時短、カンタン、ヘルシー、がっつり……世のレシピ本もいろいろ。今注目したい食の本を、フードライター白央篤司が毎月1冊選んで、料理を実践しつつご紹介!
今月の1冊:『荒野の胃袋』井上荒野
「今、〇〇が食べたい気分」に忠実でありたい。そこだけは、ゆずれない――世の中にはそんな人が一定数いる。「我が食意向原理主義者」とでも言おうか。井上荒野(あれの)さんは作家であり、エッセイの名手であり、そんな人種のひとりだと思う。
本書は食をテーマにしたエッセイ集で、原稿用紙1枚半ぐらいのショートエッセイが50編ほど、四季別で詰め合わせになっている。
「とうもろこしは『齧る』ことでおいしさを増すような気がする。黄色という明快さ、整然と並んだ粒に歯形を残す乱暴さ、齧りとるときの歯応え。歯列矯正のワイヤーをつけていた高校時代、修学旅行で訪れた北海道で、屋台の焼きとうもろこしを食べることを断念した無念さを、いまだに覚えている」(夏の章 「昔のとうもろこし」より)
きっと屋台の前にはまだ荒野さんの残留思念があるんじゃないだろうか。エッセイそれぞれに食材自体への思い入れや、家族や友人と食べた思い出、ご自身の創作レシピ的なものと主題は様々だが、常にブレないのは「ああ、そのとき本当にそれを食べたかったんだな、心から」と感じさせるところ。
ただ人間、常に「〇〇が食べたい!」と具体的に浮かぶわけでもない。心にぼんやりと漂う「肉の気分だけど、脂っこい料理ではなく……」とか「白ワインに合うもので、なるたけ魚介系で」みたいなざっくりしたものをヒントに自問自答しつつ、あるいは冷蔵庫にあるものを思い出しつつ、きょうの気分にかなうものを考えるわけだ。
ごく短いエッセイの数々から、そういう作業を決しておろそかにしない人であることが伝わってくる。「干鱈と闘う」という一編は、食べたいものを形にすべく奮闘するさまが描かれて実にたのしい。料理好きの食いしん坊なら、多くの人が「あるよね、こういうこと」「そこまでやる!」なんて思いながら、笑顔で読まれると思う。
折々で見えてくるご実家の食卓風景がまた印象的。とにかく荒野さんの父親(作家・井上光晴)は相当な「おいしいものに固執する人」で、母親も「本当に食い意地の張っている」料理上手だったよう。著者の子ども時代といえば1960~70年代のはずだが、パスタもうどんも手打ちときている。
天然のブリが1尾届いてもなんのその。お刺身はじめ、ブリ大根、照り焼き、粕漬けなどあれこれ料理して片づけてしまうほどの人だ。求められるクオリティにすごいレベルで応えていた妻と、「うっかり持ってしまった家庭の中でいつも途方に暮れていた」という夫。そんなふたりの娘として生まれ、過ごした食時間をおだやかに懐かしみ、いとおしむ気持ちがエッセイのあちこちから感じられてくる。
真似してみたい料理やアイディアがたくさん載っているのも大きな魅力だ。コンビーフのフライはやったことなかったなあ。煮干しの天ぷらにも誘われる(ここの描写、シンプルきわまりないのにお酒が飲みたくてたまらなくなる!)。「がり餅」を入れる鍋はすぐにでもやってみたい。
エッセイなんだけれども一編一編がショートムービーのようでもあり、長めの短歌のようでもあり。ちょっとホッとしたいとき、ひと息つきたいとき、あたたかい飲みものや1杯のワイン、あるいはひと粒のチョコレートを求めるような感じで、私はよく『荒野の胃袋』を開いては数編読んで、リラックスしてきた。
そう、実は本書、2014年に発売されたものの文庫化。現在単行本のほうは入手困難なので再販が嬉しく、ぜひともご紹介したかった。文庫化に際して、作家・角田光代氏との対談「生きること、食べること」も収録されている。角田さんも食の時間をすごく大切にされる方だ。おふたりがコロナ禍を経て感じられたことも興味深い。