新型コロナウイルスが確認されてから3年目となった2022年。欧米ではマスク着用などの感染対策が緩和されたが、見えないコロナに恐怖を感じる人は相変わらず多く、有名人が亡くなるたびにネット上で「コロナか?!」と話題に。不安から陰謀説を信じる人も増え「コロナワクチンに殺された」「巨大な組織に殺された説」を唱える人も多かった。そんな22年に亡くなった海外セレブ10人の人生を振り返りたい。
ボブ・サゲット (俳優/スタンドアップコメディアン) 1月9日死去 享年65
TVコメディ『フルハウス』(1987~95年)で三姉妹の子育てに大奮闘する父親ダニー・タナー役を演じた国民的俳優。コメディツアーで訪れていたフロリダ州のリッツカールトン・オーランドホテルで亡くなっているのが発見された。
『フルハウス』の役柄から家庭的なイメージが定着したが、もともとは卑猥ネタを展開する毒舌スタンドアップコメディアン。おもしろホームビデを紹介する『America’s Funniest Home Videos』の司会者、人気コメディ『ママと恋に落ちるまで』(2005~14年)のナレーターとしても活躍。地元ペンシルベニアのテンプル大学在学中に撮った映画が学生アカデミー賞で表彰されるなど多彩な才能を持つ人気者だった。亡くなった後にリリースされたラッパー、デザイナーの「Bakin」MVでもコミカルな演技を披露しており話題になった。
私生活では2度結婚。最初の妻との間に3人の娘をもうけた。亡くなる少し前に接種した新型コロナワクチンが死因ではないかという説、死亡時感染していた新型コロナウイィルスが死因だという説が流れたが、警察当局は司法解剖の結果、死因は「鈍的頭部外傷」だったと発表。バスルームで倒れ、大理石の頭を強打し、その後ベッドに移動して横になり、意識を失ったのち死亡したとみられている。
アンドレ・レオン・タリー(ファッション・ジャーナリスト) 1月18日死去 享年73
US版「VOGUE」史上初めてアフリカ系アメリカ人としてクリエイティブ・ディレクターに就任したファッション・ジャーナリスト。編集長を務めるアナ・ウィンターの右腕としても活躍し、ファッション界に大きな影響を与えた。ニューヨークの病院で亡くなった。
ワシントンDC出身。両親は貧しく、デューク大学で清掃をしていた祖母に育てられる。ノース・カロライナ・セントラル大学でフランス文学を学んだ後、奨学金を得てブラウン大学に進学。フランス文学の修士号を取得した。卒業後、ニューヨークに移り、メトロポリタン美術館の衣装部門コンサルタントをしていた元「VOGUE」の伝説的エディター、ダイアナ・ヴリーランドからアンディ・ウォーホルを紹介され、ファッション界での活動を開始。「 Interview」「W」など有名誌で執筆し、1983年「VOGUE」のファッション・ニュースディレクターに就任。88年からはクリエイティブ・ディレクターを務めた。
こわもてで威圧的な風貌から「ファッションスナイパー」と呼ばれた彼。ファッションショーでは大きなケープを羽織って最前列で鑑賞することで有名だった。オバマ元大統領一家のスタイリストを務めたり、映画『セックス・アンド・ザ・シティ』にゲスト出演するなどエネルギッシュに活動。2020年にリリースした自叙伝では、アナのことを「冷酷」「いつもアシスタント扱いで、友人だと思われたことは一度もない」などと暴露し話題に。ファッション業界で人種差別を受けた経験があることも告白し、話題になった。
死因は、心臓発作とも新型コロナウイルスの合併症とも報じられている。レジェンドの急な死を悼み、多くのセレブが追悼メッセージを投稿した。
マーティン・スコセッシのギャング映画『グッドフェローズ』(90年)が出世作の個性派俳優。『ER 緊急救命室』にゲスト出演した際には圧倒的な演技力を見せ、エミー賞を獲得。味がある俳優で、サスペンスやワル男を演じさせたら右に出る者はいないと評価された。
