過去の“いじめ告白”問題によって、7月19日に東京オリンピック・パラリンピック開閉会式の制作メンバーを辞任した、「コーネリアス」ことミュージシャン・小山田圭吾。五輪開催直前の騒動とあって、ネット上では「これ以上、問題が起こらないでほしい」といった心配の声も上がっていた。
そんな中、同日の夜にSNS上で、絵本作家・のぶみ氏が東京オリンピック・パラリンピック文化プログラム「MAZEKOZEアイランドツアー」に参加していると判明し、「五輪にのぶみ関わってるとか、ますますヤバイ」「小山田の次はのぶみって……この五輪、本当に大丈夫?」など、衝撃を受けるネットユーザーが続出している。
同氏といえば、2018年に『はたらきママとほいくえんちゃん』(WAVE出版)を出版した際、ネット上で猛批判を集めたことがある。サイゾーウーマンでは、当時、社会学者で武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏に、同氏の絵本の問題点について話を聞いていた。再び注目が集まっている今、同記事を再掲する。
なお、同プログラムの一環として、8月22日にはオンライン配信イベントを行う予定だが、7月20日午後3時の時点で、公式サイトにて「のぶみさんご本人のご意思により出演は辞退されました」と発表されている。
(編集部)
自身が作詞した「あたしおかあさんだから」で、母親の自己犠牲を美化しすぎていると炎上した絵本作家・のぶみ氏。9月22日には、新作絵本『はたらきママとほいくえんちゃん』(WAVE出版)を発表したが、SNSで、発売前にその内容を一部先行公開したところ、ネット上で批判の声が飛び交い炎上に発展、物議を醸した。
同作は、働きながら子育てをする女性に焦点を当てた内容になっている。
主人公は、子ども(ほいくえんちゃん)を保育園に預けて、レストランで働いている母親(はたらきママ)。子どもと一緒にいた方がいいのかと悩みつつも、「ママのまえに ひとりのあたしでも あるのよ」という思いを持ち、仕事と子育ての両立を頑張っている。しかしそんな中、子どもが保育園で発熱。母親は、仕事が忙しくてすぐにお迎えに行けず、こんなことなら仕事を辞めよう、と決意するのだが、子どもに「ママ、おしごとをしているとキラキラしてる」「やめちゃダメ」と言われ、思いとどまることに。最後は「こそだては こどもとふたりでしてるんだって おもうようになりましたよ」という、母親と子どもの絆が描かれている。
ネット上では、同作に対し、「働く母親の姿にリアリティがない」「父親が不在」などと批判されているが、なぜのぶみ氏は働く母親を怒らせるのか? 社会学者で武蔵大学社会学部教授の千田有紀氏に聞いた。
――『はたらきママとほいくえんちゃん』を読んで、率直にどう思われましたか。
千田有紀氏(以下、千田) のぶみ氏は「あたしおかあさんだから」で、あれだけ批判をされて炎上したというのに、その世界観から何も変わっていなくて、ある意味「強い」と思いましたね。世界観がまったくブレない(笑)。作品の中で、父親が子育てを一切していないことも驚きだったのですが、最後の「こそだては こどもとふたりでしてるんだって おもうようになりましたよ」の一文には、違和感しか抱きませんでした。
それは、父親とじゃなくて子どもと子育てをするの? という驚きです。なぜ子育てに子どもを参加させるのか、育児って、親が育てられるものではないのではと思いました。のぶみ氏は、「あたしおかあさんだから」から一貫して、“母親の大変さ”を表現することが、世の中の母親を応援することだ、と思っていることがひしひしと伝わってきて、世の中の感覚とズレているように感じています。
――“ズレている”というのは、具体的にどのようなところでしょうか?
千田 そもそも、作品の設定自体が、ズレているんですよね。冒頭で、母親が子どもを保育園に預けるシーンがあります。母親は、“働かないで子どもと一緒にいた方がいいのかしら”といった葛藤を抱きつつも、「ママのまえに ひとりのあたしでも あるのよ」といって働きに出かけますが、ここにのぶみ氏の「母親は本来、子どもと一緒に家にいるべきで、働きに出るのは母親のワガママ」という価値観が表れているような気がします。そもそも世の働く母親は、自己実現のためだけに働いているわけではないですよね。働いたお金で子どものオムツを買ったりと、家族のために必死に稼いでいる面もあるわけですよ。母親が働くのは自己実現のためだけ、といったズレた前提を軸に話が展開されているので、以降の内容もどんどんズレてきているんだと思います。
――父親が育児を一切していない点についてはどう思いますか?
