「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
―――今なお、10億円以上の個人資産もあるとされる皇室。その一方で、毎年、国庫から天皇家に支給されている内廷費・宮廷費といったお金はどのように使われているのでしょうか?
堀江宏樹氏(以下、堀江) その前に前回までのおさらいですが、公的な出費に使われるのが宮廷費です。それとは反対に、「天皇・上皇・内廷にある皇族の日常の費用その他内廷諸費に充てるもの」の総称が、内廷費とよばれる区分で、これが皇室のプライベートマネーといえるでしょう。特に何に使ったかを公表する必要はなく、神秘のベールで守られています。
令和5年度の内廷費は3億2400万円で、宮廷費は61億2386万円です 。ちなみに令和3年度と内廷費は同じですが、宮廷費は激減していますね。世間の経済状況を反映するといわれますが、コロナ禍を反映ということでしょうか。これほどまでに大きな変化があるとは個人的に驚きです。
また、世間に対して説明が必要な経費のほうが多く割り振られているところに、戦後の日本における天皇家や皇族の位置づけがうかがえますが、この秘密の内廷費について、昭和天皇の時代、昭和40年代の帳簿が発見されているのです。
宮内庁職員の故・戸原辰治さんが、備忘録として個人的に書き写したものだと思われますが、これを見ると、いかに昭和天皇やそのご家族が、普段の生活を質素に行っておられたか、具体的にわかるのです。
――驚きました。前回や前々回では、皇室の関係者に多額のお金をばらまく独特の贈答文化があって……というお話でしたから。
堀江 私が推測するに、天皇家が身内や、自分に仕えてくれる人に多額のお金を配った目的は、「愛」の可視化なんでしょうね。その一方、ご自分は贅沢なんてしなくてよい、という感じです。他人を潤すために、身銭を切る感覚とでもいえば、おわかりになるでしょうか。
ばらまくようなお金の使い方をする人は、贅沢好きという固定観念がありますが、昭和天皇に関しては、まったくそういうことはありません。昭和天皇の内廷費の使い道が明らかになっているのは、昭和40年代という経済が好調だった時代のものです。何千億円以上もあった戦前の収入と比べると、目減りしたという印象はあるでしょうが、株式・証券が中心だった昭和天皇の個人資産は、バブル時代にはかなり増大したと考えられます。
しかし、天皇にはそれで贅沢していたということもありません。お金に対する感覚が、圧倒的にキレイで、超越的なんですね。おそらく、日本に一大事が起きた時のために、なるべく増やして、蓄えておこうという感覚でおられたのではないか……とも想像されます。
――そんな昭和天皇のお金遣いが、昭和後期の内廷費の使い道からわかる?
堀江 はい。ちなみに昭和40年代の1万円は、現代日本の6~8万円に相当すると、奥野修司さんの『皇室財産』(文藝春秋)では考えていますが、これら貨幣価値は、何を基準とするかで大きく変わります。日本銀行の見解では昭和40年の1万円を、今のお金に換算すると4.3万円くらいになるそうです。このように諸説あるということは最初に申し上げておきます。
さて、前掲書によると昭和45年度、昭和天皇が内廷費のうち「御服費」で購入した衣服は「背広7着・単価6万5000円」とあります。すべて「三つ揃いの背広」で、「冬2、合3、夏2」で、三越か高島屋の外商に注文なさったそうです。担当者が皇居にやってきて、昭和天皇ご本人の衣服の趣味を熟知した、宮内庁のお役人と打ち合わせしたのでしょう。
当時の昭和天皇はお風呂に入った後も、パジャマを着るまでの時間はスーツ姿で過ごしておられたという驚きの証言もあります。だから、毎年7着ほど新調なさっていたようですね。昭和天皇は、一着あたり9万円の上着の「オーバー」を、修繕しながら10年着続けたとか、同額の燕尾服用の「オーバー」も同様に18年間使ったといいますから、衣服を大切に扱っておられたことがわかります。
この年の昭和天皇が買った衣服の中で、もっとも高額だったのは「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」。天皇しか着用が許されない、いわゆる「禁色(きんじき)」の装束で、当時の価格で「93万300円」。当時の1万円=現在の6万円として考えれば、558万円……。こういう装束は、儀式でしか着用なさいませんが、クリーニングはできない布地ですから、傷んだとなれば、買い替えをするしかないのでしょうね。
――皇后さまがどんな服をお求めになられたかという記録はありますか?
