近年、K-POPや映画・ドラマを通じて韓国カルチャーの認知度は高まっている。しかし、作品の根底にある国民性・価値観の理解にまでは至っていないのではないだろうか。このコラムでは韓国映画を通じて韓国近現代史を振り返り、社会として抱える問題、日本へのまなざし、価値観の変化を学んでみたい。
『記憶の戦争』
韓国ではかつて、高校・大学のカリキュラムに「教練」と呼ばれる軍事訓練の授業が存在した。授業では、男子生徒は銃剣術や行軍のような基本的な戦闘訓練、女子生徒は負傷者治療を想定した包帯法や担架搬送といった看護訓練を受けた。男子はさらに大学に入ると、軍隊で1週間の兵営生活体験も義務付けられていた。
こうした教育は、北朝鮮の侵攻に備え、必要になれば高校生までをも戦争に動員するために朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権が1969年から始めたものだ。反共の方針のもと国全体を「軍隊化」し、命令と服従で動く軍隊のような統制社会を作ろうとした、いかにも独裁者らしい教育政策といえる。この教練は、87年の民主化闘争を経て大学生たちの猛反発を受け、88年を最後に大学ではなくなった。私はまさにその最後の年に大学に入り、運悪く1週間の兵営生活を送る羽目になった。高校では、軍事訓練から次第に防災・衛生教育に移行したものの、2011年には完全に廃止され、教練は学校からその姿を消した。
だが私にとって、ほふく前進や兵営生活以上に記憶に残っているのは、高校時代の1人の教員である。当時、教練担当の教員の多くは退役軍人であり、彼もその一人だった。そして唯一彼だけは「オレはベトナム戦争の『参戦勇士』だ」と授業でいつも自慢げに「武勇伝」を繰り返していた。そして、韓国軍は「敵兵を1人殺すたびに米軍からドルをもらった」のだが、何人殺したかを証明するために「相手の性器を切り取り、袋に集めて米軍に見せた」という衝撃的な内容を、高校生相手に事もなげに語ったのだった。人間の命をただのドル稼ぎの手段としてしか考えない人間、さらに何のためらいもなく死者の体を棄損する人間が、教員として自分の前に立っていることが、ただ恐ろしかった。これが、私が初めて知った生々しいベトナム戦争である。
思い返せば、当時学校で習ったベトナム戦争は、「ベトナムを共産化から救うための正義の戦争」「韓国の経済発展に大きく貢献した戦争」という類いの、参戦を正当化するものがほとんどだった。例えば、勲章をつけたベトナムからの帰還兵を村中が歓迎し宴会を開くという内容の歌謡曲「월남에서 돌아온 김상사(ベトナムから帰ってきたキム上士)」は、「正当な参戦」という認識が、韓国では広く一般的であることを端的に物語っているといえるだろう。
69年に発表され大ヒットしたこの曲は、最近もガールズバンドによってカバーされるなど、韓国国民に深く浸透している。もちろん、そこにもはやベトナム戦争の正当化という政治的な含意はないのだが、アメリカに加担する政府を批判しながらもあくまで第三者という立場にあった日本人に比べて、韓国人にとってベトナム戦争は当事者としての関わりを免れない、極めて身近な歴史だったのだ。くだんの教員が「参戦勇士」であることを堂々と自慢できたのには、こうした背景があるからだろう。
だが今では、韓国の参戦は、クーデターで政権を掌握した朴正煕がアメリカのご機嫌取りのために自ら手を挙げたものであり、「正義の戦争」うんぬんなどではなく「ドル稼ぎ」が真の目的だったということが明らかになっている(以前のコラム『国際市場で逢いましょう』を参照)。とりわけ、89年に出版された安正孝(アン・ジョンヒョ)の長編小説『ホワイト・バッジ』(日本での翻訳出版は93年)は、ベトナム戦争に参戦した理由や韓国軍の実情を告発し、米・韓で大きな反響を巻き起こした。作家自身の参戦経験を基にしたこの小説は、92年にはチョン・ジヨン監督によって映画化もされ、ベトナム戦争をめぐる真相を韓国社会に知らせるきっかけとなった。
