こんにちは、保安員の澄江です。
先日、JR東日本が顔認証カメラに刑務所から出た出所者と仮釈放者の一部を情報登録して、駅構内などで検知する防犯対策を講じていることが明らかになりました。必要に応じて職務質問や所持品検査を行うとしており、刑期を終えて出所したにもかかわらず、出所者の行動を監視、制限をするような状況に批判の声が出ています。報道によると、検知の対象は、過去にJR東日本の駅構内などで重大事件を起こして服役した者や指名手配中の容疑者のほか、駅構内を徘徊するなどの行動不審者とのこと。主要な駅や変電所に設置される8,350台(稼働台数は非公表)に及ぶネットワーク化されたカメラで情報照合され、データが一致すれば警備員などが目視で確認した後、警察に通報し、必要に応じて手荷物検査をする流れになっています。
JRの駅構内で重大犯罪を起こした出所者については、加害者の処遇や出所を被害者に知らせる「被害者等通知制度」により情報提供を受けており、事件当時の報道に基づいて氏名と罪名を含めた形で報道された顔写真データを登録。痴漢や窃盗などの加害者は対象外で、登録者はいないとされていますが、運用の実態はセキュリティー上の理由で秘匿されているのでわかりません。
東京五輪中のテロ対策を理由に顔認証システムの導入を発表したJR東日本は、その設置をHPなどで公表しています。しかし、商店やアミューズメント施設などにおいては、設置していること自体を秘匿しながら運用しているところも珍しくなく、その運用実態に疑問を感じることも少なくありません。一度顔認証機器に登録されてしまえば、たとえ声をかけられなくても、いつでも対応できる措置をとられることに違いなく、行くたびに居心地の悪い思いをすることにもなるでしょう。しかしながら、少し変わった動きをしたというだけで警戒登録している商店もあり、人のことは言えない立場にございますが、その偏見ぶりに驚かされることも珍しくありません。データ共有も簡易で、その扱いを間違えれば人権が侵害される事態を招きかねず、我が国においても法整備が必要な時期が到来しているのではないでしょうか。
今回は、顔認証システムを利用した店内防犯の実態について、お話ししたいと思います。
当日の現場は、ショッピングセンターR。関東近県にある比較的大きな駅の前に位置する8階建ての商業施設です。老朽化したビルの立て替えに合わせて、最先端の防犯機器を導入しており、この日は顔認証機器の端末を持たされました。どことなく宮迫博之さんに似ている50代後半と思しき警備隊長によれば、最新機器が導入されたらしく、その精度は高いと解説されます。
「リニューアルオープンしてから日が浅くて、まだ数人しか登録されていないけど持っておいてもらえますか」
「どんな方を登録されているのですか」
「基本は、出禁(出入禁止のこと)にした人たちですね。今のところは、休憩スペースに居座っていたホームレスの人と、店内で大声を出して暴れた酔っ払いくらいかな。おかる(万引き犯のこと)も出禁にするから、もれなく登録しますよ」
以前であれば、出入禁止にされた被疑者の写真は事務所などに貼り出すほか、ファイリングするなどして対応していました。たとえ、そうした人が入店してきても、声をかけることは稀で、見て見ぬふりをしながら遠巻きに見守ってきたものです。ところが昨今は、さまざまな理由を以って迷惑客を遠ざけようとする風潮が垣間見え、徐々に暗黙の了解が通用しない状況が構築されていると感じます。
「出禁の人が入ってきたら、どうしましょう?」
「酔っ払いとホームレスは、制服組がやるから大丈夫。おかるが来たら、おねがいしますね」
聞けば、不審者の入店と共に対象人物の映像と検知位置、それに登録日時や種別までもが瞬時に表示されるそうで、今まで持たされてきたモノより役に立ちそうな気がしてきました。この日の勤務は、午前10時から午後6時まで。ポシェットに顔認証端末を忍ばせ、各階の巡回を始めます。
