TOKIOの冠番組『TOKIOカケル』(フジテレビ系)が9月20日に放送された。この日のゲストは、KinKi Kids・堂本光一と女優の観月ありさ。TOKIOとともに番組を盛り上げる「エンジェルちゃん」として、お笑いコンビ・ハリセンボンも登場した。
実は、光一と同様にTOKIOと親交が深い観月。国分太一とは、1988年10月から89年3月にかけて放送されたSMAP主演ドラマ『あぶない少年Ⅲ』(テレビ東京系)に出演。また、松岡昌宏とは97年10月期の『ナースのお仕事2』(フジテレビ系)、城島茂とは99年1月期の『天使のお仕事』(同)で共演していたとのこと。
『ナースのお仕事2』と『天使のお仕事』のVTRが流れると、松岡は当時を振り返り、両作品が同じ女性プロデューサーだったことに触れ、『天使のお仕事』の打ち上げの二次会の際、そのプロデューサーから電話が掛かってきたことを回顧。「あなたちょっと来てちょうだい!」と言われて松岡が会場に向かうと、城島が泣いていたそう。
観月によると、城島は「終わるのが寂しい」という理由で泣いていたといい、駆けつけた松岡が慰める羽目になったとか。残念ながらこの日、城島は番組を欠席していたが、まさかすぎるエピソードに、スタジオでは大爆笑が起きた。
KinKi Kids・堂本光一、ふぉ~ゆ~に対する扱いめぐりけんか腰に
一方、今年1月ぶりに番組に登場した光一。ゲストが円グラフを使って「休日ルーティン」を紹介する恒例のコーナーで、観月が充実した一日の流れを公開すると、前回出演時に「午前4時~14時まで睡眠」「14時~4時までゲーム(合間で食事とお風呂)」というシンプルなルーティンを明かしていた光一は、「(グラフの割合が)カレーライスと言われました」と自虐。今回、観月からさまざまなエピソードが飛び出したため、「このコーナー、こんないっぱい取り上げる?」と驚き、「失敗した」と後悔していた。
そんな光一は、TOKIOやエンジェルちゃんがゲストにさまざまな質問をぶつけるコーナーで、国分から「一番詳しい人誰?」「光ちゃんはそんなに広く遊んでいるタイプではないなと思ってる」と言われると、「そうですね」と認めつつ、事務所の後輩であるふぉ~ゆ~の名前を挙げた。
しかし、光一がスタッフとの事前打ち合わせでふぉ~ゆ~の名前を出したところ、「めちゃくちゃ反応薄かった」とか。番組でのふぉ~ゆ~の扱いについては松岡も思うところがあるようで、「この番組でふぉ~ゆ~って3回くらい言ってるんだけど、あんまり響かない」と共感すると、光一は「ふぉ~ゆ~に会ったら言ってやろうと思って!」とけんか腰に。
なお、ふぉ~ゆ~・辰巳雄大は、舞台で共演する中川翔子が出演した6月14日放送回の「エンジェルちゃん」として番組に登場したが、松岡は収録について「大して盛り上げることもなく帰っていった」と回顧。まさかの事実に光一も苦笑いしきりだった。
TOKIO・松岡昌宏、KinKi Kids・堂本光一の“恥ずかしい発言”暴露
その後、光一はTOKIOに「事務所のジム使ってる?」と逆質問。渋谷にあるジャニーズ事務所のビル内にジムがあるとのことだが、TOKIOはその存在を知らず。松岡は「俺ら、(渋谷のビルに)1、2回しか行ったことないからわかんない」とも明かした。
そんな2人に光一は、「この前、木村(拓哉)先輩も使ってるって言ってて」「結構、後輩くんたちは使ってるっぽい」と説明した上で、「それでちょっと思ったのは、30年くらい(芸能活動を)やってきて、その一角分くらいは(自分が)稼いできた」と豪語。これにはTOKIOも大爆笑で、国分は「小せえこと言うなよ!」とツッコんだ。
すると松岡は、「こいつ、よくそれ言うのよ」と笑いながら、「事務所が変わったときも、『松岡くん、ここの柱2~3本くらいは俺たちのギャラっすよね』って」と、過去の光一の発言を暴露。当の本人は恥ずかしそうに顔を伏せて撃沈していた。
また、最後に番組側からの「デビューした頃の自分に言ってあげたい言葉は?」という質問に対して光一は、97年にKinKi Kidsとしてデビューする前の15歳くらいから、堂本剛と共に「記憶がない」くらい忙しかったことを振り返り、仕事をただこなすようになっていたと述懐。
そのため、「一個一個(の仕事)を、お前、もっと大事にやったほうがいいよ」という言葉をかけたいとのこと。とはいえ、国分は「その時の自分の受け皿も、そんなに大きいものじゃないもんね」とフォロー。また、「よかったよ、『この柱、俺が建てたんだよ』とかじゃなくて」とイジり、本人も大爆笑。「『お前、柱もうすぐ建てられるぞ』って」と乗っかっていた。
この日の放送に、ネット上からは、「勝手に取り上げられてディスられるふぉ~ゆ~(笑)」「TOKIO先輩に光ちゃんって言われてるの微笑ましかった」「TOKIOといる時の光一くんの弟感が良い」「最後のオチに笑った」という声が集まっていた。