ニュージャージー州出身。養子として育ち、マイアミ大学に進学。演劇を学び、学生劇場の舞台に立つなど精力的に活動。卒業後はニューヨークに移り、バーテンダーをしながら、役者として活動するために必要なエージェントを探した。エージェントは6カ月で見つかり、人気昼メロドラマ『Another World』にレギュラーとして出演。映画界にも進出し『サムシング・ワイルド』((86))でゴールデン・グローブ賞にノミネート。『グッドフェローズ』で名脇役として不動の人気を手にした。
私生活では離婚歴があり、娘が一人いる。2007年に飲酒運転で逮捕されるなどトラブルがあったが、その後も俳優として精力的に活動していた。婚約者もおり、私生活は充実していた。
亡くなったのは、新作映画の撮影のために滞在していたドミニカ共和国。睡眠中に息を引き取ったとされている。「新型コロナワクチンが原因ではないか」とうわさされたが、彼の広報担当者は否定した。
オリビア・ニュートン=ジョン(歌手/女優) 8月8日死去 享年73
きゃしゃで可憐な姿、声量豊かで透明感のある高音は鳥肌が立つほど素晴らしいと世界中で大絶賛された歌手。ミュージカル歌手としても人気を博し、乳がんを患ってからはがん治療の啓発活動家として精力的に活動した。
イギリス生まれ、オーストラリア育ち。母方の祖父はノーベル賞物理学者マックス・ボルン。音楽が大好きでテレビのオーディション番組で優勝し、イギリスで歌手活動を開始。バックコーラスなどの下積みを経てサードソロアルバム『レット・ミー・ビー・ゼア』(73年)がグラミー賞最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞。アメリカ移住後、「そよ風の誘惑」など数多くのヒット曲を飛ばした。ジョン・トラボルタと共演したミュージカル映画『グリース』が大ヒットし、女優としても認知されるように。1979年にエリザベス女王から勲功賞を授与された。
80年代には「フィジカル」が大ヒットし、社会的現象となる。92年に乳がんを患っていることを公表。寛解後は植物医学とがんの研究のための財団を設立したり、以前から熱心に行っていた環境保護活動を再開。国連の環境親善大使を務めるなど、チャリティの分野で積極的に活動した。また、2000年のシドニー五輪開会式に出演し、世界中のファンを喜ばせた。
親日家でもあり、東日本大震災後には何度も被災地を訪れ、復興を支援した。21年に日本政府より旭日小綬章を授与されている。
17年にがんが脊髄に転移していると公表。闘病むなしくこの世を去った。最期は家族と暮らす南カリフォルニアの牧場で、家族と友人に見守られながら息を引き取った。
透き通るような美貌を誇る演技派として知られた女優。8月5日、運転する車が猛スピードで住宅に突っ込み炎上。重度のやけど、脳損傷を負い、搬送先の病院で医師団による懸命な治療を受けたが11日に脳死判定が下り、14日に臓器移植のドナー登録が確認されたため、 生命維持装置が外された。
オハイオ州出身、保守的なクリスチャンの家庭に生まれ、文明の利器をほとんど使わず自給自足生活を送る厳格なキリスト教者共同体アーミッシュのコミュニティに住んでいたこともあった。12歳の時に父親がエイズで死亡。その3カ月後に兄が交通事故で死亡したが、アンは自殺だったと推測。父からは幼少期に性的虐待され、性病を移されたこともあると告白している。
高校の演劇クラブの舞台に出演した際にスカウトされ、ニューヨークに移って本格的に女優活動を開始。人気昼メロドラマ『Another World』にレギュラー出演したことがきっかけで、トップ女優の座へと、とんとん拍子にに上り詰めた。映画『サイコ』(98年)やテレビドラマ『Hung/ハング』(09~11年)など、数多くの作品に出演した。
プライベートではエレン・デジェネレスとの交際で注目を集めたが、破局後は別の男性と結婚して息子を出産。離婚後に交際した俳優との間にも息子がいる。
重度のやけどのため酸素が脳にいかない無酸素状態となったことが死因。司法解剖の結果、コカインや大麻成分が検出されたが、過去に使用したもので、事故当時はそれらの影響下にはなかったとされている。亡くなる前に出演したポッドキャストで元恋人のエレンにキャリアを潰されたとぶちまけていたことから、彼女の死にはさまざまな臆測が広がった。
クーリオ(ラッパー) 9月28日死去 享年59
