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【英王室スキャンダルベスト5】不倫、誘拐未遂事件は序の口? 王室タブーを揺るがした大恋愛とは

ByAdmin

6月 30, 2024 #海外, #英王室

 6月25日から27日まで国賓としてチャールズ国王とカミラ王妃から最上級の“おもてなし”を受けた天皇皇后両陛下。両国のメディアはこれら出来事を好意的に報じ、まさにお祭り騒ぎとなっている。

 ここ数年、アンドリュー王子の児童買春疑惑やヘンリー王子夫妻の王室離脱、エリザベス女王の死去などで重い空気に包まれていた王室にとって、久々の明るいニュースだったといえるだろう。そんなムードに水を差すようだが、今回は、世間を騒がせた王室の重大スキャンダルをご紹介しよう。

※2021年5月22日公開の記事を再編集しています。

目次

英国スキャンダル1:アン王女の誘拐未遂事件
英国スキャンダル2:波乱に満ちたマーガレット王女の恋愛
英国スキャンダル3:セーラ・ファーガソン、“足の指しゃぶり”
英国スキャンダル4:ヘンリー王子のさまざまな言動
英国スキャンダル5:1992年は思い返したくもない「アナス・ホリビリス(ひどい年)」

英国スキャンダル1:アン王女の誘拐未遂事件

 人気英王室ドラマ『ザ・クラウン』には描かれなかったが、エリザベス女王とフィリップ殿下の唯一の娘であるアン王女は、23歳の時、拳銃を持った男に誘拐されそうになったことがある。

 誘拐未遂事件は1974年3月20日午後8時ごろ、チャリティイベントを終えた移動中に発生。バッキンガム宮殿に戻るため、結婚したばかりの夫マーク・フィリップスとセキュリティ、女官と車で「ザ・マル」と呼ばれる通りを移動していたところ、行く手を阻むように黒のフォード車が止まった。

 ひげを生やした赤毛の男が2丁の拳銃を手に降りてきて発砲、セキュリティは男に向けて発砲しようとしたが、弾詰まりを起こし、男に撃たれた。男は続けてアン王女のお抱え運転手を撃ち、アン王女を追いかけてきた男を阻止しようとした、タブロイドジャーナリストの胸を撃った。

 男はアン王女に向かって、「金目的であなたを誘拐する」と宣言。車を降りるよう要求したが、王女は「そんなクソなことに従うわけないでしょう」と冷ややかに抵抗。警察官や通りがかった民間人が王女を助けようとしたが、男は彼らに対しても発砲。さすがの王女も「恐怖を感じた」という。

 そこに、たまたま元ボクサーだったロン・ラッセルという男性が通りがかり、男の頭を殴打。それを見たアン王女は車を降り、それに驚いた男が王女の元に駆けだすと、王女は再びす車に飛び乗り、ロックをかけた。何が起きたのかと動揺する男の顔を、ロンは再びパンチ。ふらふらしている男に、アン王女は「さあ、どうぞ」「今がチャンスよ」と言い放ったという。

 その後、男は押さえつけようとした警察官を撃ち逃走したが、すぐに逮捕。精神病を患っていたこの男は、殺人・誘拐未遂の罪で、精神科施設に送致され、終身刑を言い渡されたという。

 王女を助けようとして撃たれた者たちは全員が回復し、女王からメダルが贈られた。危険な犯人に果敢に近づき殴った元ボクサーのロンも、女王からメダルを授与され、その上、住宅ローンも女王に肩代わりしてもらったと報じられている。

 後にインタビューでアン王女は、「みなで車内で身を低くした際、ドレスが破れてしまったの。犯人にとって最もヤバい瞬間だったでしょうね」とジョークを放ち、「ヴィクトリア女王は5回くらい誘拐未遂されてる。だから自分もこういう目に遭う可能性はあると考えている」と落ち着いて発言。「肝が据わった王女だ」と感心する声が上がった。

英国スキャンダル2:マーガレット王女、王室タブーの恋愛や17歳年下の浮気

 エリザベス女王の妹マーガレット王女は、若かりし頃、美しく華やかで、社交会で頂点を極めていた。映画『ローマの休日』のモデルともいわれている彼女は、自由奔放で、マスコミから追いかけられる存在だった。

