小学校に入学した子供が、幼稚園・保育園からの環境の変化に馴染めず、教室を歩き回る、授業中に大きな声を出すなどの行動に出る「小1プロブレム」を解決するため、文科省が5歳児に教育プログラムを策定するという報道がありました(「【独自】学習態度・学力ばらつき「小1問題」解消、文科省が5歳児に「教育プログラム」」)。
このプログラムは少し前から話題になっており、文部科学省では「幼児教育スタートプラン」と呼ばれています。肝になるのが「幼保小架け橋プログラム」で、5月25日の大臣の会見や7月8日の会議資料に詳細が書かれています。
簡単に要約すると、①子ども庁が創設されるのを契機に、②現状では幼稚園・保育所・認定こども園でバラバラになってしまっている幼児教育の整合性を取り、③幼児期の終わりまでに育ってほしい姿を具体化する、④具体的には、学びに向かう力・人間性等、知識・技能の基礎、思考力・判断力・表現力等の基礎、の3つである、といった感じです。
私はカリキュラムの専門家ではないので、④の妥当性はよく分かりませんが、大臣の会見・会議資料に教育政策の観点からとても気になる点がありました。それは「幼児教育の学校化」と「遊びを通じた学び」の対立です。
この対立は、現在世界的にも注目を集めているのですが、日本ではあまり知られていないようです。そこで今回は幼児教育スタートプランの是非を考えるためにも、このバトルについてご紹介しようと思います。
学校を幼児教育に合わせるのか?幼児教育を学校に合わせるのか?
なぜ幼児教育の学校化と遊びを通じた学びが対立してしまいがちなのか、原因はとても明瞭です。
報道された幼児教育スタートプランが小1プロブレムに対処しようとしている点からも分かるように、幼児教育と小学校の間のスムーズな移行は教育政策上大きな課題となっています。2017年にOECDが出版した幼児教育に関する報告書でも詳しく取り上げられている程で、結論を先に行ってしまうと、幼児教育と小学校の連携がカギとなります。
あまりにも結論が当たり前すぎるので、バカにしているのかと怒られそうですが、少し立ち止まって考えてみると、幼児教育と小学校の連携は意外と難しいことが見えてきます。幼児教育も小学校も、既にそれぞれ独立した別のシステムとして成り立ってしまっているので、この両者を歩み寄らせるのは、様々な関係者を巻き込む大掛かりなものとなるからです。
理想の形は、幼児教育も小学校に歩み寄るし、小学校も幼児教育に歩み寄るというものです。しかし、幼児教育と小学校で担当省庁が一致していないのは世界的にもよく見られることですし、双方の教員養成も往々にして別の学部で行われています。私立の経営者、担当行政官……と元国連職員の私から見ても調整に頭が痛くなるレベルのアクターと利害関係が関わってきます。
有力な妥協案としては、どちらか一方だけを歩み寄らせるパターンです。これだと、担当省庁や担当者間の折衝が大幅に減り、歩み寄らせる側に依頼・命令をすればよいだけなので、一気に現実的な選択肢となります。
幼児教育の学校化
では、小学校を幼児教育に歩み寄らせるか、幼児教育を小学校に歩み寄らせるか、どちらが容易なのかと言うと、確実に後者だと経験的に言えます。
第一に、担当する組織の力関係です。小学校はそれそのものを担当する省であることが世界的にも主流です(日本の場合、文部科学省)。一方、幼児教育は、小学校を担当する省と同じである場合もあるのですが、私の経験上、別の省の一部局が担当しているケースの方が多いように感じます。こうなると、省vs局になるので、圧倒的に前者が強くなります。
また、世論の賛同を得やすいという特徴も有しています。小学校低学年に遊びを通じた学びも取り入れていこうと主張すると、「小学生に遊び? ちゃんと勉強させろ!」というありがたいご意見を頂戴することがありますが、幼児教育で学校教育を先取りしていくことについては、それはよいという感想が大半になります。実際に、私が仕事対象としている途上国でも、私立の幼児教育施設を選ぶときに、先取り教育は、モンテッソーリ教育と互角かそれ以上に人気があります。
しかし、そもそも良い幼児教育とは何でしょうか? これが中々の難問で、決まった答えもないし、国や地域によってその答えも異なってくると思うのですが、私なりの答えを簡潔に述べれば、「子供の発達段階に応じた適切なケアと刺激が与えられているもの」です。