1995年にリリースした「ギャングスタ・パラダイス」が爆発的な大ヒットとなり、幅広い層にラップの魅力を広めた。音楽プロデューサーでもあり、俳優や料理人にも挑戦するなど話題を振りまいたアーティストだった。
カリフォルニア州出身。両親が離婚後、母親に引き取られ、コンプトン地区で育った。治安が悪く荒れた地区だったが、ぜんそくがひどかったため図書館に入り浸り、ギャングには所属しなかった。警察沙汰を起こして刑務所に入ったり、クラック・コカイン依存になったりしたが更生し、消防士やロサンゼルス国際空港のセキュリティなどの仕事をしつつラッパーとしてメインストリームデビューする機会を狙った。
91年、WC率いる「WC&マッド・サークル」のメンバーとなり、本格的にラッパーとしての活動を開始。94年にトミー・ボーイ・レコードと契約を結び、デビューアルバムをリリースした。翌年、映画『デンジャラス・マインド/卒業の日まで』(95年)で使用されたR&B歌手L.V.とのコラボシングル「ギャングスタズ・パラダイス」が爆発的なヒットとなり一躍スターに。歌詞に卑語が含まれなかったのが万人受けした要因だといわれるが、これはサンプリングの元曲の作者であるスティーヴィー・ワンダーが嫌がったから。グラミー賞を受賞した名曲「ギャングスタズ・パラダイス」のリリックはクーリオ自身の経験がもとになっているが、“何かが降臨した”という見解を示していたかのようにスラスラ出てきたという。
クーリオは、テレビ番組のオープニングソングを手がけるなど、音楽プロデューサーとしても活躍。自分のすべての曲の著作権をオークションにかけ、料理人として活動する資金に充てたり、チャリティ活動を積極的に行うなど慈善家でもあった。その一方、トラブルも多く、2012年に交通違反の出頭命令に応じなかったとして逮捕。送られた拘置所に強盗容疑で逮捕された息子が入っていたことから、「親子で拘置所入り」と大々的に報じられた。
死因は心臓発作だったとみられている。兆候はなく、友人宅を訪れトイレに行ったところで倒れ、あっけなく亡くなってしまった。
日本でも大ヒットしたテレビドラマ『ジェシカおばさんの事件簿』(84~96年)の主演女優。80歳を過ぎてからも役者として舞台に立ち、2014年にはエリザベス女王から大英帝国勲章デイム・コマンダーの称号を授与された。
イギリス出身だが、1940年代のロンドン大空襲を逃れるために移住したアメリカで女優になった。ニューヨークのアメリカン・シアター・ウィングで奨学金を得て演劇学校に進学。銀幕デビュー作『ガス燈』(44年)でアカデミー賞にノミネートされた実力派女優で、数多くのドラマ、映画、舞台に出演。ゴールデン・グローブ賞、トニー賞を受賞、13年には名誉オスカー賞を受賞した。
『ジェシカおばさんの事件簿』では毎シーズン計12回エミー賞主演女優賞にノミネートされたが、受賞したことはなく、17年に受けた英週刊誌「Radio Times」のインタビューで、「本当に腹立たしかった」「だって、ハリウッドには届かなかったのだから。ほかの国では大ヒットしたのに、アメリカではいまいちで」と回想。同作で演じた主人公のジェシカについては「彼女の普通の女性というキャラクターがすごく気に入っていた。すべての視聴者に受け入れられたのは、その点が大きいと思う」と分析していた。
14歳からタバコを吸い始めたチェーンスモーカーだったが、60年代に禁煙に成功。70年代と80年代に首のシワとりの美容整形手術を、90年代に関節炎に苦しむようになり94年に人工股関節置換術、05年に人工膝関節置換術を受けた。最期はロサンゼルスの自宅で、子供たちに見守られながら安らかに息を引き取ったとのこと。97歳の誕生日まであと5日だった。
ロビー・コルトレーン(俳優) 10月14日死去 享年72
映画『ハリー・ポッター』シリーズのルビウス・ハグリッド役で知られる俳優。スタンドアップコメディアンとしての評価も高かった。自宅近くにあるフォース・バレーロイヤル病院で息を引き取った。
