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戒厳令の恐ろしさとは? 光州事件を描いた韓国映画『タクシー運転手』が大ヒットしたワケ

近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。このコラムでは映画研究者の崔盛旭(チェ・ソンウク)氏が、韓国映画を通じて韓国近現代史を解説し、社会として抱える問題、日本へのまなざしをひもとく。

目次

韓国の尹(ユン)大統領、戒厳令から6時間で撤回
韓国で「まだ終わっていない」事件として関心を集める光州事件

映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』大ヒットを記録
映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』あらすじ
ヒットの要因:韓国国民の共感を呼んだ、「外側」からの視点
歴史的な経緯①:光州事件と戒厳令とは? 軍のクーデターと実権掌握
歴史的な経緯②:市民のほとんどが射殺され、犠牲者数も不明――行方不明者の捜索は今も
歴史的な経緯③:光州だけでデモが激化した背景に“差別感情”
映画『タクシー運転手 ~約束は海を越えて』にまつわる後日談

※2020年5月15日公開の記事を再編集しています。

韓国の尹(ユン)大統領、戒厳令から6時間で撤回

 2024年12月3日、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領は厳戒令を発令。韓国は大きな騒ぎとなり、日本でも速報ニュースが常時報じられる事態となった。

 それから約6時間後、戒厳令は撤回に。大統領の判断を不可解とする声が強い中、韓国国民に恐怖与えたのが「厳戒令」というワードだ。それと同時に関心を集めているのが1980年に起こった「光州事件」だが、それら2つの関連とは? 

 今回の事件を理解する助けになるであろう、韓国映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』の解説記事を再掲する。(編集部)

韓国で「まだ終わっていない」事件として関心を集める光州事件

 韓国では今年、1980年5月に起こった光州事件からちょうど40年という節目の年を迎えている。本来ならば記念式典や関連イベントが開催されるはずだったのだが、コロナ禍で中止が相次ぐ中、4月末に大きな注目を集める裁判が開かれた。被告は全斗煥(チョン・ドファン)元大統領、光州事件の「主犯」ともいえる人物である。

 チョン氏は2017年に出版した『全斗煥回顧録』の中で、相変わらず「光州事件はアカ(共産主義者)によって煽られて起きた反乱」「ヘリからの銃撃は真っ赤なウソ」といった記述を繰り返し、事件の犠牲者に対する名誉毀損だとして市民団体から提訴されたのだ。

 裁判でも予想通り、容疑を否定し主張を貫くその姿には、自らが指揮した虐殺への反省も、犠牲者や遺族への謝罪も毛頭見られなかった。そこには、不当な裁判だと逆ギレしている元権力者の醜悪な本性しかなかった。

 ではその「光州事件」とは一体なんだったのか? なぜ40年という月日がたった今でも、韓国国民にとって「まだ終わっていない」事件として関心を集め続けているのか? このコラムでは5月に配信する2回(韓国映画『1987』、大学生の「死」が生んだ市民100万人の“権力”への怒り)にわたって光州事件を取り上げる。

 1回目は、ドイツ人記者と彼を乗せたタクシー運転手の目線から事件を描いた『タクシー運転手~約束は海を越えて』(チャン・フン監督、2017)を通して、歴史的な視点から事件の概要を振り返りたい。

映画『タクシー運転手~約束は海を越えて』大ヒットを記録

 韓国では17年5月、朴槿恵(パク・クネ)大統領の弾劾・罷免に伴い、文在寅(ムン・ジェイン)が大統領に就任し、10年ぶりに進歩派政権が誕生した。

 進歩派政権はこれまでも光州事件の真相究明に力を入れてきたこともあり、前政権下では公開が厳しかったであろう、光州事件を題材にした映画が文政権下に公開されたこと自体は不思議ではない。

 驚くべきは、本作が観客動員1,200万人以上という大ヒットを記録したことだった。光州事件を扱った映画は、数は少ないもののこれまでにもあったが、完成度は別としてどうしても重苦しさが先に立ってしまい、ヒットはしにくいと考えられていたからだ。

 では本作の大ヒットの要因はなんだったのだろうか? 私見では、本作が「外側からの目線」で光州事件を描いたからではないかと思う。まずは物語から紹介しよう。

『タクシー運転手~約束は海を越えて』あらすじ

 1980年のソウル。タクシー運転手のマンソプ(ソン・ガンホ)は、あちこちで繰り広げられる学生デモに悪態をつきながら車を走らせていた。ひょんなことからドイツ人記者ピーター(トーマス・クレッチマン)を光州まで乗せる仕事について聞きつけたマンソプは、大金に目がくらみ喜び勇んで向かうものの、光州への道路はなぜか軍人によって遮断されていた。