 そんな彼女が恋に落ちたのは、父親である国王のもとで働いていた、英国の英雄だった侍従武官ピーター・タウンゼント。16歳年上の妻子持ちで、若き王女と成就しない恋愛などしないだろうと、当初、彼の存在は特別問題視されていなかった。

 52年2月、父親のジョージ国王が56歳で死去。幼い頃から父親にかわいがられてきたマーガレット王女は深い悲しみに見舞われた。姉であるエリザベス女王(当時は王女)とは仲が良かったが、既婚者であり、女王に即位するため忙しくなり、なかなか話し相手にはなってくれない。

 王女はピーターに話を聞いてもらい、傷ついた心を癒やしてもらうようになった。53年、ピーターは妻と離婚。その数週間後、マーガレット王女にプロポーズした。長身でハンサムなピーターに夢中だった王女はその場でプロポーズに応じたが、大きな問題があった。ピーターの離婚歴である。

 当時、王室は、離婚歴のある人物との結婚を禁じていた。王女の叔父エドワード8世は2度の離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するために、国王を退位している。1772年の王室婚姻法(2013年に廃止)により、王女は25歳未満で結婚する際、君主であるエリザベス女王の許可を得なければならなかった。マーガレット王女は当時23歳で、女王の個人秘書をはじめとする側近たちは、マーガレット王女とピーターの結婚に猛反対。女王は「25歳になる1955年まで待つように」と王女に伝えた。

 そんな中、53年6月に開催された女王の戴冠式で、マーガレット王女とピーターの仲むつ睦まじい様子を見たメディアは、2人の恋愛を報じるようになり、全英が美男美女のロマンスに注目するようになる。

 その後ピーターはベルギーの英国大使館に左遷され、2人は2年もの間、離れ離れになるが、毎日のように手紙を交わし、愛を深めた。そして、女王の許可なしに結婚できるようになった55年、2人は再会。情熱的に見つめ合う2人を国民は応援した。

 しかし、王位継承権、王族としての収入など、それまで持っていたすべての特権が剥奪され、また英国国教会にも祝福されない結婚となることに2人は悩んだ。英国民は2人の結婚を望んだが、王室メンバー、英国国教会からの猛反対もあり、マーガレット王女は55年10月、ピーターとは結婚しない苦渋の決断を下した。

 愛する男の妻ではなく王室メンバーであり続けることを選んだ王女は、ピーターが別の女性と婚約したのと同じタイミングの5年後に写真家と結婚。一男一女をもうけたが、夫の浮気や薬物乱用、同性愛関係に悩まされ、自身も17歳年下の庭師と浮気をするようになり、タブロイドを騒がせた。

 夫とは78年に離婚し、その後も有名人らと浮名を流す“恋多き王女”として知られたが、生涯で愛した男はピーターだけだったと伝えられている。

 ピーターは95年に80歳で死去。同年脳卒中に見舞われた王女は2002年、71歳で亡くなった。

英国スキャンダル3:セーラ・ファーガソン、“足の指しゃぶり”

 ここ数年、世間を騒がせているアンドリュー王子。性的人身取引で起訴され、勾留先の刑務所で自殺したとされる米富豪ジェフリー・エプスティーンと親しく、斡旋してもらった未成年と性行為をしたと訴えられ、児童買春疑惑がかけられている王子は19年にBBC1のインタビューを受け、苦しい弁明を展開。

 直後、エリザベス女王は、王子を王室メンバーの公務から退かせると発表し、事実上のクビだと大騒ぎになった。

 そんなアンドリュー王子を「真の紳士」「人がよいストイックな人間」と擁護している女性がいる。86年から96年に離婚するまで妻だったセーラ・ファーガソンだ。

 81年にチャールズ皇太子と結婚したダイアナ妃と比較され、「美人じゃないから親しみが持てる」などといわれていたセーラだが、次第に「品がない」「浪費家」だと叩かれるようになった。海軍勤務だけでなく公務もある王子は多忙を極め、家に残されたセーラは暇を持て余して浮気をするように。王子から三くだり半を突きつけられ、92年3月に別居することが発表された。

 その5カ月後、衝撃的かつ刺激的な写真が大手タブロイド「デイリー・ミラー」に掲載された。セレブに人気の避暑地サントロペで、アメリカ人の富豪に足の指をしゃぶられているところをパパラッチされたのだ。しゃぶられているセーラはプールサイドチェアに寝そべり、まるで女王のよう。

