“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
「脳梗塞の介護に疲れ、父を見殺しに? 救急車を呼ぶまでの『タイムラグ』と母への疑惑」で、義母の“生への執着”に違和感を抱く峰まゆみさん(仮名・63)さんの話を紹介した。コロナにり患した91歳の義母が、回復したあと「あのとき死にたかった」と繰り返しながらも、食べ物や服など旺盛な物欲が湧いていることに半ばあきれ、矛盾する義母の言動が理解できないでいる。
「延命治療はすべてしてください」耳を疑った母の言葉
春木美弥子さん(仮名・62)も、母の那賀子さん(仮名・88)が見せた“生への執着”に戸惑っていると明かす。
「要介護3の母をショートステイにお願いする前に、施設の方と延命治療について母の意向を確認していたときのことです。最近急激に弱ってしまい、ちゃんとした会話も難しくなっていた母が、このときだけは明確に『延命治療は全部してください』と言ったんです」
春木さんは、耳を疑った。
「え、どういうこと? これは本当に母の本心なの? 延命治療がどういうことかわかって言ってるの? 正常な判断ができていないんじゃないの? いろんな『?』が頭の中で渦巻いて、混乱してしまいました」
そして改めて、那賀子さんが正常な判断ができていたときに、那賀子さんの意思を確認しておくべきだったと悔やんだ。
「でもその一方で、それほど母が生きることに執着しているのなら、生きる意欲があるということかもしれない。それなら喜んでいいのではないか、とも思うんです」
大腿骨の骨折で、これほど弱ってしまうとは
那賀子さんが急に衰えたのは、半年ほど前、家の中で転倒し、大腿骨を骨折してからだ。90日入院し、車いす生活になった。それでも当初、春木さんは楽観的だった。
「これまでも何度か転倒してはあちこちを骨折していました。それでも、数週間がんばって痛みに耐えていたら回復できていたし、今回の骨折前も特に問題なく家の中は歩くことができていたんです。だから今度も、いつもより重症だとは思いましたが、自宅に連れて帰ることを決めたんです。自宅での生活に慣れれば、また元に戻るだろうと思っていたのですが、私の見通しが甘かった。これほど弱ってしまうとは思いもしませんでした」
車いす生活のためか、那賀子さんは頭も働かなくなっているように見える。
「一日のうち、母の目に力が入るのはほんの10分程度。そのほかは、目の焦点も定まらず、表情もほとんどありません。私は一人っ子なので、父が亡くなってから母をうちに呼んで、同居しました。母娘って、遠慮なくケンカするんですよ。夫が心配するくらい。それなのに、今はケンカにもなりません。ケンカができていたのは、元気な証拠だったんだなと懐かしく思うほどです」
自宅に連れて帰ったのは間違いだったのかと思う、と春木さんはため息をつく。
「骨折をするたびに、母の心身は衰えていたのかもしれません。いくらこれまでは回復していたといっても、その時からは確実に年を取っているわけですから。年寄りは若い人とは違うということがわかっていなかったんだ、と身に沁みて感じています」
春木さんの負担と疲労は増すばかりだ。
――後編に続く。