歴史エッセイスト・堀江宏樹氏が、今期のNHK連続テレビ小説『虎に翼』を歴史的に解説したコラムを一挙にまとめます。
目次
・【第1週】結婚するくらいなら「地獄」を見ても――当時の既婚女性の現実とは?
・【第3週】軋轢はあった? 大学での男子生徒との興味深い逸話
・【第4週】女子入学をめぐる東北帝国大学の情けないウラ事情
・【第5週】当時の「司法」批判とは? 検察“でっちあげ”の帝人事件
・【第6週】満智は男女不平等社会が生んだ「悪女」?
・【第10週】華族令嬢、涼子さまのモデルは?
・【第10週】沢村一樹演じる「ライアン」の知られざる史実
【第1週】結婚するくらいなら「地獄」を見ても――当時の既婚女性の現実とは?
第1週、猪爪家の下宿人・優三(仲野太賀さん)が通う明律大学法科の授業をうっかり聞いてしまった寅子は、女性が無能力者として扱われてしまう当時の日本の現実に驚がくし、それが彼女に法律家を目指させる理由となったというのがメインの内容だったと思います。
戦前の日本では本当に、女性を法的無能力者として扱う民法が存在していたことは有名です。しかし、女性だからすべて無能力者の扱いでもないのです。無能力者は既婚女性に限定され、独身女性や未婚女性はその扱いではありませんでした。寅子が結婚に魅力を見いだせない、結婚するくらいなら「地獄」を見ても法律家を目指す! などと言っていた理由でしょう。
一度結婚してしまうと、たとえ成人していたところで、女性は人生における大事なことはほとんどすべて夫の同意がなければ、自分の意思だけでは決められないようにされてしまっていたのです。
ちなみに離婚が成立した女性は無能力者ではなくなります。しかし、夫は妻を比較的簡単に離婚できたのに対し、その逆はかなり困難でした。また、妻の立場は夫よりも非常に低く、夫は妻が誰か別の男と不倫をしている場合、それだけで姦通罪といって、妻と愛人男性を罪に問うことができたのですが、妻は夫に愛人女性を作られても、それだけでは姦通罪を問うことはできないのです。
有名人のケースでいうと、大正元年(1912年)、「国民的詩人」北原白秋(当時27歳)が隣家に住んでいたことで知り合ってしまった松下俊子という人妻で、夜はホテルのバーでホステスをしていた女性と抜き差しならない関係となり、「殺すか、一生忘れられぬほどの快楽の痛手をお前様(=俊子)に与えるか」の二択だ、選べよ、みたいな恥ずかしい恋文を送りつけて盛り上がっていたのですが、俊子の夫から二人の関係が咎められ、姦通罪で訴えられるという事件が起きました。
姦通罪で訴えられても、裁判になる前に示談にできれば、牢屋には入らなくて済むのですが、作家のような人気商売は致命傷を得るので、社会的な死刑判決ともいえ、女性だけでなく、その愛人男性も気を揉んだようです。
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【第3週】軋轢はあった? 大学での男子生徒との興味深い逸話
明律大学女子部は、戦前の昭和4年(1929年)に開校した明治大学専門部女子部(以下、明大女子部)をモデルにした学校です。この学校の記録から、当時の女生徒たちの実態を振り返るとなかなか興味深いことがわかりました。
まず気になる男子生徒との軋轢についてですが、明律大学のモデルが明治大学というリベラルな校風のある名門校ということで、あまり表立ったトラブルなどはなかったようです。しかし、男子学生から女生徒が冷やかされる事件が起きた記録はやはりあって、それは開学当初、通学には必須とされていた女子用の制服が問題だったらしいのです。
ドラマでは出てきませんでしたが、明大女子部の指定制服は、現代日本の女子大生の就活ルックのようなスーツ姿に、なぜか当時の大学生のシンボルである角帽を被ったものを想像していただくとわかりやすいと思います。
ドラマでは小林薫さん演じる穂高教授(モデルは、渋沢栄一の孫の経済学者・穂積重遠)同様、明大女子部の発足と運営に尽力した現役の弁護士で、学校の教壇にも立った松本重敏という人物が、早稲田大やイギリス・ケンブリッジ大の男子学生の角帽を気に入っており、女子生徒にも被らせてみたのでは……という証言もあります。
当時としてはかなりユニセックスな装いですが、「学問の前には男女は関係ない」というメッセージがこめられていたように感じます。