昼下がりの午後、閑散とする店内で巡回を続けていると、登録者の入店を知らせる発報がありました。メールを読む体で内容を確認すると、さまざまな情報と併せて、全身からだらしのない感じが滲みでている80歳くらいにみえる女性の全身写真が画面いっぱいに表示されています。画面表示された情報によれば、2週間ほど前に万引きをして捕まり登録された人のようで、行動確認するほかありません。不自然にならない程度の早足で店内を歩き回り、地下の食品売場で対象女性の姿を見つけて追尾を開始すると、まもなくしてウインドブレーカーを羽織った警備隊長がそばにやってきました。同じ端末を持たれているため、私自身の行動も監視されているのと変わらず、いつにも増して気の抜けない気持ちにさせられます。
「あのばあさん、改装前から何度も捕まっているんだけど、認知症の診断が出ている人で、警察に扱ってもらえないの。出て行ってもらうのはかわいそうだから、もしやったら、その場で声をかけましょう」
「わかりました。暴れたりしないですよね?」
「わからないけど、大丈夫じゃない?」
犯意を成立させることを重要視する私たちは、たとえバッグに商品を隠匿されたとしても、店内で声をかけることはありません。万引きの既遂時期についてはさまざまな法解釈がなされていますが、後のトラブルを防ぐためには、言い訳のできない状況まで犯行を見守り犯罪を成立させるのが一番なのです。しかしながら、警察から犯行を防止するよう指示がある場合は、その限りではありません。認知症の常習者を短期間にたびたび捕まえた時には、顔もわかっていることだし警察を呼んでも罪に問えない人であるから、みんなの手を煩わせることなく防止してくれと懇願されたこともありました。
二手に分かれて追尾をすると、鮮魚売場で足を止めた女性は、そこで手にしたサケの切り身と真鯛の刺身を、カゴの中にある自分のバッグに躊躇なく入れてしまいます。堂々と商品を隠匿する姿は、慣れた手口を用いているようにも見えますが、万引き犯特有の挙動をひとつも示すことなく隠匿したところをみれば、認知症の方だという話に合点がいきました。女性の向こう側で、隠匿行為を確認した警備隊長と歩調を合わせ、挟み撃ちする形で声をかけます。
「いとうさん(仮名)、こんにちは」
「へ?」
「ちょっと、こっち来てもらっていいですか」
「あんたたち、なんだよお」
ちょっとお話があると宥めながら、すぐそばにある調理場に通じるドアに女性を押し込み、関係者専用の通路を通って防災センターの応接室まで連れていきます。その道中、カゴにあるバッグの中を上から覗きみると、先程隠した商品の下に大きなトマトがあるのも確認できました。
「ねえ、いとうさん。私のこと、覚えていますか? ついこないだ、もう入ってきたらダメって、お約束した者だけど」
「いやあ、ちょっとわからないねえ。なんで入ってきちゃダメなのよ?」
「お金払わないで、持っていっちゃうからでしょ! そのバッグの中に入れたらダメだって、前にも約束したじゃない。それ、一回全部出してよ」
バッグに入れた商品を出すのを手伝い、トレーニングレシートで合計額を出してもらうと、有機栽培トマトを含めた計3点の合計は1,600円ほどになりました。現認のとれていないトマトは除外するよう進言すると、防犯カメラの映像で立証できたというので、それもあわせて請求します。
バッグから出てきた年季の入ったワインレッドのガマグチの中には、折りたたまれた千円札以外の現金は見当たらず、そのほかには後期高齢者医療被保険証とどこかの電話番号が書かれた単語カードの切れ端が入っていました。保険証によれば、この店から少し離れた町のマンションに住むらしい女性は82歳。前回は、単語カードに記載された電話番号に連絡をして、息子さんに迎えにこさせたとのこと。早速に、受話器を上げた警備隊長が電話をかけ始めると、突然に老女が叫びました。
「お父さん、助けて! 私は、ここです! 早くー!」
およそ1時間後。お迎えに来られた60代と思しき調理服姿の息子さんによれば、長年夫婦で中華料理屋を営んできた女性は、旦那さんに先立たれてから様子が変わってしまったそうで、いまや意思の疎通が図れないに近い状態にあるということでした。買い物には付き添うようにしているものの、後継した中華料理店が忙しい時間には、どうしても目が離れてしまうそうで、たびたび迷惑をかけて申し訳ないと話しています。
「ご事情はわかりましたが、こちらのルールもあるものですから、今後も入店されないようお願いいたします」
淡々と話す警備隊長の冷淡な発言に、一言言ってやりたい気持ちにもなりましたが、自分の立場を考えれば意見を申し上げる立場にありません。
(文=澄江、監修=伊東ゆう)