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  • 土. 10月 5th, 2024

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宗教2世の私が、信者の親からもらった手紙――「話し合ったら最後」と思っていた父と和解できたワケ

「『カルト』と呼ばれる新興宗教の信者である両親の元に生まれた私は、子どもの頃からずっと(うさんくせぇ……)と思ってきた」――サイゾーウーマンで昨年、短期連載された「となりの脱会くん」。その筆者である「脱会くん」ことライター・DJ2世は、いまだかつてないほど「宗教2世」問題がクローズアップされたこの1年、自分が2世信者としての苦しみをどう乗り越えたかを、あらためて振り返ってみたという。無断で宗教を脱会してから、断絶していた親と、どう和解したのか。今回、寄稿いただいた。

(前編はこちら)

カルト宗教の信者である親から、ポストに怪文書が!

 親との対決が差し迫る頃、一人暮らしの自分の家のポストに1通の手紙が入っていた。差出人を見ると、父親の名前があり、私は覚悟を決めて封を開けた。父親は昔から言いたいことを私に直接言わず、手紙にしたためて一方的に自分語りをする習性があった。中には便箋が5枚ほど入っていた。父からの反撃である。

 読んで気分はよりどん底に。善意100%で書かれたものであろうが、「宗教2世であることがつらい」と言っている子どもに、宗教の道理で励ます文章をよこすとは……。やはりこの人たちとは分かり合えない。話し合ったら最後、もう二度と顔を合わせることはないだろうと覚悟を固めた。

ついに直接対決! オイラの人生はどうなっちまうんだい?

 ついに下宿先に父親がやって来た。話し合いなんていつぶりだろう。久しぶりに会ったが父親はまったく変わっていない。顔を合わせた瞬間から、涙をずっとこらえていたが、話し始めると同時にあふれてしまった。状況を聞かれた私は、ずっと宗教を信じてこなかったこと、宗教と触れている時間がずっと苦痛だったこと、限界を迎えて脱会してしまったこと、脱会してからもずっと生きづらいということを伝えた。

「そうか〜、大変だったね」

 父親の返答は意外にも穏やかだった。

「お前が霊的なものを求めていると思っていたから、今までそうしてきた。そんなことを考えていたなんて知らなかった。申し訳ない。これからできるだけ埋め合わせはさせてほしい」

 父親が言うには、信仰心の強い2人の子どもなのだから、息子もそんな家庭を望んで産まれてきてくれた存在なのだと信じて疑わなかったとのこと(何だそれ)。それが違うのだとわかれば、信仰を強制することはしない。その言葉を裏付けるように、それからは、お互いの思想に関して触れることなく、いち親子として接していくことになった。

 衝撃だったのが、うちの親はこんなにもちゃんと話し合いができるのだということ。てっきり宗教を否定したら、ブチギレて会話が成り立たなくなると思い込んでいた。親の中の優先度が「宗教<子ども」だとは考えてもいなかった。自分の不安をよそに、話し合いはスムーズに進み、あっけなく終わった。直接話すと意外と大丈夫だった。

 父親の言う「埋め合わせ」をどうしていくのがいいのか、お互いよくわからず、とりあえず定期的に一緒に晩ごはんを食べたり、一緒に映画を見に行くようになった。そうするとあら不思議、急速に自分のメンタルが安定していくのを感じた。深く落ち込むこともなくなり、周りの友達と比べることも急にしなくなった。何というか、生活に最低限度の自己肯定感を手に入れたような感覚があって、こんなに単純だったのかというぐらい、人生が驚くほど良い方向に進み始めたのである。

 それから大学を卒業して社会人になり、今や宗教で悩んでいた過去は遠い昔のことになりつつある。おかげで徐々にやりたいことが見え始め、そこから初めて自分の人生を歩めるようになった気がしている。あの時、親にヒステリックなメールを送ったこと(前編のURL)が、自分の長い宗教への苦悩をあっさり終わらせてしまったのだ。

 また、話し合いをしてから、親も少しずつ変わっていった節があった。それまで自分の理想を子どもに投影していたが、ようやく「子どもには子どもの人生がある」ということを理解したのだと思う。親自身の未熟さというものにも気づけた。確かに世に言う子育て法はたくさん出回っているけど、2世の子育て法なんてどこにもないものね。

 今でも親と話していると<この人やっぱりやべ〜>と思うことはたくさんあるが、お互いの考え方には干渉しないと決めているので口出ししない。また親も、宗教的にはてなマークが浮かぶようなことを私がしても、極力言わないようにしてくれている。いまだに昔送りつけてきた怪文書を見ると血が沸騰するような感覚になるし、物心のつく前から、子どもに思想を強制するなんてやはり恐ろしいなと思うが、まあ私と親はあのときお互いある程度納得のいく“及第点”を見つけられたということだ。

宗教が介在する人間関係は特殊――私にとっての「苦しみ」の根っこ

 私が気づいたのは、物心ついた頃から苦しんできた自分の悩みは、宗教によって生じた親子のすれ違いだったのだということ。

 親は宗教のせいで私が信仰を望んでいるとずっと勘違いをしていたし、私は宗教のせいで親に話が通じるはずがないと思い込んでいた。我々親子はあの瞬間まで、本当の意味でのコミュニケーションを取ってこなかったことを痛感させられた。

 宗教が介在する人間関係というのは、こと日本ではやはり特殊で、信仰という強いつながりがある一方、宗教抜きで、いち人間同士として接するのを怠ってしまうことは多いように思う。たとえそれが親子の仲であっても、である。2世の親たちへ、子どもは信仰がなくてもあなたの子どもなのよ! 大事にしてくださいね!

 それまで私は、悩みを取り払うためにいろいろなことをやってみた。例えば、カウンセラーに相談してみたり、SNSで謎の「宗教2世アンチ垢」を作って延々と愚痴を吐いてみたり……しかし心が晴れることはほとんどなかった。

 そんな紆余曲折を経て、結局、親との話し合いであっさり解決してしまったのは自分の中でかなり驚きだった。また何より親が“話し合えるタイプ”だったことは、とても運が良かったと感じている。

 もちろん皆が同じ方法で解決できるとはまったく思わない。だが、「信者である親に話が通じるはずがない」という思い込みを、思い切って一度捨ててみることで、親子関係に何か新たな変化が訪れる可能性もあるということを、ここで伝えたい。

 また、解決することは難しくても、親の言動に対し、「これは宗教による思い込みではないか」という視点を持つことで、より俯瞰して自分の悩みを見ることができ、気持ちが軽くなる人はいるのではないか……。そんなささやかな願いを込めて、この記事を書かせていただいた。やはりメディアでは教団や被害者のショッキングなエピソードを伝えがち。こんな地味な体験談はなかなか見かけないが、何か悩んでいる人のヒントになれば幸いである。


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By Admin