しかし、女性がそういう姿をすることが男子生徒には不評で、それゆえに冷やかされるという事件が発生したようですね。女子生徒も次第に学校指定の制服ではなく、着物もしくはカジュアルな洋服で通うようになったそうで、男子学生とのトラブルは少なくなったと考えられます。
当時の男性、そして女性の意識を知る上で興味深い逸話です。
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【第4週】女子入学をめぐる東北帝国大学の情けないウラ事情
三淵嘉子たちが司法試験を突破し、日本最初の女性弁護士になったのは昭和13年(1938年)のことです。女性弁護士の誕生は、女医よりも半世紀も後だったのです。これも女性弁護士は、男性社会からニーズがなかったことが影響していそうです。
背景にあるのは、家庭や社会の潤滑油のような扱いを受けていた女性たちが、弁護士になったり、そのための勉強をすることで「権利を知って、口やかましくなるのではないか」「男性以上の権利を主張しはじめるのではないか」、あるいは「女らしさを失うのではないか」というような危惧があり、男性たちから反発を受けていたことが指摘されます。
女性が高等教育を受けることにも同じ理由で反対が強く、明治33年(1900年)に女子英学塾(現在の津田塾大学)、明治34年(1901年)に日本女子大学校(現在の日本女子大)などの女性のための高等教育機関が設立されてはいたのですが、これらの私立の学校は、文部省が定める「大学令」も認める正規の大学ではなかったのでした。
当時の日本の文部省は、「良妻賢母」を育成する以外は「正しい女子教育」だと認めないという立場を打ち出していたからです。
そんな中、繰り返しになりますが、大正2年(1913年)、東北帝国大学というれっきとした「正規の大学」に女子生徒の入学が許可されたのは、本当に画期的な事件ではありました。
しかし、これにも情けないウラ事情があって、東北帝大に入学希望する男子生徒が少なく、定員割れが続いていたので、女子生徒を補欠として使うしかなかったということなのですね。
当時の東北帝国大学の学長・澤柳政太郎は「女子生徒にも高等教育を!」という進歩的な考えを持っていたのですが、学長が変わると女子生徒の募集はしばらく停止し、柳沢も転任先の京都帝国大学では、女子生徒の募集は行いませんでした。京都帝大はすでに男子生徒から人気でしたから、女子による穴埋めなど必要なかったのです。
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【第5週】当時の「司法」批判とは? 検察“でっちあげ”の帝人事件
先週(第5週)は、昭和9年(1934年)に本当に起きた「帝人事件」を下敷きにしたのであろう贈収賄事件に、銀行マンだった猪爪寅子の父・直言(なおこと)が巻き込まれるという驚がくの内容でした。
三淵嘉子さんの父親・武藤貞雄さんも台湾銀行に勤務しており、彼とは直接関係なくても、「帝人事件」で同銀行内から逮捕者が出たことは史実ですから、そのあたりからの空想でしょうか。
実際の事件では16人もの被疑者たちが200日以上にも渡る長期勾留を受け、ドラマにも出てきた革手錠などの不当かつ過酷な扱いがなされていましたし、昭和10年(35年)に裁判が始まってからも、全員に無罪判決が降りるまで約2年もかかるなど、これをドラマで取り上げるとなれば、今後の『虎に翼』の方向性がまったく見えない状態になってしまったので、先週は連載をお休みさせていただきました。
今回も「帝人事件」について延々と解説するのは避けますが、1920年代後半から、30年代前半当時の日本はドラマで描かれる以上に不景気とインフレが広まった時代でした。
ときの首相・斎藤実(さいとうまこと)を退陣させるべく、軍部にも顔が利く右翼の大物だった平沼騏一郎などを中心とする勢力が仕組んだ“でっちあげ”事件だったとみられています。昭和12年(1937年)12月16日の東京地方裁判所による判決文では、すべては検察がでっちあげた「空中の楼閣」、つまり架空のスキャンダルにすぎなかったという判断がくだりました。
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【第6週】満智は男女不平等社会が生んだ「悪女」?
