今年の春頃からだろうか。日本における生理の貧困がようやく可視化され始めたのは。
私は今年の2月から当事者取材を始め、日本での動きを観察してきた。この半年間、多くのメディアがこの問題を取り上げ、自治体による支援も活発化した。
しかし一方で、生理の貧困叩きも目につき始めた。当事者のインタビューが流れれば、「髪を染めている」「化粧はしているくせに」といった揶揄するコメントがあふれ、記事が出れば、「スマホを使っているのにナプキンが買えないなんておかしい」という、本筋とずれたおびただしい数のいわゆるクソリプがつくのである。
26年という私の短い人生経験をもって、「大きな変化が起きる時にバックラッシュはつきものである」と言うのはおこがましい気もするが、歴史や先人たちの指摘を見ればそれは事実らしい。
実際、報道が始まった今年の3月からまだ半年も経っていないにも関わらず、生理の貧困を解決しようとする動きは目覚ましいものがある。しかし、推進力があるほど抵抗力も大きくなるように、反発はやまない。
その中でもよく見られるいくつかのものに言及していきたい。
生理の貧困が単体で議論される必要性
まず、「生理の貧困」という言葉に引っかかる人が多いようだ。なぜ生理だけ特別視するのか、といった意見である。
また「マスコミがよくわからない言葉を造った」という、マスコミによる造語説も散見されるが、実際は違う。
生理の貧困は日本でできた言葉ではなく、Period Povertyという英語を訳したものである。既に諸外国では浸透している概念であり、生理用品の無償配布の動きが活発化していた。日本ではかなり遅れており、今年の春になってようやく、国内の実態調査が公表され、メディアでの報道が活発にされるようになったのである。
諸外国の動きはめざましいものがある。スコットランドでは2020年2月から生理用品無料化を義務付ける法案を決議し、同年11月には本法案を制定した。イギリスでは2014年から生理用品の税金撤廃の署名活動が始まり、今年1月にはついに税金が撤廃された。そのほかにも韓国、フランス、イングランドなど、すでに動いている国を挙げれば枚挙にいとまがない。
これほど多くの国で、Period Poverty が問題となり、それを解決するために政府や民間団体が動いているという現実を鑑みれば、生理用品の不足が国を超えて問題視されており、この事象に「生理の貧困」という名称をつけ、概念化する必要性や正当性が自ずと見えてくるはずである。
「生理の貧困」の4つの要因
生理の貧困への無理解は、今までの貧困問題への無理解と似た部分がある。
端的にいえば、相対的貧困への無理解だ。相対的貧困とは、その国や地域の水準の中で比較して、大多数よりも貧しい状態のことを指す。所得でみると、世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分(貧困線)に満たない状態のことをいう。日本は先進国の中でも相対的貧困率が高いとされている。
貧困問題に関して発信すると、「絶対的貧困(生きるうえで必要最低限の生活水準が満たされていない状態)でなければ貧困を名乗るな」という主張が必ず現れる。
生理の貧困問題も、この相対的貧困への無理解から反発が起きているように思う。後に説明するが、生理の貧困の背景には複雑な要因がある。メディアが、「コロナ禍で300円ほどの生理用品も買えない人が増えている」というような、絶対的貧困のケースを全面的に出した報道をしたことが、この反発に拍車をかけたように思う。
私は当事者の声を聞く中で、生理の貧困には、主に以下の4つの要因があると分析している。
(1)経済的困窮
(2)ネグレクトや虐待、生理ヘイト
(3)父子家庭で生理用品が用意されず、必要だとも言い出せない環境
(4)性教育の不足、知識不足
ここでまず断っておきたいのは、生理の貧困とは必ずしも経済的な理由でナプキンが買えないことだけをさすのではなく、物資にアクセスできないことをさす、ということだ。
生理の貧困という言葉がミスリードだという批判はかなり多いが、そもそも貧困という言葉は、
①貧しくて生活が苦しいこと。
②大切なものが欠けていること。内容に乏しいこと。
という意味で、必ずしも経済的困窮だけを表す物ではない。知識の貧困、心が貧しい、という表現があるように、お金以外のものの不足に対しても用いられる表現である。
生理用品の無料配布はファーストステップ
生理の貧困には、生理がタブー視されてきた歴史と、女性の健康の軽視、男性中心の政治が大きく影響している。
生理がタブー視されてきた歴史に関しては、説明するまでもないだろう。最近ようやく、生理という言葉が日常で聞かれるようになったが、少し上の世代の人は、生理について公に議論される日がくるなどと想像もできなかったと口をそろえる。