英国スコットランド生まれ。グラスゴー美術学校で絵画を学んだ後、ジャズ・サックス奏者のジョン・コルトレーンにちなんだ“ロビー・コルトレーン”という芸名で、スタンドアップコメディアンとして活動を開始。役者業も始め、『Alfresco』などいくつものテレビドラマに出演した後、映画界にも進出。イギリスを代表するコメディアンと呼ばれるようになり、英国アカデミー賞を何度も受賞。2006年にはエリザベス女王から大英帝国勲章を授与された。
巨体の愛されキャラだったが、晩年は肥満のため変形性関節症による激しい痛みに苦しみ、ここ数年は車椅子生活を送っていた。2年前にアメリカで関節手術を受け「痛みから解放された」と語っていたが、持病の糖尿病が悪化。死因は糖尿病や肥満による臓器不全だと発表されている。
私生活では1度結婚。息子と娘をもうけたものの、離婚している。彼の死を受け、ダニエル・ラドクリフやエマ・ワトソン、ルパート・グリントがすぐに追悼メッセージを発表した。
アイドルブーム全盛期だった1990年代後半から2000年前半にかけて大活躍した歌手。兄であるバックストリート・ボーイズのニック・カーターに憧れ「兄と少しでも長くいたいから」とわずか7歳で芸能界入りし、アイドル歌手として一世を風靡した。
美男美女5人きょうだいの次男として誕生。ソロデビュー後、バックストリート・ボーイズやブリトニー・スピアーズのオープニングを務め、アイドルとしての地位を確実にした。役者の仕事もこなし、いくつもの人気青春ドラマに出演。ロマンスの相手を演じた『リジー&Lizzie』の主役ヒラリー・ダフとは実生活でも交際した。ヒラリーとリンジー・ローハンに二股をかけて破局したとタブロイドをにぎわせたり、ニックの元カノであるパリス・ヒルトンと付き合ったといううわさもあるモテ男だった。
姉レスリーもポップ歌手でカーター家のリアリティ番組が制作されたが、姉弟の仲があまりにも悪く、世間はドン引き。ニックは18歳で家から離れ、まだ子どもだったアーロンが一家の生計を立てるなど毒親に苦しんだ。12年にはレスリーが25歳という若さで死去。死因は薬物過剰摂取だとみられている。ニックも長年アルコール依存症に苦しんだものの、薬物依存症となったアーロンをなんとか救おうと、手を差し伸べていた。
アーロンは統合失調症、双極性障害とも診断され、メンタルヘルスは最悪だった。最近では息子をもうけた元婚約者とのいざこざ、警察沙汰を起こすなど、お騒がせセレブとしてタブロイドをにぎわせ、SNSではアンチからひどい言葉で攻撃されるなどして、精神が不安定になっていると、ファンから心配されていた。
最後は、自宅の浴室で亡くなっているのを住み込みのメイドが発見。まだ特定されてはいないが、部屋には酸素缶が大量にあり、ハフリング(吸引)もしくは処方箋薬の過剰摂取が死因なのではとみられている。アーロンが亡くなった日のバックストリート・ボーイズのコンサートではニックが号泣、メンバーと共に弟を追悼し、話題になった。
カースティ・アレイ(女優) 12月5日死去 享年71
同名のバーが舞台の国民的シットコム『チアーズ』(82~93年)のウェイトレス兼支配人レベッカ役として大ブレイク。ジョン・トラボルタと共演した映画『ベイビー・トーク』(89年)で世界的なハリウッドスターとなり、コミカルな演技に長けた美人女優として一世を風靡した。
地元のカンザス州立大学で演劇を学んだ後、カリフォルニアに移りインテリアデコレーターの職に就くが、パーティ三昧の生活を送るようになり、薬物依存症に。サイエントロジーの更生プログラムで断薬に成功し、その後『スタートレック II カーンの逆襲』(82年)で映画デビューを果たし、本格的に女優の道を歩むようになった。
サバサバした性格で同性のファンも多かった彼女は、体重増加に悩むダイエッターとしても有名。ダイエット食品会社とコラボして45kgの減量に成功したこともあったが、すぐにリバウンドしている。
「政治家としてではなく、実行力がある人だから」とトランプ元大統領への支持を公言してTwitterで大炎上するなど、お騒がせ女優と呼ばれる一面もあった。
私生活では、俳優のパーカー・スティーブンソンと結婚。養子を2人迎えたが信仰の違いにより離婚。死因は結腸がん。亡くなる少し前に診断され、闘病中だったと伝えられているが、彼女が信仰していたサイエントロジーは抗がん剤治療を認めないため、あっという間に命を落としたのだとうわさされた。