こんにちは、元闇金事務員、自称「元闇金おばさん」のるり子です。
今回は、急死した債務者に対する取り立てで起こったある事件について、お話ししたいと思います。
夕方遅く、毎日ファックスで送られてくる不渡速報に、営業部の小田さんが担当する顧客、小川プラスチック工業の名前が掲載されていました。
情報を目にした瞬間、明らかに動揺した様子を見せた小田さんは、早速に伊東部長へ報告します。みんなで手分けをして、工場、社長の自宅と携帯電話、それに連帯保証人の電話を鳴らすよう指示されましたが、どの電話も応答しません。
不渡発生は、2日前のこと。夜逃げする時間はもちろん、物件を他業者に占有されている可能性まであるため、現場の状況が気になります。顧客資料を持った小田さんが、一連のことを金田社長に報告すると、早速に本日の回収部隊が結成され、小田さんから状況説明を受けました。
「小川プラスチック工業が不渡です。債権は、信用で150万円。自宅兼工場は社長名義、保証人には実弟の専務が入っていますが、不動産名義はありません。現在、電話は鳴りますが、誰も応答しない状況です」
「わかった。登記書類は、オレと前口で用意しておくから、全員で現場に迎え。着いたら、すぐに状況を報告するように」
司法書士崩れで執行猶予中の社員・前口さん
この時の営業部は、伊東部長以下、佐藤さん、藤原さん、小田さんの4人で、そのほか、数カ月前に新設された総務部の社員として司法書士崩れの前口さんが在籍していました。
登記書類や訴訟関係書類の作成をはじめ、印鑑証明の期日管理、不動産謄本の定期閲覧、自動車や電話加入権の名義変更、人材募集、車両整備などが主な仕事で、場合によっては現場にも駆り出される便利屋のような存在です。地面師(不動産取引の詐欺師)による不動産侵奪事件に加担したことで逮捕され、司法書士資格をはく奪された前口さんは執行猶予中。民事訴訟で多額の賠償請求をされている状況にありました。
「私自身も、土地所有者に成りすましたばあさんに、まんまと騙されたんですよ。3年の執行猶予が終わって、さらに3年が経過すれば欠格期間も終わります。また司法書士になれるまで、ここで頑張りますよ」
刑が確定した後、唯一の心配は損害賠償請求訴訟の行く末だそうで、結果によっては金田社長に助けてもらうつもりでいるようです。
それから1時間ほど経過したところで、現着した伊東部長から連絡が入りました。いつものようにスピーカーフォンをオンにした金田社長は、登記書類を書きながら対応されます。
「現場に着きましたが、玄関扉に忌中の知らせが貼ってあって、お通夜をしています。どうやら社長が亡くなっているみたいですけど、どうしましょう?」
「故人の名前を確認したのか」
「はい、忌中の知らせで確認しました。線香の匂いも漂っています」
書類を書く手を止めて、しばし思案した金田社長が、歌舞伎役者のような厳しい表情で言いました。
「各自、近くのコンビニでご霊前の香典袋を買って、全員で上がって焼香させてもらえ。中身は3,000円ずつでいい」
「そのあとは、いかがしましょう?」
「保証人(社長の弟)がいたら引っ張り出して、売掛と所有車の状況を聞き出せ。女房には、相続意思の確認だ。相続するなら書類を書かせて、放棄するなら家の中に人を残しておくように」
「はい、わかりました。社員も来ているはずなので、売掛を中心に聞いて、あわよくば保証させますね」
しばらくすると、焼香を済ませて遺族と話した伊東部長から、続報が入りました。社長の死因は、心筋梗塞。居酒屋の座敷席で、酒を飲みつつ食事をしていたところ、その場で寝入ってしまい、そのまま亡くなられたそうです。
「保証人と話して、入金予定の一覧は入手できました。確実なものは80万ほどしかなかったです。クルマは10年落ち、走行18万キロのアコードで、評価は8万でした。とかし屋の井上は、高級車専門ですから、ほかをあたってみてもいいかもしれません」
「奥さんは、相続するって?」
「これから弁護士に相談するそうです。死亡時3000万円の生命保険に入っているというので、保険証券を預かる方向で話そうと思いますが、それでよろしいですか?」