先週の内容には、寅子が岡本玲さん演じる満智という被害者ヅラの悪女のクライアントにコロッと騙され、協力させられてしまうという「失態」もありましたが、ああいうことを三淵さんが経験したわけではありません。つまり、すべては脚本家の吉田恵里香さんの「創造」だと思われますが、かなりうまく描けていましたね。
「女が生き抜くには悪知恵も必要」と言って憚らないドラマの満智を見ていると、男性よりも女性の権利が認められていない時代には、女性が男性と同じ罪を犯したところで、軽い罰しか受けなくて済んだという事実を思い出さずにはいられませんでした。
たとえば、三淵さんが明治大学法学部に入学した翌年にあたる昭和11年(1936年)、阿部定が愛人男性を荒川の待合(現在のラブホテル)で殺害し、その局部を切り取った猟奇殺人事件を起こしているのですが、裁判での彼女は「独占欲から彼を殺害した」と発言し、反省らしい反省など示しませんでした。また、検察は刑期10年を要求したにもかかわらず、下りたのは「わずか」懲役6年の判決だったのです。
既婚女性を「無能力者」とする法律、そして男性よりも相対的に女性を軽く扱う法律などは、19世紀後半の欧米諸国でも当たり前のように存在していたのですが、1889年(日本では明治22年)、フランスのリヨンの森でトランクに男性の遺体が詰め込まれているのが発見される事件がありました。
被害者はパリから失踪していた執達吏(裁判所職員)のオーギュスタン・グッフェ氏で、捜査の結果、殺人に加担したのは破産した実業家のミシェル・エローと、彼の愛人で、高級娼婦のガブリエル・ボンパールで、金欲しさゆえの犯行だったとわかりました。
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【第10週】華族令嬢、涼子さまのモデルは?
華族令嬢の「涼子さま」こと桜川涼子について今回は取り上げようと思います。
涼子は、高等文官試験(現在の司法試験)を実家の都合で断念してからはドラマに登場せず、今では寅子の回想シーンで顔が見られるだけになっていますが、今週(第10週)に「ライアン」こと久藤頼安(沢村一樹さん)という、(おそらく涼子同様)華族出身の新キャラが登場したこともあり、なんとなく、家のくびきから解放された涼子の再登場もあるのではないか……と感じています。
桜川涼子のモデルとしては、三淵嘉子さんの同期であり、同時期に女性弁護士になった久米愛さんの名前がネットでは上げられているようです。ちなみに史実の久米さんは戦時中でも、川崎の自宅で暮らしていた三淵さんのもとを、疎開していた岡山からはるばる訪ねてきてくれたり、ドラマ以上に二人の交流は密でした。
ただ筆者の目には、久米さんの面影を宿した登場人物は、小林涼子さん演じる久保田聡子などで、涼子のモデルとしては、華族という特権階級に生まれながらも、日本の社会の問題を劇的な方法で改善しようと、もがいていた岩倉靖子などの名前が思い浮かぶのです。岩倉靖子は1930年代の日本の「赤化華族事件」の中心人物で、寅子や涼子よりは少々、年長ではあるのですが……。
岩倉靖子は、明治天皇から厚く信頼された明治維新の立役者・岩倉具視のひ孫に当たる公爵令嬢でしたが、実家が経済的に没落する中、女子学習院を中途退学し、昭和5年(1930年)に日本女子大に入学しました。
しかし、そこで靖子は同じ大学にかよう上村従義男爵の長女・上村春子と親しくなります。上村春子も男爵令嬢というお嬢さまでしたが、司法官僚だった横田雄俊(ときの明治大学総長の四男)から影響をうけ、過激な社会運動に熱心でした。靖子は彼らから影響され、共産主義者として活動しはじめます。
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【第10週】沢村一樹演じるライアンの知られざる史実
戦前日本には華族制度が存在しましたが、欧米的な意味で一枚岩としてまとまった「上流社会」などは存在しなかったとよくいわれます。それはつまり、われわれが想像する以上の多様性が日本の華族社会にはあったということなのですね。
華族の男性の職業といえば、宮内省(当時)を中心とした省庁勤務か、学者、あるいは電通や日本郵船などに一部の特別な会社に勤めるか、軍人になるケースが多かったようです。
それに対し、ドラマの久藤頼安のモデルである内藤頼博(内藤子爵家出身)は戦前から裁判所に勤めていたという点で、やや型破りな存在で、実際に「殿様判事」という異名もありました。
史実の内藤も高身長で二枚目だったので、女性からはモテモテだったそうですが、お酒が飲めず、夜のお付き合いもあまりなかったので、女性問題からは守られていたとか……。
史実の内藤もアメリカ(など)の外国の司法制度にくわしく、戦後はリベラルな裁判官として、司法界の保守的な体質と戦った存在です。ただ、それがわざわいし、優秀だったにもかかわらず、最高裁判事に任命されることはないまま定年を迎えました。
裁判所を退職した内藤は教育界に転じ、1987年から93年までは第22代学習院院長を務めたことで知られます(つまり秋篠宮さまや、紀子さまが在学中の学習院のトップでもあった人物です)。歴史は本当に多様な広がりを見せるものです。
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