 検問を逃れ、なんとか光州にたどり着くも、そこにはデモ隊と軍隊が衝突する異様な光景が展開されていた。危ないから引き返そうとするマンソプだが、ピーターはカメラを向けて街を撮影し始める。ピーターと対立しつつも、大学生ジェシク(リュ・ジュンヨル)や光州のタクシー運転手(ユ・ヘジン)と知り合う中で、次第に事の重大さに気づいていくマンソプ。一人家で待つ娘を心配し、一度はソウルへ戻ろうとするマンソプだったが、光州での実態が捏造されて報道されている事実を知り、再び光州へと車を向かわせる。

『タクシー運転手』国民の共感を呼んだ、「外側」からの視点

 物語からもわかるように、マンソプは知識も教養もない一般「庶民」と呼べるような存在であり、当初学生デモにもまったく理解を示していなかった。そんな彼がソウルという「外側」から光州に入り、少しずつ真相に近づきながら権力者の横暴に目を覚ましていく、という作り方そのものが、私を含め多くの韓国人の共感を呼んだのではないだろうか。

 というのも、当時ほとんどの国民は軍事政権の捏造通り、光州事件をアカによる反乱だと信じ切っていたのだ。そして時が流れ、軍事政権が幕を下ろし、徐々に事件の全貌が明らかになるにつれて、外側の人々は軍事政権への怒りと同時に、事件から目をそらしてきた己の愚かさを恥じ、事件の犠牲者に対する罪悪感にさいなまれるようになっていった。

 いまさら光州事件を自分が語るのは図々しい……そんな複雑な思いを多くの人が抱いていたところに、マンソプが登場したのだ。自分と同じ目線を持つマンソプに感情移入し、事件を目の当たりにして次第に変わっていく彼に自分を重ね合わせる――本作の大ヒットの背景には、多くの韓国人(観客)に共有されていた、歴史をめぐる国民的心情があったと考えられる。

光州事件と戒厳令とは? 軍のクーデターと実権掌握

 ではここからは、光州事件についての歴史的な経緯を紹介していこう。

 光州事件は1980年5月18~27日にかけて、韓国南部の都市・光州で起こった反軍事独裁・民主化闘争運動である。その端緒は、79年10月26日の朴正煕(パク・チョンヒ)大統領の暗殺事件にまで遡る。朴の暗殺をきっかけに全斗煥による軍事クーデターが起こり、それに対する抵抗として光州事件は始まったのだ。

 暗殺から2カ月後の12月12日、全と盧泰愚(ノ・テウ、後に全に続いて大統領になる)らが率いる軍の組織がクーデターを起こして実権を掌握する。18年間にも及んだ朴の独裁政権が終わり、いよいよ韓国にも民主化の春が来ると思われた矢先だったため、社会全体からの反発は大きく、とりわけ大学の春休みが明けた80年4月以降は、大学生や労働者たちのデモが全国に拡大していった。

 全の率いる新軍部は、5月17日に集会の禁止や報道の事前検閲、大学の休校など戒厳令の拡大措置を発令、翌18日にはほかの大学と同じように、光州の全南(チョンナム)大学でも学生と戒厳軍が対峙したのだが、光州では戒厳軍が突然棒で手当たり次第に殴り始め、学生は次々と連行された。

 市民らが軍の過剰な暴力に驚き止めに入ると、軍は一般市民に対しても暴力を振るい、こうして市民を巻き込んだ光州事件が始まったのだ。

 19日、市民によるデモが大きくなるにつれ、戒厳軍も兵力を増やし、ついに市民に向けて発砲を開始した。この発砲を命じたのが誰かという問題は、現在でも大きな争点となっている。

 韓国の憲法に「国軍は、国家の安全保障および国土防衛の神聖なる義務を遂行することを使命とし」(第5条)とあるように、国民を守るはずの軍が主権者である国民に向かって発砲することは、いわば「反逆罪」にあたる。それだけの判断を最前線のいち軍人や作戦本部が行うはずもなく、軍のトップだった全が命令を下したことは間違いないものの、全自身が否定し続けているのが現実だ。

 20日には軍の銃撃に対抗して市民も武装を始め、組織化して軍の撤退や民主化を要求する声明を発表する。しかし軍による統制で孤立状態に陥っていた光州の声が外部に届くことはなかった。

市民のほとんどが射殺され、犠牲者数も不明――行方不明者の捜索は今も

 映画ではピーターが20日に光州に入り、命がけで撮影したフィルムを持って21日に脱出するが、光州ではその後も全羅南道庁を拠点に、市民軍が戒厳軍に対して応戦し続けた。

 膠着状態を打開しようとした戒厳軍は、大勢の兵力に加えて戦車をも光州に送り込み、ついに27日、道庁で最後まで抵抗した市民軍はほとんどが射殺されて、光州事件は「北朝鮮に煽られたアカによる反乱」として終結した。

 この日に道庁ではどれだけの市民軍が殺害されたかも正確にはなっていないし、光州事件全体を通じての犠牲者数も不明のままだ。ピーター(実際はユルゲン・ヒンツペーター)が持ち出したフィルムによって事件の映像が報道され、韓国は国際社会から批判されるものの、言論統制によって当時国民が真実に触れることはなかった。

