歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が今期のNHK朝のテレビ小説『虎と翼』を歴史的に解説します。
目次
・寅子の実家、エリートが生まれるには空気が砕けすぎ?
・伊藤沙莉さんはハスキーボイス、三淵さんはソプラノボイスの美声
・結婚するくらいなら「地獄」を見ても――寅子が驚がくした日本の現実
・寅子と母親・はるの関係がどう変化するか?
寅子の実家、エリートが生まれるには空気が砕けすぎ?
朝ドラ『虎と翼』の第一週、読者はいかがご覧になりましたか。
ヒロイン・猪爪寅子(いのつめ・ともこ、伊藤沙莉さん)のモデルは、実在の昭和の女性法律家・三淵嘉子さん(1914~1984)で、彼女は日本女性初の弁護士、日本女性初の判事、日本女性初の裁判所長という輝かしい経歴の持ち主、つまりエリートの中のエリートです。
朝ドラでは現代の視聴者の共感を呼ぶためでしょうか、寅子の実家の空気がかなり砕けた(砕けすぎた)雰囲気でした。本当にあそこからは医者を目指すか、法律家を目指すかで迷って、血を見るのが怖いから弁護士にしたというエリート・三淵嘉子さんは生まれてくるのだろうか……と思ってしまう部分はありました。
また、ドラマのヒロイン・寅子は優秀ですが、猪突猛進型で、世間の「ふつう」とは少々ズレているタイプのように見受けられました。好感度が高かったと思われる前作『ブギウギ』の福来スズ子に比べると、好きな人は好きなヒロインという程度でしょうか。
個人的には若手女優の中でも伊藤沙莉さんの声と演技が大好きなので、ぜひ頑張っていただきたいのですが、寅子は明律大学女子部法科(モデルは、昭和4年・1929年に開校した明治大学専門部女子部法科)に入学したばかりなので、今後の成長に期待しかないという印象です。たぶん女子生徒たちの中でも現況、浮いてしまっている気はしますね。
三淵さんの実際のトークをDVD(『Women Pioneers -女性先駆者たち』大阪府男女共同参画推進財団)で拝聴して痛感したのですが、話し方、声、目線の送り方、ユーモアなどがすごく的確で、寅子が今後、三淵さんのように誰からも好感を持たれる女性になれるどうかは「未知数」といわざるをえません。先週はお見合い相手から「黙れ!」といわれ、今週は「ヘラヘラしている」と男装の麗人から言い捨てられてしまっていましたからね……。
伊藤沙莉さんはハスキーボイス、三淵さんはソプラノボイスの美声
ちなみに寅子を演じる伊藤沙莉さんはハスキーボイスですが、実際の三淵さんはソプラノボイスの美声でした。そして寅子が、「うちのパパとうちのママが」と事あるごとに熱唱する歌は、三淵さんも愛唱していたシャンソン「モン・パパ」で、上司から勧められたお酒を断る時にこれを歌って、雰囲気を壊さずにうまく交わしたというエピソードもあったそうです(清水聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』日本評論社)。
三淵さんは弁護士から判事(裁判官)に転じたわけですが、裁判所の傍聴ファンの中にも「三淵推し」がたくさんいて、「すてきな人」「その場に花が咲いたような」「声がきれいな」といったファン丸出しの感想に加え、「少年判事のプロフェッショナル」という彼女の仕事内容に対する評価も聞かれたそうです(清水聡『三淵嘉子と家庭裁判所』)。
女性が法律家に向いていないわけがないという三淵さんですが、毎日膨大な量の仕事を持ち帰っていたし、弁護士はともかく裁判所判事は公務員ですから、全国に転勤があり、2番目の結婚生活は判事同士だったこともあり、3分の1を別居ですごしたそうです。
