今期放送中の『大奥』(フジテレビ系)。同シリーズの熱心なファンである歴史エッセイスト・堀江宏樹氏によれば、お品の懐妊を知った倫子の悲嘆ぶりは史実的ではないそうで……。
目次
・徳川家治、2カ月差で懐妊させていた
・1年で妊娠したお知保と2年かかった倫子
・ドラマで使っている「嫡男」は日本語的に矛盾
徳川家治、2カ月差で懐妊させていた
『大奥』第8話、KAT-TUN・亀梨和也さん演じる「上様」こと徳川家治のお種の命中率のすごさには震えましたね。新たに側室となったお品の方など、ものの一発(?)で、上様のお子(次男・貞次郎)を懐妊・出産していました。まぁ、史実でも家治は「夜のスナイパー」だったようですよ。
徳川家治と側室・お知保の方との間に、「長男」竹千代(のちの家基)が誕生したのは宝暦12年(1762年)10月25日のことでしたが、お品の方を母にもつ「次男」貞次郎はその2カ月後、12月19日生まれなんですね(『幕府祚胤伝』)。これはすなわち、これまで家治の愛を独占してきた倫子が、新興勢力・お知保の増長を抑えようとして、お品の方を即座に家治にあてがったということを意味しています。
つまり史実の倫子は、家治さまに側室ができたといって「ヨヨヨ」と泣いているような女などではありません。腹心の侍女であるお品を家治に押し付け、「彼女のことも妊娠させてください!」と熱心に訴えた背景まで想像されてしまうのです。
もともと倫子は自分こそがお世継ぎの男子を産むつもりだったのでしょうが、彼女が家治との間に2人続けて授かったのは女の子でしたから、家治の乳母だった松島の局からの「御台様は女腹」という批判をかわせなかったのですね。
1年で妊娠したお知保と2年かかった倫子
お知保の方が家治つきのお中臈、つまり側室になったのが宝暦11年(1761年)のこと。しかし、家治は、その直後にお知保を妊娠させてしまったのでした。
家治が倫子に気づかれぬよう、陰でコソコソ浮気していた可能性はあるでしょうが、公的には「倫子一筋」だった7年の間、五十宮倫子が懐妊したのは2回です。最初の懐妊までは約2年かかりました。それを1年という短期間でこなしたお知保の方に脅威を感じた倫子は、「負けてなるものか」とお品を差し出すことに決めたのでしょう。
将軍なのに、種馬扱いの家治も気の毒なのですが、「据え膳食わぬは男の恥」とばかりに、お品もスピード妊娠させるのでした。こういう妊娠にまつわるあれこれは、特に夫がほかの女性とも寝ている場合、確実に女性としてのプライドに影響したでしょうから、御台所・倫子からは嫉妬と怒りというプレッシャーを感じながら、お知保とお品という2人の側室を2カ月違いで連続懐妊させるスナイパー家治のすごさたるや……。「ここぞ」というときの期待には必ず応えてくれる大谷翔平選手のような御仁であったのでしょう。
お知保が将軍継承権のある男児を産んでくれたので、家治にも喜びはあったはずですが、お品という自分の侍女を使ってまで、お知保に代理戦争を挑んだ倫子の手前、お品も男児を産んでくれるよう、史実の家治は胃をキリキリさせながら神仏に祈っていたのではないでしょうか。
ドラマで使っている「嫡男」は日本語的に矛盾
幸い、お品が産んだのも男児で、史実でもドラマ同様、貞次郎と名付けられました。しかし、「長男」竹千代が壮健だったのに対し、「次男」貞次郎は病弱で、生後3カ月で亡くなってしまったのでした(ドラマは史実ガン無視ですから貞次郎がすくすくと成長する展開もありうると思いますよ)。
なお、ドラマでは「嫡男」という単語を「長男」という意味で使っているようですが、もともと「嫡男」とは「お世継ぎ」の意味なのです。ドラマの家治は竹千代を「嫡男」だとしながらも、「世継ぎかどうかはまだ決めていない」という、日本語的に矛盾した態度を取っていたので、内容だけでなく、言葉遣いにおいても微妙すぎるのが今期の『大奥』だといえるでしょう。