堀江 この年の皇后さま(香淳皇后)も「スーツ」を外商で購入し、一着あたり6万円払った記録があります。しかし、年間で「スーツ」の新調は2着、「ワンピース」が3枚、「ツーピース」が2着だけですね。
――皇族方は写真に映るたびに違う服を着ておられる印象です。当時の皇后さまが新しく1年に買った衣服が少ない気がするのは、古い服をリフォームさせたということなのでしょうか。あるいは天皇家の個人資産から購入なさったり……?
堀江 その可能性もありますが、皇后様は、古い衣服もリボンやボタンを付け替えるなどして大事にしておられたという記録があります。
あと、この年は靴5足(単価1万円)、ハンカチ12枚(単価800円)、眼鏡(単価2万円)なども購入されたとあります。女性皇族の正装である、ローブ・デコルテなどのドレスについては「特別御服費」として計上されており、「ローブ・デコルテ1着/200000円」という記載がありますが、当時でも20万円(=現在の120万円)でローブ・デコルテを新調することはできず、これは修理、もしくは戦前の女性皇族が遺されたドレスを修復しただけではと考えられるそうです。
ほかにも、毎年のように宝石をリメイクさせていたようです。その費用がひとつあたり15万~30万円(=現在の90万~270万)程度。こうなってくると、いくら古いものを大事に長く使うことはわかっても、やはり庶民の経済感覚とはかけ離れてくるような気がしますね(笑)。
――眞子さまや佳子さまがティアラを数千万円ほどでお作りになられたといいますが、公費である宮廷費から作ったものなので、結婚した後は持っていけないというお話でしたよね。
堀江 愛子さまはティアラの新調をなさらないままですが、ティアラは維持・管理するだけでもそれなりの費用が発生する宝飾品ではないでしょうか。結婚で皇室を離れた方のティアラをリフォームして活用なさるのも、「伝統を受け継いでいる者」という良いアピールになる気がします。
「権利があるからといって、贅沢はしない」という価値観は、戦後だけでなく、きわめて裕福だった戦前の天皇家にもすでに強く見られました。明治42年(1909年)、当時30歳だった皇太子殿下(後の大正天皇)のために、立派な東宮御所が建築されたのですが(現在の迎賓館赤坂離宮)、完成した建物を見た明治天皇による「こんな立派なのはもったいない」との発言もあって、大正天皇は紀州藩が江戸時代に使っていた古い建物で暮らし続けたそうです。
昭和天皇は、新婚後のお住まいとされた霞ヶ関離宮が、関東大震災で倒壊したため、この豪華な東宮御所にて短期間暮らしたそうですが、お気に召さなかったようです。昭和天皇は「赤坂離宮はぜい沢だし、暖房の石炭は随分とかかるし(略)そんないやな所にいって国民に贅沢してるといふ感を与へることは困る」とおっしゃったそうです(田島道治『拝謁記』岩波書店)。
――広くて光熱費がかかるし、国民に嫌われてしまう贅沢さで溢れている、というわけですね。
堀江 尊い身分で、しかも大富豪であるにもかかわらず、ご自身が贅沢することに消極的な日本の天皇家のあり方は、他国の王族・皇族とはかなり違うような気がします。
――他の王族たちとは異なり、贅沢を好まない日本の皇室の姿勢もあって、東宮御所は海外からの賓客をもてなす迎賓館になったのですね……。それにしても、秋篠宮家の佳子さまが、リノベーションだけで40億円以上かかったという新御殿には移らず、10億円かけて建てた仮の御殿でご家族と離れ、お住まいになるというニュースが最近、話題になりました。
堀江 佳子さまの一人暮らしは、秋篠宮家への“反抗”という側面も否定できないでしょう。ご真意は測りかねますが、国民へのアピールだと思います。10億円の邸宅に一人暮らしというのも凄まじい贅沢だという声があるのはわかりますが、やはり皇族の皆様が“日本の顔”であることを考えると、そして住まいがその人の顔を作りあげることを考えると、何もかも、庶民っぽくなってしまわれることのほうが弊害のように感じます。
――3回にわたって、皇室の方々のお金の使い方の特徴や、経済感覚について考えてきましたが、質素倹約主義のようでいて、庶民には考えられないような巨額を費やし、何かをなさったり……やはり分析が追いつかないほどのミステリアスな存在であると感じました。
堀江 それこそが皇室のカリスマの源なのでしょうね。