「皇族はスーパースター」と語る歴史エッセイストの堀江宏樹さんに、歴史に眠る破天荒な「皇族」エピソードを教えてもらいます!
――前回までは、昭和天皇のプライベートマネーの使い方を探ってきました。中でも元・皇女の方々に対する、金銭支援には驚きました。
堀江宏樹氏(以下、堀江) 今回の一連のお話で参考にさせていただいている奥野修司さんの著書『極秘資料は語る 皇室財産』(文藝春秋、以下『皇室財産』)によると、それは京都の伝統文化ではないかとのことでしたが、長年、京都在住だった故・瀬戸内寂聴さんが、祇園などの花街には愛情や好意といった目に見えないものを、お金という目に見える形で贈ることが文化として確立されているとお話になっていたのを思い出してしまいました。
高級な旅館に泊まるときは「心付け」と称したお金を、仲居さんにお渡しする習慣は、現在でも比較的多くの層に残っているとは思いますね。
――ただ、元・皇女の方々への昭和天皇の金銭支援は、庶民には異次元の規模でしたね。
堀江 あれらの出費が天皇家のプライベートマネーである「内廷費」の中から行われていたのは興味深いです。戦後は、宮内庁OBの方が私的に筆写したリストが流出するようなことがない限り、われわれはその使い道について知る術がなかったので……。
――戦後とおっしゃいましたが、戦前は公開されていたのですか? 意外です。
堀江 そうですね、少しずつ公開されていたようです。ただ、戦前の天皇家は、宮内庁の職員に委託する形ですが、株式や証券などに賢く投資し、現在のお金で何千億円の規模の年収が毎年ありました。
たしかに元本は公金といえるお金ですが、自分で稼いでいるので、他人から使い道をとやかくいわれる筋合いがないといえます。だから、堂々と公開できたのでしょうね。他にも昭和天皇が何を必要とされていたかを、内廷費のリストからは知ることができます。
――謎に包まれた皇族の私生活に触れることができますね。
堀江 はい。お金の使い道ほどその人らしさを雄弁に語るものはありません。今回はより生活に密着した出費についてお話しましょう。
前回は昭和天皇ご夫妻の「御服費」について触れましたが、これはスーツやアウター、儀式で着用なさる御装束など高額の品が中心でした。
昭和天皇の侍従だった、戸原辰治さんの遺品にあった資料「内廷会計歳出予算概算要求書」(昭和44-45年度)によると、それ以外の衣服についての記録もあります。ワイシャツ、ネクタイ、靴下、帽子、靴などは「御服費」とは別に「御身廻品」として分類されているのが興味深いですね。興味深いのは1年分としてスリッパが12足計上されていること。
――1カ月に1足ですか?
堀江 御所は建物が半端なく広く、お部屋からお部屋に移動といっても、庶民の家の比にならないくらいの距離をウォーキングなさるからだと思いますよ。ただ、昭和天皇はきわめて節約意識の高い方で、ボロボロになったスリッパを周囲が「交換なさったら」というと、「まだ履ける」とお怒りだったとか……。だから、12足というのは周囲がそれくらいに一度はお替えいただきたいという周囲の願いにすぎないのかもしれません。
他にも「いかにも御所らしい出費」と思われたのは、やや大量だと思われる蚊取り線香です。1年で5箱くらい。昭和43年までは蚊取り線香で、それ以降はベープマットになっているのですが、それでも1年で3箱くらいの消費量だったそうです。
――蚊取り線香ですか。御所の周辺は自然豊かですからね……。
堀江 今でも皇居では蛍が見られるといわれ、そういう風流な側面だけ強調されているけれど、蛍がいれば当然のように蚊もすごいでしょうし[F1] 、宮内庁の方によると、クモやヤスデもすごく多いのだとか。夏に外を散策すると、天皇といえども蚊の猛襲を受けてしまうそうで、宮内庁のお役人が見ているだけでも、蚊が、傍目にもハッキリと見えるほど、陛下にたかっているのがわかったそうです。
――逆に言うと、江戸時代の徳川将軍家の人々も同じように蚊には悩まされていたということでしょうね。