 韓国ではその後も長きにわたって、徹底して事件の真相を捏造する新軍部に対し、真相を究明しようとする闘いが続いた。そしてついに軍事政権の終焉とともに発足した金泳三(キム・ヨンサム)政権下の95年、光州事件を検証するための「5・18特別法」が成立した。

 光州事件は「5・18民主化運動」と正式に名付けられ、「アカによる反乱」などではなく「戒厳軍の鎮圧に対して、民主主義のために光州の学生・市民らが命をかけて立ち向かった歴史的事件」と定義されて、5月18日は光州民主化運動の国家指定記念日となった。

 全斗煥と盧泰愚は虐殺の罪を問われてそれぞれ死刑・懲役刑を言い渡され(後に特別赦免)、軍による虐殺を司法が認めたことで、光州の犠牲は無駄ではなかったことが証明された。2011年には、事件の関連史料がユネスコの世界記憶遺産に登録され、犠牲者・遺族への補償や行方不明者の捜索は今もなお続けられている。

光州だけでデモが激化した背景にある“差別感情”

 以上が事件の全体像だが、そもそも当時各地でデモが起こっていたにもかかわらず、なぜ光州だけがこのような事態に陥ったのだろうか。その背景には、朴正煕政権時代に作られた根強い「地域差別」が存在している。

 1963年以来続いていた軍事独裁政権だったが、70年代前半、彼には手ごわい政敵がいた。金大中(キム・デジュン)である。軍事独裁打倒の先頭に立ち、国民からの熱い支持を受けていた金に対抗するため、朴は金をアカに仕立て上げ、金の出身地であった全羅道(光州を含む地方)の連中もアカだという間違った認識を広めていった。

 「全羅道出身者とは付き合うな」という差別意識は国全体に浸透し、テレビドラマに登場する汚れ役は、多くが全羅道の方言をしゃべっていたものだ。全もまたこの地域差別を利用し、アカたちの反乱を制圧した自分こそが大統領にふさわしいのだと見せつけようとした。

 光州事件は、政府による統制だけではなく、光州なら起こってもおかしくないという、外側の人々の「やっぱりね!」という誤った認識・偏見が、光州をスケープゴートに仕立ててしまったといえる。

映画『タクシー運転手 ~約束は海を越えて』にまつわる後日談

 最後に、映画にまつわる後日談を紹介して終わりにしよう。

 ピーターのモデルとなったドイツ人記者ヒンツペーター氏は光州事件を世界に知らしめたことを評価され、2003年に韓国の権威ある言論賞を受賞、その時のスピーチでタクシー運転手キム・サボク氏に言及したことが映画製作のきっかけになったことはよく知られている。

 本作はほとんどが実話に基づいているが、ピーターに偽名を告げ、彼の受賞を街角でそっと見守るマンソプというラストは、作り手の温かな想像力によるものであり、映画の最後では再会がかなわないままヒンツペーター氏が他界した事実が語られていた。

 ところが、映画の公開後にキム・サボク氏の息子と名乗る人物が現れたことによって、サボク氏の消息が明らかになったのだ。息子によると、実際のサボク氏はマンソプのような庶民派運転手ではなく、外国人相手の観光ガイドを専門にしていた「ホテルタクシー」の経営者であり、早くから政治活動に参加、光州にも強い使命感を持って向かった人であることがわかった。

 そして、光州事件から4年後の84年、すでにがんで亡くなっていたことも。ヒンツペーター氏が必死でサボク氏を探していた時、彼はもうこの世に存在していなかったのだ。

 この報道を聞いて、私は少しばかりがっかりしてしまった。マンソプのようなキャラクターを期待していたのに、実はそんな「エラい」人だったのかと。だがそれと同時に、映画の力を実感したのも事実である。

 タクシー運転手の正体がわからなかったことで、ソン・ガンホ演じるマンソプが誕生し、彼だったからこそ多くの観客が映画に惹きつけられたのだから。本作が韓国国内に限らず、日本をはじめ外国でもヒットした要因もそこにあるに違いない。本作はこれからも末長く愛されてしかるべき映画だと思う。

『タクシー運転手 約束は海を越えて』
発売元:クロックワークス 販売元:TCエンタテインメント
提供:クロックワークス/博報堂DYミュージック&ピクチャーズ
Blu-ray  5,184円(税込) / DVD 4,104円(税込)

本コラムをまとめた単行本『韓国映画から見る、激動の韓国近現代史』発売中

 韓国映画44本から激動の歴史を読み解く。

<収録タイトル>

・『パラサイト 半地下の家族』
・『タクシー運転手~約束は海を越えて~』
・『KCIA 南山の部長たち』
・『1987、ある闘いの真実』
・『ベイビー・ブローカー』
・『ミナリ』
・『はちどり』
・『息もできない』
・『キングメーカー 大統領を作った男』
・『高地戦』
・『金子文子と朴烈』
・『グエムル-漢江の怪物-』
・『焼肉ドラゴン』
・『私の少女』
ほか

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