成16年に改正法が施行されるまでは横行していました。たとえ他業者と城(占有対象物件のこと)の取り合いで警察沙汰になっても、厳重注意、最悪でも書類送検くらいで済まされていたのです。
「“看板”を出したら、応援が到着するまで、誰も入れるなよ」
看板を出すといっても、A3のコピー用紙に社名と電話番号が大きく書かれたものを、玄関に貼るだけのこと。貼り出し方はもちろん、看板に使用される勘亭流の字体が、穢れを外に漏らさぬよう、家人の死を周知させる忌中用紙と同じで、法人の倒産は人の死と変わらぬものだと実感しました。
この日は昼すぎから続々と強面の人たちが会社に集まって、ヤクザ事務所と見紛うくらいの状況になりました。社長と来社された方があいさつを交わしています。
「ご苦労様です」
「おう、お疲れさん。今回も、よろしくな」
企業舎弟ではないものの、ケツ持ちと呼ばれる暴力団関係者との関わりは深く、物件を占有する時や回収現場で大きな揉め事が起きた時には、結束力が強く、集結していました。社長個人の先輩後輩や個人向けの闇金業者など、グループ会社も複数あり、有事には殴り込みにいくような雰囲気が醸成されます。以前、地元の大親分の葬儀を経験していたこともあって私は平気でしたが、普通の人ならば採用を辞退してしまうレベルの環境といえるでしょう。
「念のため、賃貸契約書の写しも持っていけ」
M自動車社長らから署名捺印をもらっていたという白紙の賃貸契約書に、各物件の詳細と特約を書き込んだ社長は、そのコピーと数万円の経費を各グループに持たせて現場に送り込みます。結局、この日はM自動車の会社(工場)と自宅、連帯保証人の自宅を占有することになったようで、社員のみんなは事務所に戻れず、入社の挨拶はできないまま帰宅することになりました。
1日が目まぐるしく、まるでヤクザ映画を見た後のような心境になっていた私は、続きを楽しみに早寝した次第です。
※本記事は、事実を元に再構成しています
(著=るり子、監修=伊東ゆう)