インタビューが録画された昭和50年(1975年)になっても、法曹界の女性比率は弁護士、検察、裁判官すべてが2%前後しかなく、司法試験を突破したのに、あえて主婦に戻ってしまう女性も多く、なかなか大変な状況が続いていたようですね(『Women Pioneers -女性先駆者たち』)。
また、男性が多いこともあり、女性法律家の扱いが「微妙」でした。
三淵さんは、女性判事だからという理由だけで、彼女に少年問題や、家庭問題などを主に扱う家庭裁判所の仕事を与えられる傾向に猛反対しておられましたが、ご自身の資質や興味が家庭裁判所に向いているということをキャリアの中で悟られたようで、日本各地の家庭裁判所で所長をお務めになられています。
結婚するくらいなら「地獄」を見ても――寅子が驚がくした日本の現実
さて、第一週、猪爪家の下宿人・優三(仲野太賀さん)が通う明律大学法科の授業をうっかり聞いてしまった寅子は、女性が無能力者として扱われてしまう当時の日本の現実に驚がくし、それが彼女に法律家を目指させる理由となったというのがメインの内容だったと思います。
戦前の日本では本当に、女性を法的無能力者として扱う民法が存在していたことは有名です。しかし、女性だからすべて無能力者の扱いでもないのです。無能力者は既婚女性に限定され、独身女性や未婚女性はその扱いではありませんでした。寅子が結婚に魅力を見いだせない、結婚するくらいなら「地獄」を見ても法律家を目指す! などと言っていた理由でしょう。
一度結婚してしまうと、たとえ成人していたところで、女性は人生における大事なことはほとんどすべて夫の同意がなければ、自分の意思だけでは決められないようにされてしまっていたのです。
ちなみに離婚が成立した女性は無能力者ではなくなります。しかし、夫は妻を比較的簡単に離婚できたのに対し、その逆はかなり困難でした。また、妻の立場は夫よりも非常に低く、夫は妻が誰か別の男と不倫をしている場合、それだけで姦通罪といって、妻と愛人男性を罪に問うことができたのですが、妻は夫に愛人女性を作られても、それだけでは姦通罪を問うことはできないのです。
有名人のケースでいうと、大正元年(1912年)、「国民的詩人」北原白秋(当時27歳)が隣家に住んでいたことで知り合ってしまった松下俊子という人妻で、夜はホテルのバーでホステスをしていた女性と抜き差しならない関係となり、「殺すか、一生忘れられぬほどの快楽の痛手をお前様(=俊子)に与えるか」の二択だ、選べよ、みたいな恥ずかしい恋文を送りつけて盛り上がっていたのですが、俊子の夫から二人の関係が咎められ、姦通罪で訴えられるという事件が起きました。
姦通罪で訴えられても、裁判になる前に示談にできれば、牢屋には入らなくて済むのですが、作家のような人気商売は致命傷を得るので、社会的な死刑判決ともいえ、女性だけでなく、その愛人男性も気を揉んだようです。
寅子と母親・はるの関係がどう変化するか?
女性と男性なら、「つねに男性が強かった」というより、妻と夫の関係において「夫が一方的に強い権利を主張できた」という感じでしょうか。要するに妻は夫の所有物にすぎなかったということですね。
そうした男女間の不均衡が見直されたのが、戦後になってからなのですが、朝ドラとしては、こういう使命感に燃えたエリート、そしてガラスの天井何枚分もぶち破り続けた行動の人である三淵さんを、いかにわかりやすく、共感できるキャラクターにデフォルメできるかで成功か否かは決まると思います。今後どうなることでしょうか。
これは私感ですが、欧米、そして日本を問わず、20世紀前半くらいまでに生まれ、そして女性の参入がなかったジャンルでの偉業を達成した女性の大半が「お父さんっ子」という事実があり、逆にお母さんとは仲が悪かったといえると思います。史実の三淵さんもお母さんより、お父さんと仲がよかったそうですが、ドラマでは寅子とその母親・はるを演じる石田ゆり子さんの関係がどう変化するかも含め、見守っていきたいと思います。