こんにちは、元闇金事務員、自称「元闇金おばさん」のるり子です。
「社長いる?」
勤務2日目。夕方になると、左目に昔のタモリさんのような黒い眼帯をつけた髭の長い小柄の男が、慣れた様子で事務所に入ってきました。その風貌は見るからに怪しく、只者でない雰囲気が漂っています。見た目に圧倒されて、怖気づいて言葉を失っているうち、先輩・愛子さんが応対に出て応接室に案内されました。
「コーヒーを入れて差しあげて。社長のと、2つね」
給湯室でコーヒーを入れ、少し緊張しながら扉をノックして応接室に入ると、帯のついた百万円の束が3つ、テーブルの上に積まれています。現金の受領と引き換えに、各物件のカギと賃借権関係の書類を引き渡しているので、占有している債務者の物件を売却したと思われました。
「これ、数えてくれるか」
書類を避けてテーブルの端にコーヒーを置くと、社長から札束を渡され、それを数えるように指示されます。これほど多額の現金を手にするのは、生まれて初めてのこと。緊張しながら愛子さんに手渡すと、その場で「お札カウンター」(紙幣計数機のこと)にかけて、その操作方法と合わせて入金伝票の書き方を教わりました。
「あの人は、不動産屋さんですか?」
「ああ、高木さん? あの人は、事件屋さんよ」
「事件屋さん?」
「そう。正規に売れないものを専門に売買する人。あの人は、不動産の事件屋さんね。よく来る人だから、名前と顔、覚えておいて」
あとでわかったことですが、事件屋にも種類があって、金策に詰まった客を連れまわす金融ブローカーをはじめ、不動産の賃借権を取り扱う人、資金繰りに使うための架空手形を用意する人、ローン中や盗難届が出されていることを理由に名義変更できない車を売買する人、顧客のクレジットカードでお金を作る人、顧客名簿を売買する人、不良債権を安価で買い取り強烈な取り立てをする人など、さまざまなタイプの事件屋さんがいました。
地面師(土地の所有者になりすまして不動産の売却を持ち掛け、多額の代金をだまし取る詐欺を行う人物)や整理屋(倒産しそうな企業に乗り込んで債権回収を図り、高額な手数料を巻き上げる人物)、提携弁護士、エセ司法書士、保険金詐欺師のほか、女性を風俗に沈めてお金に換えるスカウトマンなどの出入りもあって、半年に一度は、会社に出入りする人の逮捕報道に接していたように思います。
深く関わったら、いいようにされる――その道のプロといわれる方ばかりだからか、どこか不思議な雰囲気をまとうクセの強い人が多く、お土産をいただくなど優しくされても、怖い気持ちが消えることはなかったです。
「M自動車の件、今日で無事に片付いた。みんなの頑張りで、かなり取れたから、臨時ボーナスを支給します」
その後、残置物の売却や売掛金の回収を続けた結果、総額で350万円あまりの入金が確認されました。貸付金の2倍以上も多く回収できたため、全社員に報奨金が支給され、入社したばかりの私も恩恵に授かります。金額は、3万円。夜逃げした債務者一家のことを思えば、とても悪いことをしている気になりますが、借りたものを返さないまま失踪しているのも事実です。
予想外の臨時収入を得て、寄り道してから帰宅することにした私は、最寄り駅の前にあるデパートで通勤用のバッグを買って帰りました。初めての不渡事故を忘れないよう、会社がなくなるまで愛用して、つい最近になって廃棄したことを申し添えておきます。
日々の業務に慣れ、お客さんの顔を覚えてくると、その人の懐具合や人間性まで見えてきます。中には、20年以上にわたって毎週欠かさずに来社するお客さんもおられて、どんな会社の社長なのか気になりました。
台帳を見れば、これまでに1000万円以上の金利を払っているのに、200万円ほどの債務が残っています。その貸方は、第3者の連帯保証人がついていない単名貸付で、月6分(年利72パーセント)の金利を徴収していました。本来であれば、月1割の金利をいただく内容ですが、取引歴が長い分、安く貸しているようです。
「いらっしゃいませ。今日も暑いですね。いま、おしぼりと麦茶をお持ちしますので、少しお待ちください」
「おお、ありがとよ。今日も優しいねえ」
何度か接客しているうち、軽口をたたかれるまでの関係になった立山社長(当時64歳)は、手形集金があるたび、ウチの会社で割引(受け取った手形を支払期日より前に現金化すること)をしていました。手形を発行する振出人は上場企業で、倒産の心配はほとんどなく、どこに持ち込んでも割り引ける銘柄といえるでしょう。
その割引料(買取日から支払期日に至るまでの利息のこと)は年10%で、物的担保なしに行う信用貸付と比べれば安く感じますが、銀行の5倍以上といえるレベルの料率です。
「立山社長は、どんなご商売をやられているんですか?」
「ウチは、輸入卸業者だよ。ヨーロッパから衣類や雑貨、インテリア小物なんかを輸入して小売店に卸しているの。ここの社長とは、創業以来の付き合いでさ。銀行と違って、苦しいとき世話になったから、いまもこうしてお付き合いしているってわけ」
この日の取引は120万円。金銭消費貸借契約書(借用書のこと)と裏書された手形を受け取り、4カ月先とされた支払期日までの割引料を天引きした金額を、立山社長の接客にあたる社長に手渡します。
応接室の中は、薄毛をなでつけるポマードと入れ歯装着者特有の口臭が混ざり合った立山社長の臭いが充満しており、息を止めながらトレーを差し出しました。現金を受け取り、すぐに席を立った立山社長をエレベーターで見送ると、ぼそぼそと社長が話し始めます。
「立山社長は、前に不渡りを出していてね。銀行には相手にしてもらえないから、仕方なくウチを使っているんだ」
「そうなんですか。こういってはなんですけど、もったいないですね」
「ああ。日本は、1度失敗すると、2度と信用されないからな。世間なんて冷たいもんだよ」
それから15年ほど、同じような取引を反復継続して繰り返した結果、立山社長の会社は倒産。折しも、過払い金請求訴訟がブームになっていた時期であったため、手のひらを返される形で訴訟を起こされました。刑事事件にしたくなければ、これまで支払った金利を返せというのです。
「あんなに世話してやったのにケンカを売ってくるとは、ふざけた野郎だ」
そう社長は怒っていましたが、この頃は貸金業者に対する取り締まりが厳しく、いままでのように反撃するわけにもいきません。法改正がなされたことを理由に退社する社員も多く、いままでの力を失っていたことも事実です。
結局、不法な高利を請求していた事実は認めることなく、表向きの帳簿を基に話を進めた結果、600万円ほど返還することで和解となりました。先方からは、2000万円以上も請求されていたので、悪い結果ではなかったように思います。
「苦しいとき世話になったから、いまもこうしてお付き合いしているってわけ……」
あの時に聞いた社長に対する感謝の気持ちは、同じように助けてもらえなかったことで、すべて忘れられたのでしょう。金の切れ目は、縁の切れ目。会社がなくなるまでの数年は、借りた金を返すことなく過払い請求してくる客ばかりで、私自身も人間不信に陥りました。
※本記事は、事実を元に再構成しています
(著=るり子、監修=伊東ゆう)