 ほかにも男と抱き合ってキスをしたり、トップレスになったもの、まだ2歳だったユージェニー王女が、男とキスをする母親をじっと見ている写真もあり、全英は大騒ぎになった。

 掲載された日、セーラは王室メンバーたちとスコットランドのバルモラル城に滞在していたが、激怒され、城から追い出された。離婚後、セーラはヨーク公爵夫人の称号は維持したものの、「妃殿下」の敬称は失った。

 セーラとアンドリュー王子は離婚後も友人として、娘2人の親として友好的な関係を持ち続け、一緒にバカンスを楽しむこともあった。セーラは一時期拠点をアメリカに移し、ダイエット会社の広告塔になったり、美容関連商品開発に取り組んだりしていたが、ぜいたくがやめられず経済的に苦しむようになり、タブロイド相手に「アンドリュー王子との面会と引き換えに」多額の金を要求するなど、問題を起こし続けた。

 アンドリュー王子と黒い関係があったジェフリーとも、王子を通して面識があり、借金を肩代わりしてもらっており、このことについてセーラは謝罪している。

 数年前にはプチ整形したことを赤裸々に告白し、話題を振りまいたセーラ。「社会の常軌を外れたものだ」と大激怒していたフィリップ殿下の葬儀には招かれなかったが、エリザベス女王には「娘たちを立派に育てた」と評価されており、殿下を亡くして心痛の女王を慰めていると伝えられている。

英国スキャンダル4:ヘンリー王子のさまざまな言動

 タブロイド紙の格好のネタにされ、良いことも悪いことも大げさに脚色して報じられるケースが多い英王室。タブロイド紙のおかげで公務や慈善活動を知ってもらい、好感度が上がるという利点もあるが、スキャンダルが写真に撮られてしまうとたちまちバッシングを浴び、つらい状況に置かれることになる。

 ,ヘンリー王子はオプラ・ウィンフリーのインタビューで、「メディアの攻撃によりメンタルヘルスが破壊された」と告白したが、彼の場合、あまりにもやんちゃだったため仕方ないと考える人もいる。悪事が写真に撮られ「動かぬ証拠」としてタブロイドの1面を飾ることもあり、彼には逃げ道もなかった。その上、王室のメディア対応の方針は「文句は言わず、弁明せず」。王室にいた頃は反論できず、さぞかし悔しかったことだろう。

 12歳で母ダイアナ元妃を亡くした王子のことをふびんに思ったチャールズ皇太子は、それから数年にわたり、王子と過ごす時間を増やした。しかし、16歳頃からヘンリー王子ひとりで過ごす時間が増え、邸宅に友人を呼び、酒を飲んだり、タバコを吸ったり、マリファナに手を出したりと“悪い遊び”をするようになった。

 地元のパブに繰り出し、パーティーもした。嫌煙家の皇太子は匂いから王子がタバコやマリファナを吸っていることを知り、すぐにリハビリ更生施設に入所させられた。

 名門男子校イートン校に通う15歳からたばこを吸うようになった王子は、30歳を過ぎても、うまそうに喫煙する姿がパパラッチされ「だらしない」「意志が弱い」とあきれられることに。クラブで遊び回っていた04年には、パパラッチに殴りかかり、取っ組み合いのけんかをしているところも激写され、「王子の自覚を少し持ったほうがよい」と白い目で見られた。

 その王子は05年、友人のバースデーパーティーに、ナチの腕章をつけたコスプレ姿で登場。「植民地&ネイティブ」がテーマのバースデーパーティーにちなんで、ナチのコスプレをしたといい、「悪い選択だった」と本人は謝罪したが、同じくパーティーに出席していたウィリアム王子はライオンのコスプレでほのぼのと過ごしていたため、「弟はとんでもない野郎だ」と大バッシングされた。

 この時、王子はイギリス陸軍に入隊する直前で、一部の政治家からは「非常識すぎる。入隊を取り消したほうがいいんじゃないか」と批判する声が上がったが、無事入隊。しかし、アフガニスタンでの攻撃ヘリコプター副操縦士としての任務について聞かれた際、「楽しいよ。プレイステーションやXboxで遊ぶのが大好きだし」と発言し、「ゲーム感覚か!」とまた炎上。

