“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
高次脳機能障害の父、博之さん(仮名・69)の体調が悪くなり、瞬く間に看取り期となった。娘の中村万里江さん(仮名・36)は、博之さんが入居しているホーム近くのホテルに泊まりこんでいたが、ちょっとベッドから離れている間に博之さんは旅立ってしまった。
父を見送った後、旅へ出ることに
中村さんは、母・晃子さんの葬儀から1年もたたないうちに、博之さんの葬儀を行うことになった。晃子さんのときと同様、対面での葬儀とオンライン葬儀だ。
「2年連続で葬儀を出すとは思ってもみませんでしたが、明らかに自分の“能力”が上がっているのがわかりました」
博之さんが亡くなった翌日には、博之さんの思い出ビデオ制作に着手した。そしてその日のうちに、旅に出ようと決めていた。
「この地にいるとつらい。何か楽しいことをしたいと思ったんです。慶弔休暇をフルに使って、旅に出ようと思いました」
葬儀を終えると、1週間、九州にいる友人たちのもとを回った。そして自宅に戻ると、日常を取り戻そうと弁当づくりに精を出したという。
「母のときは、重い荷物を持っているお年寄りを手助けするなど、人を助けることで日常を取り戻していきました。今度は、出来合いのものを食べる生活が続いていたので、丁寧な食生活をしようと思ったんです」
生活保護を受ける兄と相続問題
両親が亡くなり、相続問題にも手をつけないといけなかった。実家は、晃子さんの死後、ガレージセールを開いてほとんどのものは片づけていたが、土地や家屋、博之さん名義の預金や株がある。
中村さんの頭を悩ませていたのは、関西で生活保護を受けている兄のことだ。
「親の財産を相続すると生活保護はもらえなくなります。兄は生活保護を受給し続けたいので、相続放棄したいと言いましたが、そうすると今後、私が兄のケアをし続けないといけなくなる。それは負担が大きいと思いました。それなら土地も家も売って、公平にすべて半分に分けるのがベストだと。生活保護がもらえなくなったらケースワーカーもいなくなり、兄が金銭管理できなくなるかもしれません。だまされたりしないか、すぐにお金が底をついてしまわないか、心配は尽きませんが、それはもう兄の問題なんだと割り切ることにしました」
両親の介護を1人で担ってきたのだから、中村さんが遺産を多くもらってもよいと思うが、中村さんはそれもすでに割り切っている。
「確かに兄は何もしませんでしたが、何もしなかったことが兄の仕事だと思っています」
今は、相続のための目録を作成しているところだ。それから、中村さんは次のステップに移ろうとしている。
「父が亡くなった年の年末、仕事に力が入らなくなりました。次の年も同じ仕事をすることが考えられない。これは、次のステップに進む合図じゃないかと思ったんです。ちょうどオンラインの仕事が入ったこともあり、その仕事をしながら旅をしようと決めました」
きっかけの一つになったのが、その年の大みそかのことだ。
「父が亡くなり、兄はいるものの、私が帰る家はなくなりました。大みそかに、友人が家に呼んでくれて寂しい思いはしなくて済みましたが、元日は友人家族で集まるとのこと。私はそこには参加できないわけで……自分は友人の“家族”ではないことを痛感しました」
一方、若いうちに親を看取ったことで、大きな解放感を得られたという。
「2人の死を見て、人の一生なんてそう大きく違わないと思えたんです。母が亡くなるまでは自分のキャリアを細かく考えていましたが、いったん全部手放してもいいんじゃないか。そして旅をしながら、家族の形を考えてもいいんじゃないかと思いました。血縁はなくても、人を助け、助けられながら、世界に家族をつくっていきたいという気持ちが強くなりましたね」
あと半年もすれば、自転車で友人のいる九州に向けて出発するつもりだ。住んでいたシェアハウスは解約した。荷物は友人に預かってもらったスーツケースと、自分が背負うリュックのみになった。
自転車旅は、SNSで発信していくことにしている。中村さんからの報告が楽しみだ。