羨望、嫉妬、嫌悪、共感、慈愛――私たちの心のどこかを刺激する人気芸能人たち。ライター・仁科友里が、そんな有名人の発言にくすぐられる“女心の深層”を暴きます。
<今週の有名人>
「50歳を過ぎると、恋愛に興味もなくなる」有働由美子
ニュースサイト「週刊女性PRIME」8月23日
臨床心理士・信田さよ子氏の著作『夫婦の関係を見て子は育つ』(梧桐書院)によると、子どもというのは親を実によく見ており、その関係が子どものジェンダー観に影響する可能性があることを指摘している。
例えば、夫婦が表面的に仲良くしていても、父親が「家事なんて、オンナの仕事だ」と思って何もやらないと、それを見た息子は「そうだ、家事はやらないでいい、オンナの仕事だ」と思い込んでしまい、家事をやらなくなるケースがあるという。一方、そういう父親を持った娘は「そうね、家事はオンナがやるべきね」と思い込んでしまい、将来的に支配的なパートナーを選んでしまう可能性があるそうだ。
夫婦関係が子どものジェンダー観に影響するとは興味深い指摘だが、私が思うに、若い時に身を置いた会社の環境も、ジェンダー観に影響するのではないだろうか。元NHKのフリーアナウンサー・有働由美子を見ていると、そんなことを思ったりする。
10年近く前の話だが、「女性自身」2013年11月26日号(光文社)が、有働アナと5歳年下の地方企業の御曹司との熱愛をスクープした。男性はバツイチで、前妻との間にお子さんが3人いるという。有働アナは同誌の取材に対し、交際を肯定も否定もしなかったが、男性は「嫌いだったら一緒に食事に行ったりしないですよ。好意を持っていないと言ったらウソになります」と恋愛感情があることを示唆。
しかし、有働アナは東京で仕事があるし、男性側も地方に地盤がある。恋愛したら結婚しなくてはいけないと決まりがあるわけではないから、お互いの事情に合わせて、いい関係を育んでいるのだろう……そう勝手に思っていたら、ニュースサイト「週刊女性PRIME」(主婦と生活社)が8月23日、有働アナの破局を報じた。
有働アナは交際そのものを肯定も否定もしていないので、破局というのは正確ではないのかもしれないが、記事を読むと、交際報道とは別のことが気になってくる。
メインキャスターを務める『news zero』(日本テレビ系)の出演を終えて帰宅した有働アナを、週刊誌の記者が直撃する。有働アナは「……こんな“オバハン”のために、夜分遅くまでご苦労さまです」と恒例のオバチャン自虐をした後で、「彼は何人かいる異性の友人のうちの1人。恋愛感情とかはありません」ときっぱり交際を否定。「50歳を過ぎると、恋愛に興味もなくなるんですよ」とコメントしていた。
おそらく、有働応援団の皆さんは、「記者の急襲にもかかわらず、ユーモアのある返しだ! サバサバしてさすがオトナの女!」と好意的にみなすのだろう。でも、私は有働アナの中に“オジサン”が住んでいるんだなぁと思わずにいられない。
週刊誌が有働アナを取材するのは、彼女が知名度/好感度ともに高い「数字が取れる人」だからだ。週刊誌はビジネスだから、オジサンでもオバハンでも子どもでも、数字さえ取れれば何だっていい。長年、女性アナウンサーのトップランナーとして走ってきた有働アナが、こんな簡単な人気商売のカラクリをご存じないはずがない。
にもかかわらず、「……こんな“オバハン”のために」という言葉を持ってくるのは、有働アナの中に「オバハンというのは嫌われる存在だから、とりあえずへりくだったほうが、好感度が上がるし、読者に喜ばれる」という、まるでオジサンのような“思い込み”があるからではないだろうか。
その思い込みがどこで作られたか、他人に知る由もないが、おそらく有働アナを取り巻く環境……つまり会社(NHK)にもそういう体質があったのではないかと推測する。
私は有働サンよりちょっと下の世代だが、若い頃「年齢によって、女性の進退を決める」ことが公然となされてきた印象がある。私の友人は財閥系企業に勤めていて、社則にはないものの「女子社員は25歳で退職する」ことが暗黙の了解だった。
いざ25歳になると、周囲の男子社員に「早く辞めてよ。若い子が入ってこない」と面と向かって言われたり、仕事の面談でオジサン上司に「交際相手はいるのか、結婚の予定はあるのか」と聞かれることは珍しくなかったそうだ。受付や秘書課の女性が30歳を過ぎると、本社から支社に異動させられるケースも実際にあった。
