“「ヨロヨロ」と生き、「ドタリ」と倒れ、誰かの世話になって生き続ける”
――『百まで生きる覚悟』春日キスヨ(光文社)
そんな「ヨロヨロ・ドタリ」期を迎えた老親と、家族はどう向き合っていくのか考えるシリーズ。
春木美弥子さん(仮名・62)の母、那賀子さん(仮名・88)は何度目かの骨折で入院したあと、急激に弱ってしまい、ほとんどコミュニケーションも取れなくなってしまった。自宅に連れて帰った判断が甘かったと後悔していた矢先、那賀子さんはショートステイ前の意向確認の際、「延命治療は全部してください」と明確に意思を表示した。春木さんは思いがけず那賀子さんが見せた“生への執着”に戸惑っている。
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母はデイサービスの日になると体調を壊す
日に日に那賀子さんへの介護負担が重くなっていくなか、春木さんが唯一息抜きできるのが、那賀子さんがデイサービスに行っている時間だ。週に3日、パートに行く日にデイサービスを入れているが、時には仕事を休んで友人とランチに行くこともある。
「明日は母をデイサービスに預けてランチだ、とウキウキしていたら、私の弾んだ気持ちが伝わるのか、当日になると体調を壊すんです。そのたびに、友人にキャンセルの連絡を入れて……そんなことをもう何度も繰り返しています。そういえば、転倒して骨折したのもデイサービスに行く日でした。私が母を置いて羽を伸ばすのが許せなくて、わざと体調を崩しているんじゃないかとさえ思えて、母が憎くなることもあります」
それだけではない。デイサービスに行く時間と戻る時間は、春木さんに家にいてほしいと言う。春木さんはパートの時間をやりくりして、那賀子さんの要求にこたえているのだ。
それだけやっても、那賀子さんはデイサービスに行くことを嫌がっているという。なだめたり、励ましたり、ときには泣き落とししながら、何とかデイサービスに送り出すのも一苦労だ。
「デイサービスと、2カ月に1回くらいのショートステイだけが私の休息日なんです。それなのに、デイサービスに行くのを渋られると、無理に行かせている私が悪いように思えてきて、罪悪感にさいなまれる……。なかなか割り切れませんね」
保育園とデイサービス。これでチャラ?
そんな春木さんだが、ふと幼いころのことを思い出したのだという。
「そういえば、私も昔保育園に行きたくなかった。毎日のように、『行きたくない』と駄々をこねては母を困らせていました」
そんなとき、那賀子さんは春木さんをなだめたり、時には怒ったりして、無理にでも登園させていたというのだ。
「どんなに私が泣いて抵抗しても、休むのは許してくれなかったよね、と。だったら、どんなに母がデイサービスを嫌がっても、無理にでも行かせたっていいんじゃないの? そう思うと、ちょっと吹っ切れたんです」
確かに。保育園とデイサービスでイーブン。これでチャラにすることで春木さんの罪悪感がなくなるのなら、それでいい。
しかし――。ようやく吹っ切れそうだったところに、春木さんをさらに困惑させるできごとが追い打ちをかけた。あまりに那賀子さんのドタキャンが多いので、デイサービスから「クビ」を言い渡されたのだ。
母は何のために生きてるのか?
「待っている人が多いので、ということでした。何より休みが多いと、デイサービスの収入が減るというのが本音のようです。デイサービス側の事情もよくわかりますが、私だってどうすればいいのか。また新しいデイサービスを探すのは大変だし、もし見つかっても母は新しいデイサービスにはなかなか慣れないでしょう。今よりももっとデイサービスを嫌がることになるだろうなと思うと憂鬱です。八方ふさがり、ってこういうことを言うんでしょうね
もはや那賀子さんには、デイサービスに行って楽しもうとか、リハビリをして元気になろうとかという意欲はまったくない。母が何を考えて毎日を過ごしているのか、何のために生きているのかわからなくなっていると春木さんは視線を落とす。
それなのに、「すべての延命治療を希望します」という母――。
自分だってそのときになってみないと、わからない。延命治療はしたくない、というのは、元気な人間の理想論。生きるか死ぬかという局面に直面すると、延命治療をしてでも生きたいと思うのかもしれない。そう思ってはみるものの、そのときに母の希望に沿うことが果たして正解なのか?
母の言葉を聞かなければよかった……またひとつ春木さんの後悔が増えた。