堀江 そうですね。いわゆる江戸城(江戸時代には、江城、千代田城と呼ばれていました)の跡地に現在の皇居がありますから、その手の虫に悩まされる生活事情は同じでしょう。江戸時代では夏になると、大奥の部屋に巨大な蚊帳が吊るされ、その中で生活していたようなものだという話を聞いたことがありますよ。
お話を戻して、いかにも皇族らしい出費として興味深かったのは、大量の整髪料を昭和天皇が使っておられたということです。それも、「チック」という種類の整髪料をご愛用でした。
――チックですか! 女性の間ではタイトなお団子ヘアにするとき、一糸乱れぬように髪の毛をピシッと整えるのにうってつけだと評判になり、リバイバルブームが最近は起きているようですが……。
堀江 昭和天皇は、そのチックを年間10本も消費なさったそうです。僕はこの整髪料について知りませんでしたが、ポマードよりも強い整髪力がある一方、普通にシャンプーしただけでは落ちにくいそうですね。そのせいか、昭和天皇がご愛用だったシャンプーは「オイルシャンプー」だったので、みなさんが化粧落としをする感覚で、頭髪を洗っていたのでしょう。
――なぜ昭和天皇は、チックをそこまでしてご愛用だったのでしょうか?
堀江 その疑問への回答として、『皇室財産』には、平成29年まで上皇さまの理髪師を、10年間勤めた大場隆吉さんの談話の情報が引用されています。
いわく「どんなに御髪が乱れても、人前で触って直されることは(マナーの観点から)絶対にありません」とのこと。上皇さまご愛用の整髪料は資生堂の「ブラバス」というヘアリキッドで、「髪がベタベタになるほどおつけになります」とのこと。4回、つけては乾かし、つけては乾かしをして整えておられたようですね。
昭和後期、秋篠宮さま(当時、礼宮さま)の乱れた髪を紀子さまが直してあげている写真が話題になったので、皇族たる者、髪の毛はピシッと固めねばならないというルールは若い世代には引き継がれていないのかもしれません。
――廃れる習慣というものも、伝統重視の皇族の生活にもやはりあるということでしょうね。皇后さまはどんな化粧品などをお使いだったのか、記録はありますか?
堀江 はい。しかし、皇后さまという高い地位の方にしては、ずいぶんと質素でびっくりしたのです。経費でいうと「クリーム5種12個(単価1800円)」というのが基礎化粧品を指しているらしくて、おそらく朝用・夜用の美容液の類も含まれているのだろうと推察します。
――それにしても、ひとつあたり2000円前後の基礎化粧品や口紅ですか。当時、私の祖母や母でもそれくらいは使っていた気がしますよ。
堀江 口紅は1本当時の価格で1500円。これを1年で3本。ほかには整髪料として、「加美の素(※正確な製品名は加美乃素)」など。加美乃素シリーズは、皇后さまのお気に入りだったようです。昭和後期になると、ハイクラスな化粧品がどんどん登場しましたが、そういうものはお使いにならなかったようです。
対照的な話になりますが、19世紀末のオーストリアのエリザベート皇后は美容に命をかけていたこともあって、化粧品などはほぼすべてが特注品でした。具体的な金額はわかりませんが、それと比べると驚くほど堅実でいらっしゃいますね。
化粧品というものは、化学の研究の進歩とともに、20世紀後半になって飛躍的に品質向上し、値段も一気に下がったのです。エリザベートやマリー・アントワネットは、現代日本のコンビニ化粧品の足元にも及ばないレベルの化粧品しか使えなかったという話があるのですが、エリザベートがウィーン宮廷薬局に特注した基礎化粧品のクリームも、レシピを見ると、バラ水にラノリンや無塩バターをくわえて撹拌(かくはん)したものにすぎず、昭和の皇后さまは値段はリーズナブルでも、確実にそれ以上のクオリティの美容ライフを送っておられたのではないかと思うんですけれどね……。
今回は昭和天皇ご一家の身の回り品について、内廷費のリストから振り返りました。