 ラスベガスで全裸になりどんちゃん騒ぎしている写真は、あまりにもアホすぎて、バッシングよりもあきれる声のほうが多かった。とはいえ、この写真が宣伝になったラスベガスには2,300万ドル(約25億円)の利益をもたらしたと伝えられている。

 今年3月に放送されたオプラのインタビューで「王室離脱したら金銭援助してくれなくなった」と不満を漏らし、「甘すぎる!」叩かれたヘンリー王子。殿下の葬儀ではおとなしくしていたが、ほかの王室メンバーたちから冷遇されたという情報が流れており、「これからもたくさんの問題言動がありそう」だと注目されている。

英国スキャンダル5:1992年は「思い返したくもない」、英国王室の「アナス・ホリビリス(ひどい年)」

 スキャンダルの多い英王室といえど、毎年のようにスキャンダルに見舞われることはさすがにない。しかし、毎月のように悪いことが起き、エリザベス女王が頭を抱えた年があった。理想的な家族を築けば、国民の信頼を得られると思い、家族の結束力を大切にしてきた女王だが、92年、王室の家族の絆が崩れ落ちてしまったのだ。

 時系列でその1年の出来事を振り返ってみよう。

1月18日:セーラが子どもたちを連れてテキサス州の石油王と不倫している写真がフランスのタブロイド紙に掲載。

2月11日:インドのタージ・マハールを訪問していたダイアナ妃が、メディアの前でひとりきりでベンチに座り「孤独感」をアピール。かわいそうだと王室は批判を受ける。

3月19日:アンドリュー王子とセーラが離婚に向けて別居することを発表。女王が激怒して決めたものだとタブロイドは伝えた。

4月23日:アン王女が73年に結婚した最初の配偶者マーク・フィリップス大佐と離婚。89年ごろから、「マークが浮気をしている」と不仲が伝えられるようになったが、王女は「離婚はしない」と主張し続けてきた。しかし、この日、アン王女は女王の子どもの中で初めて離婚した。

6月7日:暴露本『ダイアナ妃の真実』が発売。「ウィリアム王子を妊娠中、階段から身を投げ自殺未遂をした」「自傷」「過食症」だったダイアナが「助けを求めたが王室は無視した」「チャールズ皇太子は結婚後もカミラとの関係を続けていた」などショッキングな内容で、世間に大きな衝撃を与えた。王族メンバーが、自分が抱える問題をジャーナリストに明かすことはこれまでなく、この暴露本により女王は「加害者」という目で見られるようになり、支持率は急激に下がった。

8月20日:セーラが不倫相手に足の指をしゃぶられているパパラッチ写真が、タブロイドの1面に掲載される。3月に離婚することを発表していたが、その後、アンドリュー王子とセーラは娘たちと一緒に過ごすことが多く、復縁するのではないかと期待されていたタイミングだった。王室のイメージは修復できないほど傷つけられた。

8月24日:ダイアナと浮気相手ジェームズ・ギルビーとの盗聴された電話音声が流出。いわゆるスクウィジー・ゲートだが、ダイアナが「王室の暮らしが孤独でひどい」と嘆く内容は暴露本以上の衝撃を世間に与えた。

11月11日:チャールズ皇太子とカミラの盗聴された電話音声が流出。いわゆるタンパックス・ゲートで、王室のイメージは大幅にダウン。チャールズ皇太子は国王になるべきではない、ふさしくないという声が高まり、英国民の間から「王室は必要ないのではないか」という声も聞こえるようになってきた。

11月20日:女王の居城のひとつであるウィンザー城が火事に遭う。スタッフは大急ぎで貴重な工芸品を運び出したが、多くが焼失した。女王は大きな精神的ダメージを受け、一瞬、同情が集まったが、税金で修復するつもりではないかと再び国民の批判を浴びた。

11月24日:自身の戴冠40周年を祝う式典でエリザベス女王は、「92年は思い返したくもない、率直に言って喜べない年になりました。同情してくれた側近が“アナス・ホリビリス(ひどい年)”と表現したが、その通りです」と発言。女王が初めて本音を明かしたスピーチだとして大々的に報じられた。

 

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