学校教育の幼児教育段階での先取り、即ち幼児教育の学校化の何がマズいかというと、子供の発達段階に応じていないからです。しかし、私もカリキュラムや子供の発達が専門ではないので、子供の発達段階とは具体的にどういうことかを答えられないように、「子供の発達段階に応じたうんぬんかんぬん」はわかりづらい一方で、「先取りがしっかり行われているか否か」を非常にわかりやすいので、受け入れられやすいんだろうなと思います。
さらに複雑なのが、幼児教育の学校化は子供の発達段階を無視しているので基本的には間違いなのですが、完全には間違っているわけではないという点です。幼児教育と小学校の双方の歩み寄りが大事だと前述しましたが、幼児教育が小学校に歩み寄るべき点を上手く拾う形で幼児教育の学校化が起こると、ある程度の効果は見込めます。その一つが、早期識字・早期計算能力で、これが高い効果を発揮することは学術的にも検証されており、現在でもアメリカおよびアメリカの影響を受けた国際機関によって、多くの途上国でこの要素の幼児教育の学校化が広がりを見せています。
そして、先進国全体で見ても、幼児教育の学校化は広がりを見せており、長期的には幼児教育と小学校の連携は、幼児教育の学校化によって進んでいくのかなと私も考えています。
遊びを通じた学び
幼児教育の学校化の対になるのが、遊びを通じた学びです。
これは0歳から8歳ぐらいまでを幼児期と捉え、小学校低学年段階を幼児教育に寄せていくという特徴を有しています。具体的には、ユニセフなどが、小学校低学年の教員に対して研修などを実施していたりします。
幼児教育の学校化よりもこちらの方が「発達段階に応じた」という点を拾えているので子供達のためになる可能性が高いのですが世界的には劣勢です。前述の通り、発達段階に応じたという点がちゃんと勉強しないと分からないものなので、受け入れられ難いのでしょう。ただ、なかなか興味深いアクターが参戦しています。
それはレゴブロックとセサミストリートです。それぞれレゴ財団・セサミワークショップという団体になっていますが、この両者はそれぞれの会社の製品を活用し、遊びを通じた学びを途上国で、特に紛争地の子供のメンタルケアの手法として推進するために、ニューヨーク大学などの有力な学術機関と連携しながら様々な取り組みをしています。特に、紛争地の子供のメンタルケアは幼児教育の学校化アプローチでは絶対に届かない領域なので、全体的には劣勢とは言え、こういった部分部分では優勢に立っています。
日本の良い所
学校教育の先取りに引っかかる人と同程度には、遊びを通じた学びなんて当たり前でしょと考える人が多いのではないでしょうか? あまり認識がされていないようですが、遊びを通じた学びという点において、日本は世界のトップランナーだからです。これを捨ててしまったら実にもったいない事です。
では、先の幼児教育スタートアッププランは、幼児教育の学校化か、遊びを通じた学びか、どちら側に重点を置いているでしょうか? 6月29日の大臣の記者会見の議事録を読むと、「遊びを通じた学び」という単語が出てきており、少なくとも一方的な幼児教育の学校化では無いことが読み取れます。
ただし、遊びを通じた学びの実践は小学校低学年の教員にも求められるスキルとなってくるのですが、大臣の言及ではこれが全ての保育人材に限定されてしまっているのが気になります。さらに、冒頭に触れた5月25日の会見や会議の議事録でも、幼児教育段階での小学校への準備はことさらに強調されているのですが、小学校側のアクションについては極めて記述が薄くなってしまっています。
このことから、現時点では幼児教育の学校化が優勢な形で幼児教育スタートアッププランが考えられているように見受けられます。しかし、今後議論がより深まっていく中で、内容が変わっていく余地は大いにありそうです。小学校・幼児教育が双方に歩み寄っていくことが重要だということはこの記事の中で繰り返し言及していますが、日本は遊びを通じた学びで世界のトップランナーであることをより活かした形で小1プロブレムへの取り組みが進んでいくと良いなと思います。
最後に個人的には、日本は遊びを通じた学びが普通に行われているという宝を、途上国の教育支援にも活かしていってもらえるといいなと願っています。もしそうなったら私も帰国して、一騎当千の働きをお見せしようと思います。
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