「わかった。弁護士介入の後、話が変わるかもしれないから、手持ちの現金も回収しておけ」
不渡事故が起きると、全額回収の目途がつくまで、帰りにくい雰囲気が充満します。経理部所属の私たちは、男性社員と違って縛りはないので、このタイミングで失礼させていただきました。
翌朝、いつも通り早めに出勤すると、社長室から人の気配を感じます。昨日、持病の検診に行くため、今日の出勤は午後になると社長から聞いていたので、愛子さんが掃除をしているのだと思い、驚かせるべく静かに扉を開けると、前口さんが社長室の机の上にある香典袋を開封していました。
どうやら昨夜の回収で取り立ててきたものらしく、その脇には債務者のものと思しき、見慣れぬ古びたオメガの腕時計も置かれています。なんとなく嫌な雰囲気を感じて、声をかけずに見守っていると、いくらかの香典袋を上着の内ポケットに入れるところを目撃することになりました。
「見てはいけないものを見てしまった」
途端にドキドキが止まらなくなった私は、そのまま静かに扉を閉めて、給湯室の掃除をしながら愛子さんの出勤を待ちました。
「るりちゃん、それは報告しないとダメよ。まずは、伊東部長に相談してみたら?」
出勤した愛子さんに、給湯室で一連のことを話すと、伊東部長に相談するよう進言されます。前口さんの状況を思えば、目をつむっておきたい気持ちにもなりますが、手癖の悪い人と一緒に働く気にはなれません。
「部長、今日、お昼一緒に食べませんか。私、ラーメンを食べに行きたいんですけど、一人では入りにくくて」
本当は、持参のお弁当を食べたかったのですが、みんなに聞かれることなく2人で話す機会は事務所にないので仕方ありません。結局、ラーメン屋では話もできないだろうということで、伊東部長行きつけの和食屋さんに連れて行っていただきました。おいしい刺身定食をいただきながら、今朝見たことを報告すると、途端に厳しい顔になった伊東部長が言いました。
「よく教えてくれたね。彼はお金に困っている人だから、ちょっと心配していたんだけど、こんなに早くやってしまうとは思わなかったな。きちんとしよう」
食事を終えて事務所に戻ると、社長も出勤しておられたので、部長と2人で朝の挨拶に伺います。すると、早速にすべてを報告した伊東部長に、顔色を変えた社長が言いました。
「香典袋の数が足りないからと、所持品検査をやれ」
昼休みを終えた社員が全員そろったところで、香典袋の束を抱えた伊東部長が、みんなに告げます。
「香典袋の数が合わないのだが、誰も触ってないよな?」
当然に、営業社員の皆さんはきょとんと聞いておられますが、前口さんの目は泳ぎ、動揺を隠しきれていません。おそらくは証拠を隠滅したいのでしょう。その場に耐えられない様子でトイレに行こうとした前口さんでしたが、伊東部長が言葉を続け、それを制します。
「誰にも心当たりがないなら、警察を呼ぶほかないんだけども。その前に、みんなの所持品を確認させてもらおうか」
すると、ガタガタと激しく震え出した前口さんが、内ポケットから複数の香典袋を取り出して言いました。
「申し訳ございません。魔が差してしまいました……」
執行猶予中の前口さんにとって、警察を呼ばれることが一番の恐怖だったのでしょう。社員全員の冷たい視線を浴びながら、伊東部長に導かれて社長室に入った前口さんは、その数分後、顔を大きく腫らせて出てきました。
金田社長は、大学時代に空手をやっていた猛者。かなりやられた様子で、鼻と口から多量に出血していますが、みんなに無視されて誰にも介抱してもらえません。自分のハンカチで顔を覆って、私物を素早くまとめた前口さんは、逃げるように会社をあとにしました。
「るり子さん、つらい思いさせて悪かったね。今日はこれで、食事でもして帰って」
その後、社長室に呼ばれた私は、金田社長から3万円の現金を支給されました。すべての札がしわくちゃだったことから、取り立てた香典から出されたお金だと思われ、デリカシーのない人だなと思ったことを覚えています。その後の前口さんのことは、なにひとつわからず、生きているかどうかもわかりません。
※本記事は事実をもとに再構成しています
(著=るり子、監修=伊東ゆう)