歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が今期のNHK朝のテレビ小説『虎に翼』を歴史的に解説します。
目次
・史実は、より悲劇的――夫と両親を失う
・華族令嬢、涼子さまのモデルは?
・涼子と過激な活動家・岩倉靖子が重なる?
・沢村一樹演じるライアンこと久藤頼安のモデルは?
史実は、より悲劇的――夫と両親を失った三淵嘉子さん
放送回数を重ねるごとに、熱心なファンが増えている気がするNHKの朝ドラ『寅と翼』。今週(第10週「女の知恵は鼻の先?」)からは、「第2部」となり、ヒロイン・寅子が「戦後」という新しい時代と格闘する姿が描かれるようです。
昭和22年(1947年)5月3日、新しい日本国憲法が施行されることになりました。
男女平等をうたう新憲法の方針にしたがい、明治時代以来の日本の「家制度」も解体されることになったのですが、この時、ドラマでも取り上げられた、妻の「法的無能力制度」が撤廃されただけでなく、婚姻の自由、夫婦別財産、そして均分相続制度――相続人が複数いる場合、遺産は基本的に全員に均等に分けられるという制度――などが新たにスタートしました。
戦前では考えられない画期的な内容で、寅子のモデルである三淵嘉子さんいわく「女性が家の鎖から解き放たれ、自由な人間としてスックと立ち上がったような思い」がする一方、「あまりに男女平等であるために、女性にとって厳しい自覚と責任が要求され(略)現実の日本の女性がそれに応えられるであろうか」という不安すら感じたそうです。
戦後はどんな女性でも一人の人間として、男性同様、主体的に振る舞うことが必要だったので、人任せでも生きられた日本女性に本当にそれが可能なのかと思ってしまったようです。
ちなみにドラマの寅子の夫・佐田優三は戦地の病院で亡くなりましたが、史実の三淵嘉子さんの夫・和田芳夫さんは昭和21年(1946年)、日本に戻った直後に体調を崩し、ついに回復できず……という、より悲劇的な最期でした。同じ日本にいるのに、三淵さんと再会することもできなかったそうですね。
その翌年にあたる昭和22年(1947年)は、三淵さんにとってはさらなる試練の年で、1月に母が、10月には父が病死しています。つまり『虎に翼』が史実をベースとした物語であれば、すでに寅子は両親を失ってしまっているのですが、ドラマは史実と離れたオリジナル展開も多いので、石田ゆり子さん演じる猪爪はるには長生きしてもらいたいものですね……。
華族令嬢、涼子さまのモデルでは?
さて、内容の補足はこれくらいにして、これまであえて触れなかったドラマのキャラクターで、華族令嬢の「涼子さま」こと桜川涼子について今回は取り上げようと思います。
涼子は、高等文官試験(現在の司法試験)を実家の都合で断念してからはドラマに登場せず、今では寅子の回想シーンで顔が見られるだけになっていますが、今週(第10週)に「ライアン」こと久藤頼安(沢村一樹さん)という、(おそらく涼子同様)華族出身の新キャラが登場したこともあり、なんとなく、家のくびきから解放された涼子の再登場もあるのではないか……と感じています。
桜川涼子のモデルとしては、三淵嘉子さんの同期であり、同時期に女性弁護士になった久米愛さんの名前がネットでは上げられているようです。ちなみに史実の久米さんは戦時中でも、川崎の自宅で暮らしていた三淵さんのもとを、疎開していた岡山からはるばる訪ねてきてくれたり、ドラマ以上に二人の交流は密でした。
ただ筆者の目には、久米さんの面影を宿した登場人物は、小林涼子さん演じる久保田聡子などで、涼子のモデルとしては、華族という特権階級に生まれながらも、日本の社会の問題を劇的な方法で改善しようと、もがいていた岩倉靖子などの名前が思い浮かぶのです。岩倉靖子は1930年代の日本の「赤化華族事件」の中心人物で、寅子や涼子よりは少々、年長ではあるのですが……。
涼子と過激な活動家・岩倉靖子が重なる?
岩倉靖子は、明治天皇から厚く信頼された明治維新の立役者・岩倉具視のひ孫に当たる公爵令嬢でしたが、実家が経済的に没落する中、女子学習院を中途退学し、昭和5年(1930年)に日本女子大に入学しました。
しかし、そこで靖子は同じ大学にかよう上村従義男爵の長女・上村春子と親しくなります。上村春子も男爵令嬢というお嬢さまでしたが、司法官僚だった横田雄俊(ときの明治大学総長の四男)から影響をうけ、過激な社会運動に熱心でした。靖子は彼らから影響され、共産主義者として活動しはじめます。
靖子は女子学習院時代のクラスメイトの女性たちにも連絡をとり、共産主義者になるように働きかけたものの、旧友たちの反応は鈍く、逆に通報されて市ヶ谷刑務所に収監されたこともありました。当時、共産主義は違法の危険思想だったからです。
靖子は獄中で共産主義と決別し、自宅に戻ったものの、自殺してしまいました。
非合法活動家にしかなれなかった岩倉靖子と、男女同権など先進的な思想を持ちながらも、弁護士を目指し、あくまで合法的に世の中を変えていこうとした桜川涼子には異なる部分がありますが、彼らのように社会問題に強い関心を抱く華族も(少数ながら)実在したことは覚えておいてください。
ライアンこと久藤頼安、史実上のモデルは?
戦前日本には華族制度が存在しましたが、欧米的な意味で一枚岩としてまとまった「上流社会」などは存在しなかったとよくいわれます。それはつまり、われわれが想像する以上の多様性が日本の華族社会にはあったということなのですね。
華族の男性の職業といえば、宮内省(当時)を中心とした省庁勤務か、学者、あるいは電通や日本郵船などに一部の特別な会社に勤めるか、軍人になるケースが多かったようです。
それに対し、ドラマの久藤頼安のモデルである内藤頼博(内藤子爵家出身)は戦前から裁判所に勤めていたという点で、やや型破りな存在で、実際に「殿様判事」という異名もありました。
史実の内藤も高身長で二枚目だったので、女性からはモテモテだったそうですが、お酒が飲めず、夜のお付き合いもあまりなかったので、女性問題からは守られていたとか……。
史実の内藤もアメリカ(など)の外国の司法制度にくわしく、戦後はリベラルな裁判官として、司法界の保守的な体質と戦った存在です。ただ、それがわざわいし、優秀だったにもかかわらず、最高裁判事に任命されることはないまま定年を迎えました。
裁判所を退職した内藤は教育界に転じ、1987年から93年までは第22代学習院院長を務めたことで知られます(つまり秋篠宮さまや、紀子さまが在学中の学習院のトップでもあった人物です)。歴史は本当に多様な広がりを見せるものです。