『子どもを連れて、逃げました。』(晶文社)で、子どもを連れて夫と別れたシングルマザーの声を集めた西牟田靖が、子どもと会えなくなってしまった母親の声を聞くシリーズ「わが子から引き離された母たち」。おなかを痛めて産んだわが子と生き別れになる――という目に遭った女性たちがいる。離婚後、親権を得る女性が9割となった現代においてもだ。離婚件数が多くなり、むしろ増えているのかもしれない。わずかな再会のとき、母親たちは何を思うのか? そもそもなぜ別れたのか? わが子と再会できているのか? 何を望みにして生きているのか?
第4回 平川美月さん(仮名・42)の話(前編)
「『2つの家を行き来してて、子どもが混乱しませんか?』ってよく聞かれます。だけど、むしろ楽しんでます。子どもは柔軟ですから」
1週間ごとに、元夫と自分の家を行き来させて娘を育てている平川美月さん。日本でこうした育て方をする人は、まだまれだ。なぜこうした育て方をするに至ったのか? 今回はその前編。別居に至るまでを記す。
祖母から母、母から娘へストレスの連鎖
――生い立ちから教えてください。
両親のほかに兄がいます。父は光ケーブルの敷設や無線通信のアンテナ設置を担当するエンジニアでした。転勤続きで、私が生まれたとき、家族は都内近郊に住んでいました。4歳のときに長野県佐久市へ、そして小学5年生のとき、父の実家がある県内の駒ヶ根市に引っ越しました。
――父親の実家に住むことで、家族の関係性は変わりましたか?
実家にひとりで住んでいた祖母と同居することになったため、関係性は変わりました。そのころ、祖母は祖父の看病に追われていて、病院通いの毎日。看病のストレスから、祖母は同居後、母につらく当たるようになっていきました。
――嫁姑問題によくある話だと聞きますね。
母は母で、それまで都会の社宅でマイペースで生きてきたのに、祖母との同居で、息苦しくなってしまった。ストレスを抱えた母が、今度は、私につらく当たるようになりました。
――お母さんがおばあさんの、美月さんがお母さんのそれぞれストレスのはけ口にされちゃったんですね。それはつらい。それで、お母さんからは、どんなふうに当たられたんですか?
高校の野球部のマネジャーを「大変だから辞めたい」って言ったとき、「(同野球部で活躍していた)お兄ちゃんの顔に泥を塗って!」と罵倒されました。私の生活態度が気に入らないと、大切にしていた友達やその親に電話して、無理やり関係を切られたこともありました。
――それはひどい。だったら反発したくなりますね。
2〜3日家に帰らないこともしばしばでした。働くのが好きだったので、居酒屋の厨房やコンビニ、マクドナルドでバイトに励んだりもしていました。
――就職から結婚するまでの間はどうだったのですか?
高校を卒業した後、コンピューターの専門学校に2年通い、CADでの図面作りなどを習ったんです。就職はCADの技術を生かして、電気工事会社。その後はレンズメーカーに転職しました。一度目の結婚はレンズ会社にいるとき。お相手は、専門学校時代から付き合っていた先輩のAです。
――現在、共同養育しているのは、その彼との間にできたお子さんですか?
違います。Aはお金遣いが荒かったので、妊娠する前に25歳のとき、2年ほどで離婚しました。そのタイミングで会社も辞めました。というのも、レンズメーカーはAに紹介された会社だったので、いづらくなってしまって……。
――今のお子さんが生まれるまでのことを教えてもらえますか?
Aと離婚した後、水商売をしていました。再婚相手は、その店のお客さんだったBです。解体業のグループのひとりで、いつもふざけている、いじられキャラ。面白い人だなって思いました。
女の子たちとアフターで一緒にカラオケに行ったり飲みに行ったりするうちに、Bと個人的に仲良くなっていきました。ちゃんとした交際のプロセスがあったわけじゃなくて、気がついたら「じゃあアパートを借りるから」ってBに言われていました。
――美月さんへの相談もなしに、Bさんが同棲を決めたんですね!
黙って自主的に動くようなところが職人ぽくて格好いい、包容力がある人だって、Bのこと思っちゃった。いま思えばほれていて何も見えなくなっていたんでしょうね。
――そうして同棲が始まったんですね。
同棲するタイミングで、Bは引っ越し会社に転職しています。それだけじゃないですよ。同棲して1年ぐらいたったとき、突然、同棲の解消を突きつけられたんです。「俺、長男だから実家に戻らなきゃいけない。だから、このアパートは解約する」って。Bのお父さんががんになって余命いくばくもない状態だったんです。
――同棲に転職、そして実家での同居。彼はいろいろ勝手に進めるんですね。
最後の時間を父親となるべく長くいたいというのは理解できました。でも、解約するほどのことなのかなとも思ったんですよ。アパートがあった場所からBの実家までは車で15分ぐらいですから「通えばいいんじゃない?」って言いました。聞き入れてくれませんでしたけど。
――Bさんの実家での同居を承諾したのは、いつですか?
ほどなく義父が亡くなってしまって、お葬式に参列したんです。そのときですよ。Bにプロポーズらしい言葉をかけられたのは。「お母さんがひとりになっちゃうから、ここの家で暮らしていこう」って。28歳のときでした。
――お葬式でのプロポーズ! 強引ですね。
当時、むしろ「頼もしい」って思いました。「実家のことを、それだけ真剣に考えてるんだ。だったらそれに付き合ってもいいかな」って。
――何も条件は出さなかったんですか?
