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「不倫報道がノイズになる?」――永野芽郁主演『かくかくしかじか』見たら、この心配が勝手な思い込みだったと反省した話

ByAdmin

5月 26, 2025 #映画, #芸能

サイゾーオンラインより】

 東村アキコによる自伝的漫画を原作とした映画『かくかくしかじか』は、公開3日間の興行収入は1.69億円で週末観客動員数は4位と悪くないスタートで、2週目でも5位につけた。作品評価も「映画.com」では3.8点、「Filmarks」では3.7点とそれなり(5月下旬現在)。公開直前の永野芽郁の不倫報道のために逆風が吹き、それを理由に(おそらくは映画本編も見ずに)レビューサイトで最低点をつけてしまう人もいる中では、上々の出足だ。

 筆者が平日の朝に劇場へ足を運ぶと7割ほど席が埋まっており、ご年配の方も多く、幅広い層に訴求できていた印象だ。クライマックスでは場内ですすり泣きが聞こえ、上映後には20代ごろの若い女性2人が涙を浮かべながら楽しく作品を語る光景も見られた。不倫報道とは関係なく、作品を楽しめる方は間違いなくいるようだ。

目次

ドラマ『キャスター』にも通ずる現実の永野芽郁との「リンク」
「体罰教師」への嫌悪感を和らげる大泉洋の佇まい
『かくかくしかじか』は普遍的に響く人生訓だった

ドラマ『キャスター』にも通ずる現実の永野芽郁との「リンク」

 個人的に、今回の映画『かくかくしかじか』は、永野の不倫報道が「ノイズ」になってしまうのではないか、劇中のキャラクターや物語を信じられなくなるのではないかと心配していたのだが、実際に見ていればそれはおおむね解消され、勝手な思い込みだったと反省した。それは、事前に原作漫画を読んでいた人には、ある程度は予想できることだったろう。

 その理由は、劇中の林明子という主人公が、後述するように「私は最低の教え子です」などと「後悔を抱えている」上に、さらには「恋愛」で「バカ」にもなったりもするキャラクターだからだ。これもまた勝手な想像ではあるが、「今の現実の永野芽郁も同じような『自己嫌悪』を抱えているのではないか」などと、キャラクターを信じられる要素として、もはや「プラス」にすら考えられるようになったのだ。

 余談だが、永野が出演中のTBSドラマ『キャスター』第6話でも、永野演じる華が「ウソはマズいわ。一気にイメージダウンしちゃう」と言われたり、華自身が「記事のほうが間違ってるんです!」と言い放つなど、現実の永野への「ブーメラン」といえるセリフが話題になっていた。

 これをノイズに感じてしまう方ももちろんいるだろうが、それも含めて作品を楽しんでいる人も少なくはないはず。それと同様に、この『かくかくしかじか』でも、現実の永野のことを部分的にキャラクターに「リンク」させつつ、かつ色眼鏡で見すぎることなく、楽しく見られる人は確実にいると思うのだ。

 ちなみに、その『キャスター』は平均世帯視聴率が6話連続で10%以上(数字は関東地区、ビデオリサーチ調べ)をキープし続けており、不倫報道の影響で大きく数字を落としているわけではないようだ。今回の『かくかくしかじか』が好スタートを切れたのも、「出演者の不倫報道があったからといって作品を見ない」選択肢を取る人が決して多くはないことの証明なのかもしれない。

「体罰教師」への嫌悪感を和らげる大泉洋の佇まい

 この『かくかくしかじか』の物語は、お調子者でぐうたらだけど漫画家になる夢を持つ女子高生の林明子が、美大受験に備えて地元の絵画教室に通い、竹刀を片手に持つ日高先生と出会う……というもの。その日高先生役に大泉洋というキャスティングが「大正解」としか言いようがない。

 何しろ、この日高先生は「スパルタ教師」で、今で言う「パワハラ」「モラハラ」は当たり前。もちろん劇中でもその教え方が良いとされているわけではなく、むしろ「体罰教師」「最低」などと強く批判されている。もしも、この日高先生に「強面」の俳優がキャスティングされてしまったら、過度に怖く感じてしまうか、必要以上に嫌悪感を持ってしまう可能性もあっただろう。