若い人は、良くも悪くも大人の影響を受けやすいから、1日のほとんどを過ごす会社という場所で、それなりの地位を持つオジサンが、女性に対してこういう態度を取ると、「女性は社歴が上がると、失礼なことを言われたり、理不尽なことをされても仕方がない存在」と刷り込まれてしまうのではないだろうか。
有働アナは20代の若手の頃から、公共の電波を使って、自身の容姿や年齢を自虐してきた。それは逆に言うと、NHKが彼女の発言を許容していた、彼女の発言が面白いと思っていたということではないだろうか。
今さら言うまでもないが、有働アナは日本を代表する女性アナウンサーで、彼女の実力は誰もが評価しているはず。けれども、有働アナの中に住みついたオジサンが、「女性は仕事ができても、若く美しくなければ価値がない」とささやいてくるために、彼女はする必要のない自虐を延々としてしまうように思う。
有働アナのジェンダー観の危うさは、NHKという大組織を離れて、いよいよ明らかになりつつある。フリー転身後、報道番組『news zero』のメインキャスターに就任したが、日替わりで出演する女性アナウンサーが若いことから、発表会見で「若いアナ、キラキラした人と、置き屋の女将みたいな感じですが、女将なりに頑張ります」と自虐した。
いつものサービス精神を発揮したのだろうが、公の場で、性的接待のオーガナイザーの意味も持つ“置き屋の女将”という言葉を使い、暗に「若い女性アナウンサー=男性に差し向ける存在」と捉えられかねない表現をしたことについては、女性論客からも「いかがなものか」という声が上がった。
自身のラジオ番組『うどうのらじお』(ニッポン放送)で、北京五輪スノーボード男子の金メダリスト・平野歩夢選手に対して「久しぶりに女心がキュンキュン! としましたね。残り少ないホルモンが出てきたみたいな気持ちになりましたけども」「素晴らしい演技、素晴らしい滑り以上に、いち日本に住むオバチャンの、ホルモン……って言うといやらしいですけど、気持ちまで若返らせていただきました」と発言し、物議を呼んだこともある。
これは平野選手に対する明らかなセクハラであるとともに、「オバチャンは女性ホルモンが枯れている」という自虐――やはり女性の若さを重んじているからこその発言に聞こえるのだ。
抜群の好感度のために大炎上はしないものの、有働アナのトークには「年齢と性」の要素が含まれていることが多い。そのため、炎上リスクが高かったり、誤解を持たれやすくなる。
先ほどの「50歳を過ぎると、恋愛に興味もなくなるんですよ」という有働アナの発言も、彼女の偽らざる気持ちだと思われるし、「女は若いほうがいい」というオジサン思想の人には、「そうだ、いつまで若いつもりでいるんだ」と歓迎されるだろう。しかし、世の中には50歳を過ぎても恋愛が大好きな女性もいるわけで、そういう人は、有働アナの発言にモヤモヤするだろう。
こういうリスクを回避するためには、主語をはっきりさせる必要があるのではないか。「私は恋愛に興味がありません、50歳を過ぎたからですかね」と言えば、それは有働アナの意見だとして受け止められるが、「50歳を過ぎると、恋愛に興味もなくなるんですよ」という言い方は、「25歳になったら、会社をやめろ」という過去になされた根拠のない決めつけと、さして変わらない気がする。
有働アナは、『うどうのらじお』内で、森喜朗氏が女性蔑視発言の責任を取り、辞意を表明したことについて、「私も男社会に長く生きているので、アップデートできていない部分があるんで、すごく発言するのが怖いというか……」と話していたことがある。誰もが程度の差はあれ、男尊女卑社会に生きており、そこに適応しなければ生きていけなかったわけだから、そうした部分があるのは当たり前だろう。
もしアップデートできる人とそうでない人の間に差があるとしたら、本人の気質(男性にかしづくのが好きな人もいる)に加え、傷の深さも関係してくるのではないか。男尊女卑社会に悩み、深く傷つき、それでもどうにかして適応しようと努力した人ほど、男尊女卑社会的な価値観を手離せないように思うのだ。有働アナの自虐は痛みの歴史。そう考えると、やっぱり彼女の自虐は笑えない。