にもかかわらず、依然として「正当な参戦」という認識が根強いのは、30年続いた軍事独裁政権下での美化と隠蔽がもたらした負の産物としか言いようがない。そんな中、1本のドキュメンタリー映画がベトナム戦争での韓国軍による民間人虐殺を改めて追及して注目を集めた。日本でも現在公開中の『記憶の戦争』(イギル・ボラ監督、2018)である。「改めて追及」したというのは、1999年に週刊誌「ハンギョレ21」が初めて韓国軍による虐殺問題を報道してから現在に至るまで、真相究明や被害者への補償などを求める運動は絶えることなく続いてきたからだ。
「미안해요 베트남(ごめんなさいベトナム)」のキャッチフレーズに代表されるこの運動は、さまざまな市民団体を中心に、虐殺の現地調査や支援のための募金、慰霊塔の建立、被害者との交流など多岐にわたる。ただ、これらの活動はすべて民間レベルで行われており、成果は残しているものの、それが社会全体に広く知られているとは言い難く、国家レベルでの公論に至っていないのが事実だ。
主にメディアの無関心に起因するこのような事態に対して、監督をはじめ製作スタッフ全員が女性であり、女性のまなざしでベトナム戦争を見つめた本作は、虐殺問題や市民団体の活動、そして参戦軍人団体の妨害工作を社会に改めて喚起・再認識させた点で大きな意義を持つといえるだろう。今回のコラムでは、映画の内容に沿いながら、日本ではあまり知られていないであろうベトナム戦争と韓国の関係について紹介したい。
映画は主に、ベトナムの有名な観光都市・ダナンからそう遠くないフォンニィ村で68年2月12日に起こった虐殺事件を取り上げている。子どもや女性、老人を含め、確認されただけで74人が韓国軍によって殺された事件だ。韓国は64年9月~73年3月に延べ30万人以上の兵力をベトナムに送っているが、この期間に約80件の虐殺事件を起こしたと報道されており、被害者は最低でも約9,000人に達すると推定される。ウワサレベルでしか語られていないものや、証言はあっても裏付ける証拠のない事件も多いため、実態の把握は非常に難しく、正式に認められたのは80件のうち、敵兵と誤認して6人の民間人を射殺したというたった1件のみである。92年に韓国とベトナムが正式に外交関係を結んでからは、一つの虐殺も認められていない。
このような現状からは、韓国政府が真相究明にいかに消極的な姿勢を貫いてきたかがうかがえる。だがフォンニィ村の虐殺は、映画に登場する家族を殺された女性のタンさんや、視力を失ったラップさん、殺りくを目の当たりにした聴覚障害のあるコムさんらの証言だけでなく、当時の米軍の報告書の発見や虐殺に加担した韓国軍兵士の証言もあり、虐殺の事実はほとんど明らかだと言わざるを得ない。
市民団体の支援を得たタンさんは、勇気を出して2018年、韓国政府に虐殺を認めさせ、元参戦軍人たちからの謝罪を求めるため、虐殺の被害者として初めて韓国を訪れる。彼女は、00年に日本で開かれた日本軍「慰安婦」問題についての責任を追及する民衆法廷「女性国際戦犯法廷」をモデルにした、「ベトナム戦争時期の韓国軍による民間人虐殺真相究明のための市民平和法廷」で証言した。
裁判では虐殺を「重大な人権侵害で戦争犯罪である」と認め、「韓国政府に責任がある」と断定したが、元参戦勇士からの謝罪はなかった。それどころか彼らは、軍服姿で「市民法廷」に対する反対集会を開き、虐殺の否定と国家への貢献を声を荒げて主張したのである。彼らにとって、虐殺を認めることはすなわち、全人生を否定されることでもあるのだろう。そんなゆがんだ歴史認識に基づく集団的ヒステリーの様相を映画は捉えている。
タンさんは、日本軍「慰安婦」問題の解決と謝罪を求める集会にも参加し、同じ戦争被害者として元「慰安婦」のおばあさんたちと交流する。加害の主体が誰であれ、戦争という極めて男性中心的な暴力の被害者は女性であり、同じ過ちを繰り返さないためには国境を超えた女性の連帯が必要だ――こうしたメッセージが読み取れるこの場面は、女性監督ならではのまなざしが最も際立っているように思われる。