 だが、大泉は何しろコミカルなパブリックイメージがあり、これまでのまったく「正しくない」役柄でも、チャーミングで憎めない印象を放ち続けていた俳優だ。今回の大泉のちょっとした時に見せる優しさや、はたまた寂しそうな印象からは、「めちゃくちゃな先生だけど好きになってしまう」日高先生役に大きな説得力を与えていた。

 漫画雑誌『ココハナ』(集英社)6月号のレポート漫画によると、大泉へのオファーは原作者の東村アキコたっての希望であり、プロデューサーが2年先までスケジュールがいっぱいで3回も4回も断られても頼み込み、果ては東村自らが「大泉さんが先生に扮した絵」の色紙を描いて渡すという「奥の手」までも使って、ようやくキャスティングされたのだとか。

 しかも、撮影の時に当時に絵画教室に来ていた生徒たちは大泉を見て「ほんとに先生がいるみたいじゃ…」となどと言って泣き、それにつられて大泉洋も「そんなに…似てるの…?」と涙ぐんだそうだ。日高先生を知らない観客としても、映画本編での日高先生を見れば、これほどキャスティングまでの努力が報われる例はなかなかないと思えたのだ。

 さらに余談だが、原作で日高先生が乗っていたのはスクータータイプの原付だったのが、映画では「スーパーカブ」になっており、北海道のローカルバラエティー番組『水曜どうでしょう』(北海道テレビ)での大泉そのものに見えて笑ってしまった。これは現実との「リンク」をあえて狙いにいったものだろう。

『かくかくしかじか』は普遍的に響く人生訓だった

 今回の林明子という主人公は、幼少期に絵の天才だと「自惚れて」いたり、せっかく美術大学に進学しても絵が描けなくなって「遊びほうけて」いたり、さらには大学で出会った青年との「恋愛に耽溺」したりと、劇中で永野のモノローグで「バカ」「ウソつき」などと自虐的に語られることも納得の、こちらもまったく「正しくない」主人公だ。だが、その自虐的で正しくないことも含めて、彼女のことを好きになれる、共感する方もきっと多いだろう。

 なぜなら、この『かくかくしかじか』は、普遍的な「どうしてあの時にああできなかったんだろう」という後悔に、真正面から向き合った物語だからだ。日高先生は表面的にはめちゃくちゃな教え方をする最低な教師だが、それでも教え子の明子と「二人展がしたい」といった希望をはっきりと口にするし、ほかの場面でも素直でまっすぐな人間でもあることがわかる。一方で、明子は漫画家になるという夢を日高先生に言えないことはまだしも、さまざまな場面で日高先生の気持ちを「ないがしろ」にしてしまい、ついには「最低の教え子」だと自覚するようになる。

 彼女のような過ちは、誰もが若い頃にしたことがあるものだろうし、他人事と思えない人も多いはず。それが不倫報道で後悔している永野と一致している……というのは意地悪な見方だろうが、やはりそれも含めてこの映画を楽しめる要素にはなっていると思うのだ。

 その「後悔」を描くための原作漫画からのエピソードの取捨選択は的確だと思えたし、東村が当時の原稿を再現するといった美術のこだわりも報われる「映像作品」としての説得力も存分だ。映画オリジナルとなる「日高先生と海辺で語り合う」場面も、「恩師への感謝」という普遍的な願いを(それ以外のさまざまな気持ちも)示すシーンとして重要だった。

 何より、普段はちゃらんぽらんな言動をしているようで、「ここぞ」という時に後悔の念や、それ以外の複雑な感情を見せる永野の演技力に、改めて感嘆するところもあった。

 不倫報道は改めて残念ではあるが、今では全出演CMが取り下げられ、ラジオや来年の大河ドラマ『豊臣兄弟!』まで辞退したこともあってか、永野へのSNSのバッシングムードはやや収束した、あるいは「同情」にかなり近づいた印象がある。いつかまた、今回の問題の大きな反省を踏まえた上での、永野の新たな活躍にも期待したいと思えたのだ。

 ともかく、「漫画の実写映画化としての正解」かつ「普遍的な人生訓として響く」作品として、『かくかくしかじか』はおすすめできる良作だ。「お涙ちょうだい」なウェットさは控えめで、全体的にはクスクス笑えるコメディーシーンも多めなので、老若男女を問わず幅広い層が楽しめるだろう。永野の不倫報道でむしろ興味を持ったという人も、かつそのために楽しめないのではと心配している人も、ぜひ劇場に足を運ぶことをおすすめしたい。

(文=ヒナタカ)

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