出しました。「30歳までは水商売は続けたい。そのことをあなたのお母さんが理解してくれるなら、一緒に住んでもいい」って。するとBは、「そのことは、もうお母さんに言ってあるから大丈夫」と言うんです。
――実際、Bさんはお義母さんに話していたんですか?
それが、言ってなかったんです。同居してしばらくたったとき、義母に言われました。「あんた、いつまで夜の仕事なんかやってるの?」って。それでBに問いただしたら、「何の話?」って。
――約束を破ったんですか!
それだけではありません。もうひとつ嫌だったのは、日曜に妹さん一家が来ることでした。夫婦は子ども2人を実家に預けて、日中出かけるんです。
私が義母の立場だったら、面倒を見てあげたいし、ご飯を食べさせたり、お風呂に入らせてあげたいって思うのかもしれない。でも、そうなると私が耐えられない。毎週、私が子どもの世話をしたり、みんなが帰った後にドロドロの風呂なんて入れないって思ったんです。
――Bさんだけでなく、家族ぐるみで、利用されているじゃないですか。
そうなんです。だから私、我慢できなくて。Bに言ったんです。「実家から出てアパートで暮らさない? あなたひとりでお母さんに会いに行ってあげればいいじゃない?」と。すると「アパートには引っ越さない。消防団をやってるし」とか言って渋るんです。
――関係性がズレていきそうですね。
「付き合いきれない」って思いました。それで私、ひとりで家を出てアパートを借りたんですよ。車で15分ほどの距離のところに。同居したのは、結局4カ月だけでした。
――別居したんですね。Bさんは謝ってきたりしたんですか?
それが半年の間、何の連絡もしてきませんでした。半年たって、久々に連絡が来たんですが、それは「お父さんの一周忌をやるけど来る? 来たくなかったら来なくてもいいよ」というメールでした。文面を目にして、私、完全に気持ちが冷めてしまいました。
――なんのねぎらいもないんですね。
だけど、お義父さんが別に悪いわけではないし、行かないのも申し訳ないので、一周忌には行ったんですよ。それでそのとき、今後についてBと話して、「次、ダメだったら離婚する」という条件で、アパートでBと同居することにしたんです。
――同居してからは?
ちょうど私が30歳になったとき、妊娠がわかりました。するとBは、それを機に引っ越し会社を辞めて独立しました。
――妊娠を機に仕事を替えたのは、Bさんなりの決意表明ですか? 出産後はお義母さんとの関係はどうなったんですか?
週末に、お義母さんの家に子どもを見せに行くじゃないですか。すると「もういいじゃん。帰るのめんどくさいから、泊まっていこう」ってBに言われて、ずるずると水曜までいたりするようになったんです。Bは子育てを全然手伝ってくれないけど、義母が子育てを手伝ってくれるから、少し楽ができる――というのもあって。
――そういうのが習慣化して、結局また、Bさんの実家でお義母さんとの同居が始まったわけですね。でも、美月さんの実家で暮らしてもよかったのでは?
母との関係がね……。それに義母は、もうすでに孫を何人も育てて慣れているし、元気で体力もあったので。
――そこから、なぜ、子どもと別れることになってしまったんですか?
Bの資金繰り、要は仕事がうまく回ってなかったんです。彼の実家で同居を始めた後、家賃が浮いているはずなのに、督促状が来る。しかも国保が未払いになっていて、保険証が切れてることがわかった。なのに彼は「自営業だから収入は流動的。だから、決まった額を家には入れられない」って開き直るんです。
――筋を通さないんですね。
義母が息子のお金のなさに気がついて、支払い用のお金を補填するようになりました。なのに、Bはそのお金を全部使っちゃって、義母とケンカするようになったんです。すると義母に言われました。「日中、子どもを預けて、美月さんが働きに行きなさい」と。
――Bさんの意見はどうでしたか?
「おまえが子どもを保育園に預けて、昼間働きに出たりなんかしたら、まるで俺が稼いでないみたいに思われるじゃん」って。
――えっ! 理解できません。
Bには田舎の見栄があって、周りの知り合いのように、独立して商売をやれるようになったことが、すごくうれしかったみたいなんです。だから、稼いでいるように、周りからは思われたかった。
――もっと正直になればいいのに。
その間、Bと義母はお金のことでずっとケンカしてるわけですね。私は私でBのお金にだらしない部分に対しての不信感が拭えなかったし、自分で稼いでいないと不安で仕方なかった。そうしたことからズレが生じて、ケンカが増えていきました。
――ケンカがエスカレートしたのですか?
はい。それでそのうち、Bに殴られるようになりました。また、娘を抱っこしているときに後ろから蹴りを入れられたり、ペットボトルを投げつけられたり、ガラスを割られたり、暴れられたりしました。
――完全にアウトだ。DVですよ、それ。
だけど、暴力を振るった直後、世の中で一番自分がかわいそうな人っていうぐらい、毎回、Bは反省するんですよ。その気持ちに偽りはない。だから、つい情が惑わされるんですよね。ひとりにさせたらいけないのかな、とか。その都度、ためらってしまって。
――よく耐えましたね。でも、それも限界が来たということですか?
そうです。何回か繰り返した後、娘が3歳のときのことでした。保育園に入園した直後の日中に、Bとかなり激しいケンカをしたんです。義母は私たち2人がもめたことを知っていました。
――ケンカの後、夜、一緒に食卓を囲みますよね?
だから私、気持ちが全然落ち着かなくて。「今日もまた、一緒に食卓を囲むなんて、もう耐えられない」と思って、「今日、家を出るから」ってBに言ったんです。
――娘さんを連れていこうとは思わなかった?
それは無理でした。とりあえずの仮住まいが、建設現場にあるプレハブだったので。
(後編へつづく)