その後もタンさんは、韓国政府に対して真相究明と被害の回復措置を訴え続けたが、返ってきたのは「ベトナム当局との共同調査の条件が整っていない」ことを理由に事実上拒否する回答だった。20年4月、タンさんは韓国政府に損害賠償の訴えを起こし、映画はその事実を伝えて終わる。
その後の推移を簡単に述べるならば、韓国政府は虐殺の立証が不十分であると請求棄却を求めたり、調査記録を国家情報院に照会しようとした裁判所からの要請を拒否したりと、相変わらず非協力的な姿勢を貫いている。最新の報道によると、裁判所は虐殺の証言をしてきた元参戦軍人を証人として認め、間もなく出頭して証言を行うらしい。裁判結果によって政府がどのような対応を見せるか、虐殺を認めるか否か、引き続き見守る必要がある。
一方で、韓国政府の消極的な姿勢には、ベトナム政府との関係も絡んでいるという見方もある。政府レベルでの真相究明には同国政府の協力が不可欠だが、ベトナム軍による自国民の虐殺が発覚することを恐れて同国側も積極的ではないというものだ。実際、当時のベトナムでの虐殺の中には、韓国軍の格好をしたベトナム軍による殺りくを疑う声もあり、真相究明に乗り出せば、同国にとっての不都合な真実もまた露呈される可能性は否めない。
歴代の韓国大統領たちの中で、進歩派である金大中(キム・デジュン)、廬武鉉(ノ・ムヒョン)、そして現在の文在寅(ムン・ジェイン)の3人は、ベトナム戦争への参戦について正式に「謝罪」しようとしたものの、「戦勝国(=ベトナム)が敗戦国側から謝罪を受けるのはおかしい」とベトナム政府が難色を示したため「遺憾」に変更せざるを得なかったともいわれている。映画では言及されていないが、こうした複雑な政治的事情が絡んでいることも忘れてはならないだろう。また、元参戦軍人たちの集団的な主張に対してはカメラを向けるものの、虐殺を証言している者も含めて「個」としての彼らの言葉ももっと引き出してほしかったというのが正直な感想だ。
いずれにせよ、ベトナムにおける韓国軍による虐殺は否定できない事実であり、韓国政府がこれを認めなければならないのは言うまでもない。「我々がベトナム戦争の問題を解決しなければ、日本との歴史問題も解決できないだろう」というソウル大学のパク・テギュン教授の指摘に、政府は耳を傾ける必要がある。「歴史を正す」という政府の主張が、都合のいい部分だけを正すという意味ではないことを信じたいと思う。
最後に、教練教員の武勇伝にあった死体損壊について一言付け加えよう。当時軍人だった全斗煥(チョン・ドファン)もまた、司令官としてベトナムに赴いているが、彼が率いる部隊では、戦果を膨らませ、米軍からより多くのドルを得るために、民間人まで殺して身体の一部を切り取っていたという証言もある。その全斗煥が約15年後、韓国・光州で多くの民間人を虐殺したことは歴史が示す通りだ。ベトナムから光州へ、残酷極まりない恐ろしい負の連鎖が続いていたことに、韓国人として暗澹たる思いを禁じ得ない。虐殺の被害者のため、真実は必ず究明されなければならないのだ。
崔盛旭(チェ・ソンウク)
1969年韓国生まれ。映画研究者。明治学院大学大学院で芸術学(映画専攻)博士号取得。著書に『今井正 戦時と戦後のあいだ』(クレイン)、共著に『韓国映画で学ぶ韓国社会と歴史』(キネマ旬報社)、『日本映画は生きている 第4巻 スクリーンのなかの他者』(岩波書店)など。韓国映画の魅力を、文化や社会的背景を交えながら伝える仕事に取り組んでいる。
監督:ギイル・ボラ (『きらめく拍手の音』)
プロデューサー:ソ・セロム、チョ・ソナ/撮影クァク・ソジン
エグゼクティブプロデューサー:イギル・ボラ/プロダクションデザイナー:クァク・ソジン
編集:パトリック・ミンクス、イギル・ボラ、キム・ナリ、キム・ヒョンナム/音楽:イ・ミンフィ
製作:Whale Film |英題:UNTOLD|原題:기억의 전쟁
2018年|韓国|韓国語・ベトナム語|カラー| 79分| DCP | (C)2018 Whale Film
宣伝美術:李潤希/配給・宣伝:スモモ、マンシーズエンターテインメント