また、化石ともいえる日本の性教育の代償はあまりに大きい。女性は生理の痛みや不快さはケアするものだと認識する機会を与えられず、また、男女別性教育のもとで育った男性は、生理への無理解をこじらせている。寄せられる無理解エピソードは「ナプキンは1日1枚くらいで足りる」「生理のときは性行為をしても妊娠しない」など想像を絶するものばかりで、性教育の敗北といって差し支えない。
特に親の思想や経済観念の影響を受ける10代においては、ナプキンを十分に買ってもらえなかった、決して貧しい家庭ではなかったがネグレクトや虐待により生理用品を供給してもらえなかった、などの体験を1人で押し込めて我慢してきた当事者も多い。
これらの複合的な要因から来る、「生理用品を十分に手に入れられない」という、人間の尊厳に関わる問題を解決するために、「生理の貧困」という括りで可視化し、アプローチしていく必要があるのではないだろうか。
こうした複雑な要因に言及すると、個々の問題を解決しなければ、ナプキンを配ったり、生理用品を軽減税率にしてもかわらない、という意見が聞こえてくる。
もちろん、何か一つの政策でこの問題が解決するとは思ってはいない。生理の貧困はコロナ禍でうまれた問題ではなく、コロナ禍で「顕在化」したに過ぎず、ずっと前からある問題である。
ネグレクトに関しては親へのアプローチが必要だし、経済的困窮には福祉の介入など根本的なアプローチが必要だ。それはそれとして、目の前にある、「生理用品を手に入れられない」という緊急を要する問題に一括でアプローチするためには、無償配布は有効だと考えられる。
また、生理に関連する出費の総額は、めまいがするような金額である。その格差を是正するために、まずは軽減税率化が必要であり、問題解決のファーストステップとして妥当だといえよう。
優遇ではなく是正
生理の貧困対策についての議論では、「生理のあるひとだけに補助があるのは優遇だ」「男性の納めた税金を生理のために使うな」という声もある。
つい先日には、日本維新の会の梅村みずほ 参議院議員が、<「生理の貧困」を入れるなら「ひげそりの貧困」も入れませんか。つい女性に支援を!の声が大きくなりがちだが男性も困ってる人はいる。貧困世帯の男子のことも考えてあげたい。>とツイートし、物議を醸した。
「生理の貧困」を入れるなら「ひげそりの貧困」も入れませんか。つい女性に支援を!の声が大きくなりがちだが男性も困ってる人はいる。貧困世帯の男子のことも考えてあげたい。
女性活躍と男女共同参画 重点方針原案 「生理の貧困」支援など 新型コロナウイルス https://t.co/4uWNSB0yMK
— 梅村みずほ 【ストップ!児童虐待】日本維新の会 参議院議員 (@mizuho_ishin) June 2, 2021
目を疑うような発言であるが、「生理の貧困っていうなら、スーツの貧困や〇〇の貧困はどうなんですか!」といった、まるで中学生レベルの発言は、ネット上でも複数見られる。これも、Period Povertyへの無知からくる無理解であり、この問題の深刻さを無視し、議論を妨げる発言といえよう。
そもそも、生理のないひとには最初からない出費であり、それを軽減するのは優遇ではなく是正である。また、費用面だけでなく、生理痛を始め種々の煩わしさや苦痛を鑑みれば、補助はいくらあっても足りることはないだろう。始まったばかりの動きに対して、このような不平等というレッテルを貼り批判することは、あまりに実態と乖離した、不等な言いがかりであり、到底看過できるものではない。
また、そもそも政治の役割は富の再分配であり、国民から集めた税金を元に、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することだ。男性の払った税金を使うなという意見は、障がい者用のスロープを健常者が払った税金で設置するなというようなもので、愚劣きわまりない。
狭義の生理の貧困から広義の生理の貧困へ
「生理の貧困」と括って議論をしていく必要性は他にもある。初潮に始まり、中絶、妊娠、出産、不妊治療、更年期障害など、女性は長期に渡り痛みや出費が避けられない。生理の貧困に関する議論をきっかけに、不快さや苦痛はケアするべきものであるという啓蒙と、そのための出費を社会が負担することで軽減していくという議論が推し進められる必要がある。
生理の貧困は、現状、ナプキンやタンポンなどの生理用品が手に入れられないことだけが想定されている。しかし、生理というからには、生理痛の鎮痛剤、月経困難症や子宮内膜症、無月経などの時にかかる婦人科の受診へのアクセスも対象になって然るべきだ。
狭義の生理の貧困から広義の生理の貧困へ。バックラッシュに邪魔されることなく、これからも議論が深まていってほしい。だれでも生理による苦痛をケアできる、健康で文化的な最低限度の生活が保障されている社会を目指していく必要があるだろう。
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