「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――「脱会くん」ことライター・DJ2世がつづる、みんなに知ってもらいたい、2世信者だった私の日常と本音。
この世は「あるある」であふれ返っている。そんなあらゆるあるあるは、お笑い芸人によって安易にネタにされ、今やYouTuberまでもが、日々あるあるネタをスマホ画面を通して、こちらに繰り出してくる。
なんだかんだ言って、居酒屋でも一番盛り上がる話題はあるあるネタなのかもしれないが、この世界のあるあるは消費し尽くされ、その埋蔵量は底を尽こうとしている。そんな中、まだ誰も掘り起こそうとしていないあるあるジャンルが存在している。
それは「2世信者あるある」なのではないだろうか。2世あるある言いたい!
まだ日の目を浴びていないということは、需要がないのと紙一重なのかもしれない。だがこんなニッチなジャンルに共感してくれる人も、きっとどこかにいるはず!
今回は、小中高時代の2世信者あるあるをまとめる。このあるあるジャンルが、一般の人にとって、2世信者とはなんぞやを知るきっかけになれば……そう祈りながら書いた。
【2世信者あるある その1】友達を家に呼ぶとき、「絶対あの部屋入るなよ」と念じている
学校の友達を家に呼んでテレビゲームなどをしながら遊ぶ、楽しいひととき。実は2世たちの緊張の糸は、ピンと張り詰めている。なぜなら家の中には、必ず“入ってほしくないゾーン”があるからだ。
そこには宗教グッズや関連書籍がところ狭しと並んでおり、見られたら友達に「なんだこれ?」と問いただされた揚げ句、学校のうわさになりかねない。絶対に入ってほしくない部屋の扉の前に、友達が立ったとき、2世は「絶対に入るなよ!!!!」と念を飛ばす。それはさながら祈りのようでもある。
2世の子どもたちに部屋のレイアウト決定権はない。彼らは友達がノリで別の部屋に入ったとき、成す術は何もないのだ。なんなら冷蔵庫にマグネットで貼り付けられている紙っぺらや、リビングの棚にある本の一部も宗教関連のものである。もし友達が、宗教のマークを知っていたら自分の人生は終わりである。気づくわけないよな……、いや絶対に気づかないでくれ。2世は放課後、今日もどこかで祈っている。
【2世信者あるある その2】教室でランドセルから宗教のアイテムを暴かれる
2世は時として、学校終わりに宗教のイベント的なものに、いったん家に帰らず、直接参加させられることがある。そのときは必然的に「経典」や「聖書」的なものなど、宗教のアイテムをランドセルに忍ばせなくてはならない。
しかしそこは、プライバシーという概念のない無垢な小学生たち。イベント当日、教室で、調子に乗ったクライスメイトにランドセルを漁られ、「なにこれーーー!」と大声で晒されることがある。
小学生ならではの意地悪さが炸裂し、「これなに?」と質問攻めにあうことも。このとき「なんかわかんないけど親に持たされた」などと機転を利かせて、質問攻めを回避しようとした者もいれば、とっさに言葉が出ず、呆然と立ち尽くした者もいるだろう。
この記事を読んでいる小学生の同志へ。たとえこのようなピンチに陥っても、小学生はそれらしいことを言えば丸め込めるし、そもそも彼らはそのうち忘れるので、とりあえず応酬はしよう!
【2世信者あるある その3】ブルーハーツ聞いたら「これでもういいやん!」となる
我々2世信者は、道徳観や人生の意味を全て宗教から教わった。悪いことをしてはいけない、人を助ける大切さ、前を向いて努力し続けること……。
実際に宗教というものが人の支えになっている光景も、私は幾度となく見てきた。私は、親の信仰する宗教の教えについては、結局意味がわからなかったけれど、宗教が身近にある生活を通して培った道徳観や、当たり前のことを頑張る力は「無駄にはならないはず」……と、ずっと自分に言い聞かせていた。
しかしブルーハーツの曲を聞いてみると、人生に大切なものを全てブルーハーツが教えてくれていることに驚く。
これ、人生の大事なことを全部教えてくれてるじゃないか。いや、こっちのほうが胸を打つし、やる気が湧いてくるぞ。あれ、そもそも宗教って、何のためにあるのかなと、わけがわからなくなる。そうか、一般の人はこういうものを聞いて頑張ってるのか。じゃあ、なぜ自分はわざわざあんなうさんくさいものを……。自分が信者をやっている宗教の内容の薄さに悲しくなる。
◎2世信者にとって、“宗教バレ”は恐怖
信仰心のない2世の同志たちは、きっといろいろな宗教の垣根を越えて、「わかる〜〜〜〜!!」と頷いていることだろうと思う。今回は子どもの頃に体験しがちな3つのあるあるを挙げてみた。書いてみて気づいたのは、2世信者の“宗教バレ”の恐怖だ。実際にバレても、人は案外変わらず接してくれるものだが、子どもの頃はそんなことは知る由もなく、まさに「この世の終わり」と同義であった。
それはさながら、お姉ちゃんのお下がりの習字道具を、いじめっ子にいじられるのを恐れながら使う恐怖が、延々と続くような……そんな独特な体験である(伝わるだろうか?)。きっと2世信者に限らず、自分に強いコンプレックスを持つ子どもに起こりうることだと思う。まだまだ学生時代の2世あるあるは尽きないので、機会があればまた書いてみたい。
なんとこの記事、前後編の2部構成。次回、社会人に降りかかる2世あるあるに続く。更新されることを神に祈っていてほしい。
【バックナンバー】
「カルト」と呼ばれる新興宗教のサラブレッド――2世信者だった私が「洗脳解ける機会増えた」と感じるワケ
http://www.cyzowoman.com/2021/06/post_331206.html