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本当のパワースポットを見分ける3つのポイントとは? ○○で観光客を集めるスポットはNG

ByAdmin

10月 11, 2023 #スポット

 秋の観光シーズンが本格的に始まり、パワースポットへ出かける予定を立てている人もいるのでは? 有名なアリゾナのセドナや島根の出雲大社に限らず、全国どこでも探せば見つかる身近な存在になったパワースポット。気軽に足を運んでエネルギーをチャージできるのはうれしいですよね。

 しかし、身近で気軽な場所になった一方で、パワースポットと名乗るには眉唾なスポットも増えているとか。では、本当のパワースポットを見分けるには……? そこで、神社仏閣の知識豊富な専門ライターに「パワースポットとはいえない神社」の見分け方を聞いた記事を再掲。軽い気持ちで参拝したら大変な目に遭った! という体験談もあるので、お出かけ前にチェックしておきたい。

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 力強い「気」が湧き出ており、その地に立つだけでもパワーを得られるという「パワースポット」。

 日本の古いパワースポットには、神社が建てられていることが多い。日本でもっとも知られたパワースポットの富士山麓には富士浅間大社が、そして富士山を造るために土を掘った跡だという伝説のある、琵琶湖に浮かぶ竹生島には都久夫須麻神社が鎮座する。

 神社は聖地と切っても切れない存在なのだ。しかし、全ての神社がパワースポットであると言えるだろうか? 神社仏閣やパワースポットに関する専門ライターのA氏いわく、名前が知られている神社の中にも眉唾なものはあるという。

 そこで、実はパワースポットとはいえない神社について、3つのNGポイントを聞いてみた。

パワースポットといえない神社(1):「祭り」で観光客を集める神社

 神社の祭りは、村を栄えさせ、村人を守るために行われてきたというが、珍しい祭りはテレビなどで紹介され、見物人がドッと集まることも少なくない。

 祭りに人が集まれば、屋台や周辺の店は儲かり、税金を徴収する自治体も潤う。神社にはお賽銭が集まり、お守りなどを購入する参拝客が増えるので、祭りを観光の目玉にしようという動きもあるようだ。

 もちろん、観光客を増やすために祭りをPRすること自体は悪くない。しかし観光のため、本来の意味を無視しては、もはや神の降臨する「神事」とはいえないだろう。

 また、祭りの日程にも歴史や意味があるにもかかわらず、平日では観光客が集まらないと日取りを休日に移動させる神社が少なくないのだ。氏子が祭りのたびに会社を休まなくていいよう、やむを得ないのかもしれない。しかし、収入源となる観光客を少しでも多く集めるため、祭りの日を変更し、本来なかったはずの派手でキャッチーな所作を創作している神社も多く、本当に神が降臨しているか疑問だ。

パワースポットといえない神社(2):歴史的にパワーが存在しない神社

 日本が戦争を多く起こした背景には「日本は神の国である」という思想があるそうだ。

 神社の柱などに、「八紘一宇」の四文字を見たことはないだろうか? これは『日本書紀』にある「掩八紘而為宇(あめのしたをおおいていえとなす)」を元に造られた熟語で、本来の意味は「八方に亘る地球上の全ての人々が、一軒の家に住む家族のように、仲良く暮らす」ことだという。つまり「世界平和」を実現する思想だが、この言葉が発せられたのは、初代・神武天皇が橿原に都を置いた時だ。

 つまり、「一つの家」を治めるのは天皇だから、特に太平洋戦争の直前には、日本の天皇がアジア、ひいては世界を統合し、ひとつの家のようにして治めることが理想であるとし、スローガンにも用いられた。以降、国家の威信を標榜する立派な神社が各地に建てられ、天皇が神として祀られていったが、その際に軋轢も起きている。

 神武天皇を祀る神社は、その都があったとされる場所に建立されたが、広い敷地を確保するため、村を強制的に移転させたとされる。しかし、江戸時代の国学者・本居宣長は、「神武天皇の都は現在の地ではなく、その一里あまり南西であるらしい」と『菅笠日記』に書き記している。つまり、江戸時代にすでに「間違っている」と考えられていた土地に、政府は村人から土地を奪って建立したという。

 こういった神社はいかにも神聖な雰囲気を醸し出してはいるが、その歴史を考えたとき、「パワースポット」と言えるかどうかは疑問だろう。

パワースポットと言えない神社(3):手水の水が枯れるなど荒れた境内の神社

 神社は神様を祭る場所として、舞台装置がそろえられている。鳥居で結界が造られているため、外の世界とはまったく別の空間であり、参道でつながった最も大切な場所には、神が宿る「ご神体」が安置され、それを拝むための拝殿がある。

 さらには、神社の神聖さを保つために参拝者が手や口を清める手水があり、場を祓い清めるために鈴があるが、それらも世話をする人がいなくなっては、荒れた境内となってしまうだろう。実際に、手水の水が枯れ、鈴が行方不明になっている神社さえあるが、場を清める装置が壊れてしまっては、聖地と呼ぶには憚れるだろう。

 こうした神社からは、祭られていた神様も立ち去ってしまう。神様不在の神社は聖地でないだけでなく、危険な場所となっている。神社はそもそも霊にとって居心地の良いよう造られているため、留守になると邪霊が集ってきやすい。キツネやタヌキなどの下級霊のたまり場となっている神社も少なくないそうだ。

 史跡としての神社にしか興味がなく、境内が荒れていようが、祠が壊れていようがまったく気にしないKさん。寂れた神社の写真をSNSにアップしたところ、わずか1時間の間に、「霊がたくさん映りこんでいる」というコメントが数件ついたという。「私は霊感がないので、何も感じないのですが……」とは言うものの、しばらくはお守りを握りしめて眠らなければ、悪夢を見たそうだ。そんなことにならないよう、場が神聖に保たれているかどうか、しっかり見極めて参拝してほしい。

 以上のように、その内実を知ると、素直に「パワースポット」とは思えない神社もある。観光気分で参拝して痛い目を見ることがないよう、歴史を知っておくと己の身を守ることにつながるかもしれない。

※2018年2月3日公開の記事を再編集しています

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