千田 父親は一切育児をしていないどころか、最後には母親から「パパとは、こそだてしてるとは、おもってないけどね!」と突き放されています。以前、ユニ・チャームのおむつブランド「ムーニー」のCMが炎上しましたが、あれは母親1人が子育てに奮闘しているシーンを描き、世の中で「父親不在だ」「見ていてつらい」と議論になったんです。そういった炎上があったにもかかわらず、それでもまだ、作中に子育てをしない父親を出してくるんだという違和感、また父親は一体何をしているんだという疑問を抱きました。
――実は、父親はほぼ全ページに出てきているんです。レストランや保育園の隅から、母親と子どもを見守っているんですよ。
千田 話のインパクトが強すぎて、そこには気づかなかったです(笑)。本当ですね、一体父親は、何をしているのでしょう。父親が風船を持って、保育園の窓から子どもを見ているカットもありますが……。まるでちょっとしたホラーのような感じすらします。
――母親が働いているシーンでは、「パパははたらいてない…」という、のぶみ氏の説明書きのようなものも確認できますが……。
千田 もはや、意味がわからないですね(笑)。そもそも、父親が失業中なら、自己実現のためだけに働いている場合ではないし、父親が家にいるのに、よく保育園に入れたな……と疑問が浮かびます。それにしても、父親のこの描写により、今までの全ての解釈が崩壊しそうです。
——『はたらきママとほいくえんちゃん』ですが、批判ポイントはどこにあったと考えますか。コメントを見ると「あまりにリアリティがない」といったコメントも多いですが……。
千田 まず母親が、親として描かれていないところだと思います。親としての役割を果たしていないし、どんな状況でも常に「あたしが〇〇したい」「あたしが〇〇する」ばかり主張して、成熟していない気がします。勝手に1人で働いて、子どもが病気でも、勝手に1人で「1じかんだけ しごとしよ!」と判断し、「2じかんはん たっちゃった!」とパニックになって職場を後にし、1人で子どものように泣きじゃくり、最後は子どもに「ママ、おしごと やめちゃダメよ」と慰められるという。きわめつけは、最後の「こそだては こどもとふたりでしてるんだって おもうようになりましたよ」という一文ですが、自力で問題の解決方法を出そうとせず、子どもに慰められて解決していますよね。親として何の責任も果たしていないと思います。本来、この言葉は「子どもが育つ過程で、親である自分も変容していき、成長していく」という文脈の中で使われるものだと思いますね。
――確かに、母親が成熟していないような描写は多いです。
千田 成熟した大人であれば、もっと別の次元で葛藤していると思います。病気の子どもを迎えに行きたいのに、すぐに会社を出られないブラック職場との板挟みにあっているなど、労働環境や社会の制度について葛藤すると思うんです。それなのにこの母親は、全部自分だけの問題として勝手にパニックになっている。これも批判されている1つの原因だと思うんですけど、のぶみ氏は、母親1人だけに自己犠牲と自責の念を背負わせすぎです。全て母親だけの問題として抱えさせ、母親だけの問題として、子どもに解決させています。
――読んでいると、だんだん苦しくなってくるという人も多いかもしれません。
千田 先にも述べましたが、のぶみ氏が「母親は本来、子どもと一緒に家にいるべきで、働きに出るのは母親のワガママ」という前提で話を進めているからだと思いますよ。社会や家庭の問題ではなく、一個人の問題になっていますからね。自己実現のために働くことは、もちろん素晴らしいことだと思うんです。でも、そうだとしたら、自己犠牲や自責の念なんかなくして、「私が稼いだ分は、好きなように使って楽しんでやる!」という意気込みが、この母親にあってもいいんじゃないでしょうか。
少なくとも、大泣きして子どもに「ママ おしごとしていると キラキラしてようせいさんみたいに みえる」「おしごと やめちゃダメよ」と無理やり認めさせて、働くことを正当化するのは違うと思います。そもそも子どもって、そんなにものわかりはよくないし、素直でもないですよ(笑)。
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※2018年10月6日初出の記事に、再編集を加えています。
千田有紀(せんだ・ゆき)
1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、 武蔵大学社会学部教授。専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』(勁草書房)、『女性学/男性学』(岩波書店)、共著に『ジェンダー論をつかむ』(有斐閣)など多数。